2024年11月16日

1397. ああ勘違い東京電燈 谷村線77kV 2回線跡 調査

  上野原ー八王子線 JR東日本送電線の経路をGoogle My Mapにプロットしていたら、途中で送電鉄塔の場所が分からなくなった。周辺をGoogle Street Viewで探していたら古い鉄塔を見つけた。これは位置的に中央線電化時の古い鉄塔ではないかと思い現調した。

中央線電化記念写真帳 NDL 国立国会図書館デジタルコレクション

 電化完成は昭和6年 1931年 浅川ー甲府駅間

電化記念写真帳から引用 国鉄の送電線は国道20号に沿って張られている。
現在の八王子ー上野原線66kV 2回線も同じ位置
高尾、山梨市、笹子、梁川変電所はなかった。

 最初の鉄塔を調べたら谷村345との名称が墨書されていた。早速Google で調べるとなんと1913年(大正2年)に山梨県都留市の鹿留(ししどめ)発電所から東京都新宿区の新宿戸塚変電所(目白変電所)まで送電するために作られた東京電燈の77kV送電線の鉄塔であった。

 送電鉄塔のマニアでは有名な鉄塔群らしく記載されたサイトが沢山見つかる。 目的は外したが、せっかくなので林道沿いを見える範囲で調査することにした。これが国鉄の送電鉄塔だったら徹底的調査するのだが電力会社の鉄塔なので、さらっと調査して林道を詰めて大垂水峠を越えて高尾山まで歩いた。途中 JR東日本の鉄塔は見える範囲で見てきた。


遠方に見えたJR東日本 鉄塔

44号鉄塔であった


1913年生まれの鉄塔 77kV 2回線 高圧ピン碍子で送電線を支えていた。
背が低い


2と表示2L

鉄骨の幅は3インチ(76.5mm)   鉄骨に製造者の名前は無い

谷村三四五と墨書 号が付くのが正解




次の鉄塔
架空地線が張られていた部分がない。代わりに高圧ピン碍子の台座がある



谷村三三と読める 逆算すると谷村三三九となる

左側の高圧ピン碍子の内側部分の台座が無い

算用数字で339の表示

 最初の谷村三四五との間に5基の鉄塔があったはずだが急斜面の奥なので林道からは見えなかった。もっと冬枯れの時期を狙えば見えたかも


一応中沢林道の名前がある。

JR東日本 49号鉄塔

遠方からNo.49を確認



このそばに谷村338号鉄塔がある

谷村338号鉄塔 号を付けるのが正しいようだ



完全に木と同化している


左にJR東日本 No.49鉄塔 右に木と同化した谷村三三八号鉄塔




谷村三三七号鉄塔

谷村三四五鉄塔と同じ形状

結界

JR東日本No.50鉄塔

昭和5年建設 2回線すべて上野原変電所に引き込まれているはずだが2種の路線名


木の間にかくれた谷村線

近づく

算用数字で336

林道の対斜面にある

原型型

林道から撮影

木と同化している谷村三三五号鉄塔


林道脇なので支持部分がよく見える

谷村三三五号鉄塔



周辺の木と同化



 この先林道から中沢峠に向かう登山道に入る。ほんの少しで中沢峠 林道をそのまま進むと行き止まり。 ここから大垂水峠に降りて高尾山まで縦走。 途中JR東日本の高尾分岐線を見学

高尾分岐線7号



高尾分岐線8号


八王子大月線 高尾分岐 昭和39年 No.9号鉄塔

縦走路上の9号鉄塔


高尾変電所最終鉄塔14号

14号 昭和39年(1964年)に高尾変電所が設置されたことになる

 東京電燈から東京電力になった谷村線は昭和30年代に廃止された。産業遺構となる鉄塔がそのままの形で残されていることに驚く。また国鉄八王子ー上野原線の経路と一部並行で張られている場所がこの中沢林道付近にあたる。

オレンジラインが谷村線 一番右上が谷村線345号鉄塔、一番左が谷村線335号鉄塔
青のラインがJR東日本 八王子ー上野原線 66kV 2回線


今昔マップ1972-1982年の地図
左は谷村線の送電線がまだ残っているが左は消えてJR東日本の送電線のみ記載されている
途中分岐しているのがJR東日本 送電線
「この地図は、時系列地形図閲覧ソフト「今昔マップ3」((C)谷 謙二)により作成したものです。」



旧国鉄の送電鉄塔を追った他の記事は以下参照



JR四国 本四備讃線(瀬戸大橋)で架線切断で立ち往生

1394. JR四国 本四備讃線(瀬戸大橋)で架線切断で立ち往生 2024/11/10 随時記載

 NHKによると以下引用 JR瀬戸大橋線で列車が立往生 架線断線 車内に乗客約150人  11/10  以下引用  10日午前、JR瀬戸大橋線で架線が断線し、高松発岡山行きの快速列車が瀬戸大橋の上で立往生し、5時間あまりにわたって乗客およそ150人が列車内に残さ...

人気の投稿