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2022年5月4日

1221. 東北・北海道巡検40 青函トンネル記念館と斜坑線もぐら号・慰霊碑

 青函トンネル記念館と斜坑線もぐら号

 トンネル記念館と言えばこちらの竜飛岬の方が有名だが、斜坑に入れる点を除いては展示物はだいたい同じである。観光地化されているが、屋外展示されている機械装置は、手入れもされず朽ち果てているのは福島町の記念館と同じである。

奥に見えるのが斜坑線もぐら号の乗り込み基地

トンネル記念館(画像は順不同)







































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斜坑線もぐら号

赤の部分が見学コース








斜坑人車 1両

今回は、坑内作業員と乗車

斜坑人車は、あと2両ある

車内は満員



観光坑道は待避場所2の手前までが開放されている
斜坑1の部分からの分岐は排水設備
左 立坑の部分の地上部には、新北本直流幹線のケーブルヘッドが脇にある


観光客用トンネル

作業員は別のトンネルへ


体験坑道





















竜飛定点への入口(風門) 作業員はこの中に入っていった模様







体験坑道駅の下に続く斜路

上部体験坑道入口の風門
これと同じものが、吉岡口にもある




風門の脇にある引戸


油圧シリンダで上下させる 非常時はチェーンブロックで駆動

斜坑最上部のケーブル引き出し口


地上部 斜坑基地

ケーブルカーケーブル巻上げ機室 
これと同じもが吉岡口にもある

地上部 斜坑基地


工事用作業口 人車があった収容建屋


巻上げ機室と斜坑基地の位置関係

斜坑密封トンネル部(コンクリ部分)


その他施設




換気坑道機械室(竜飛送風機室)

換気坑道


換気機械建屋と換気坑道の位置関係

換気坑道は、途中で斜坑(斜坑線もぐら号)に繋がり、通常時はトンネル内換気に使われ、火災時排気は立坑を通じて行われている




立坑上部建屋 排気口

立坑位置 奥は新北本直流幹線 ケーブルヘッド

新北本直流幹線については以下参照




竜飛き電区分所 地上部
この項別記事で仕立てる

慰霊碑
 竜飛岬灯台等の一般観光ルートは観光していない。ここだけはみておきたかった場所
 記念館から少し歩く


トンネル竣工沿革
青函トンネル工事略歴
1946年 4月  地質調査開始
1953年 8月  鉄道建設法予定線に追加(三厩・福島間)
1964年 3月  日本鉄道建設公団発足
           日本国有鉄道から調査業務を引き継ぐ
1964年 4月  基本計画(調査)の指示
1964年 5月  北海道側吉岡斜坑掘削開始(公団直轄)
1965年 8月  工事実施計画(調査)の認可
1966年 3月  本州側竜飛斜坑掘削開始(公団直轄)
1971年 4月  基本計画(工事)の指示
           新幹線設計の指示
1971年 9月  工事実施計画の認可
           今別町浜名・知内町湯の里間
1972年 3月  海底部の請負工事着手
1973年 1月  陸上部の請負工事着手
1978年10月  北海道側陸上部全貫通
1981年 7月  本州側陸上部全貫通
1983年 1月  先進導坑貫通
1985年 3月  海底部本坑全貫通
1986年 9月  レール締結完了
1987年 7月  架線接続完了
1988年 3月  竣功

慰霊碑 34名の尊い人命が竣工までに失われている

供花は新しい


 青函トンネルの完成により 本州と北海道は鉄路で直結され 多くの人々が待ち望んだ 
安全で安定した交流が可能となった
 これが国土の一体化とひいては日本の発展に 大きく寄与することを祈念する
 ねがわくは この工事に英知と情熱をかたむけながら 青函トンネルの礎となられたかたがたの永遠に安らかならんことを

  昭和六十三年七月   青函トンネル工事関係者一同

遠く望む北海道側