アプト式電気機関車が信越本線(横軽)架線電圧・第三軌条600Vで運用されていたのは多くの成書に書かれていることである。本編はアプト式から粘着運転に切り換える際に、一時期出現した600V/1,500Vデッドセクションについて述べる。アプト式電気機関車運用時の変電き電については、別稿で述べる。
アプト式電気機関車 初期の運用時から、横川駅構内と軽井沢駅構内には架線が張られ架線と一部第三軌条からの650Vで電気機関車が運転されていた。ここで650Vと言う電圧が出てきたが、明治後半に電化された際は650Vの架線・第三軌条の電圧であった。その後輸送量が増大するにつれ電力が不足するようになり、首都圏から不要となった回転変流器(25,50Hz)が移設され、その直流変換電圧が600Vであったことで600Vでの運用が行われていた。この600Vでの運用は新線切換 粘着運転で終焉を迎えた。
粘着運転前は、首都圏から高崎まで標準架線電圧1,500Vで電化。高崎から横川までは非電化区間なので、蒸気機関車で運行、横川でアプト式電気機関車に付け替え600Vで軽井沢まで運行。軽井沢で、また蒸気機関車付け替えで運行する方式であった。
1950年 信越本線 高崎-横川間を電化として、1,500V電気機関車を高崎-横川間で運用する案があったことが確認できたので紹介する。
粘着運転以前の横川駅 デッドセクションの構想
以下引用(一部文言改変有)
1. 緒言
高電圧電気機関車EF15型に対する電源1500Vと低電圧電気機関車ED42型に対する600Vとを如何に組合わせするか、ここに高崎横川間電化の隘路があるものとも云える。
2. 1,500V 600Vの接続
A案 横川駅構内は1,500V架空線式EF15型に全般対応、第三軌条600VでED42型を運用
デッドセクション無し
B案 デッドセクションを介して1,500V架空電車線と600V架空電車線を接続、現状の横川駅構内の第三軌条はそのまま残す。
A案 横川駅配線状況、機関庫の位置から構内入替、機関庫入出庫で問題
B案 上り本務側3両のED42型及び下り牽引機EF15型の到着廻転に対す競合する設備問題とEF15型600V区間運転可否の機関車性能上の問題
B案のEF15型電気機関車の600V運転可否は、昭和24年(1949)12月高崎管理部運転課において実施詳細な試験により運転可能との見通しが立つ
B案における検討
(イ)1,500Vと600V電車線の接続位置
(ロ)セクションの構造
(ハ)構内入替機の形式
(二)ED42型機廻線の電氣方式
(ホ)構内配線の改良
そのほか重要なことにセクションの構造が一番問題
1.セクションオーバーによる電気機関車の閃絡防止
2.セクションの漏洩による異電源短絡防止
3.電気機関車の異電源への不用意飛び込みの防止
を考慮しなければならない。
3. セクションの構造
セクションオーバーを切換て対応 セクションインシュレーターで区分
|
600Vから進行 C、B断路器 投入 CB区間600V加圧 さらに進行(列車長を過ぎる) C 断路器 開放 A 断路器 投入 C-A区間 1,500V加圧
|
抵抗セクション方式
600V/1,500V間を抵抗セクションで繋ぐ(デッドセクションでは無く、セクションインシュレータ)で区分
|
0.1Ωと0.2Ω間は列車長以上
|
これら2案は、結局構想のみで実行はされなかった。
4.EF15型電気機関車の低電圧(600V)区間運転
電動発電機(MG)の600V運転 特に問題なし
起動試験
平坦部と25‰地点で実施 特に問題なし 但し電流は増大(25‰)
均衡状態試験 特に問題なし
そのほか、コンプレッサー 元溜蓄積に1,500V時より3倍の時間がかかるが問題なし、送風機の回転数1,500V時の64%で回転するが問題なし
引用終わり
1950年に実施された600VでのEF15型運転試験は特に問題なく運用できるとの結果が示されている。実機で25‰ 区間で運転試験(600V)が行われていたことは驚くべきことだと思う。
600VでのEF15型電気機関車運転に際しては、使用電流が多くなるため電圧降下が多くなれば、丸山変電所ー横川駅間のき電線増設が必要と判断された。
結局、この案はEF15型の運転試験も行ったが見送られて、1963年の粘着運転時一時期の出現(600V/1,500Vデッドセクション)まで日の目を見なかった。
EF62,EF63型電気機関車も横軽新線、旧線併用時 横川駅、軽井沢駅で600Vでの運用を行ったが、この際もコンプレッサーの元溜圧上昇に時間が掛かるので滞留時間を短くするなど対応を行っている。
横軽 旧線、新線併用時の600V/1,500Vデッドセクション
80系電車 横川・軽井沢600V入線に関しては、600V/1,500Vの複電圧対応が先に駿豆線で行われているのでデータはそろっていた模様。
構内線(架空架線)を切替装置を付けて600V/1,500V対応も考えたが、併用期間が1年もないので対費用効果から見送られた。
デッドセクションの構造 横川・軽井沢に設置されたデッドセクションの長さは、一ケ所を除き26mで設置された。
26mのデッドセクション決定の根拠
国鉄関東支社運転、電気調査役よりの事務連絡37.1による
ア.電車の電氣的に接続された最長パンタ間隔は20mとする。
即ち(TcMMTMTc)6両編成の場合、5両目M車は母線断路器開放の措置をとる。2,3両目のパンタ位置は同一とし、対象外となる編成は行わない。よって最長パンタ間隔=20m
EF62及び63の両パンタ間隔は13mなので電車に合わせる。
ィ.アーク安全距離
1kVA当たり3粍より
80系1パン最大電流集電電流=570×2=1140A
0.003米×1140A×1.5kV=5.13米≒6米
故にセクション長=20+6=26米
ウ.構造
EL 重連を考慮して全木製とする
|
高崎起点 39K200地点 矢ヶ崎変電所方諸説あります 電化工事記録より
|
デッドセクションの運用
横川下り線 登り勾配22‰(25‰?)区間に挿入されるデッドセクションは5mとして登り勾配による速度低下(惰行・ノッチOFF)を考慮するため通過時は片パンとして通過、丸山付近で一端停車してパンタを上げて新線に進行とする。電車については引き通しブスを横川・軽井沢運転中は切る運用で、そのため両駅ではブス切、接ぎ作業を実施。
デッドセクション標識は現在の交交セクションの標識が使われていた様子である。
根拠は以下のブログ
地方鉄道 1960年代の回想 碓氷峠のアプト式撮影会4 katsumi kazamaさんのリンク
横川機関区の画像で、デッドセクション標識が写っている。電車線区分標は、現在の区分標そのものであるが、600V/1500Vの区分に佇む電気機関車の架線上に木製デッドセクションがあり、このタイプの標識が写っている。1963年 7月 撮影
以下は許諾済 引用
|
左 奥にデッドセクション標識がある
|
|
拡大 木製デッドセクションと標識 長さは2m位か? アーク安全距離 0.003×500A×1.5kV=2.25m 500Aは起動時電流 0.003は1kVA当たりのアーク長 片パン時
|
|
左奥 新型機関車の前にデッドセクションと標識
|
|
拡大 |
|
ED42型機関車 右奥 架線に電車線区分標とセクションインシュレーター
|
|
拡大 架線に電車線区分標とセクションインシュレーター
|
デッドセクション位置(諸説あります)配線図ではありません
横川方のデッドセクション
1,500V供給は、新横川変電所から、600V供給は従来通り丸山変電所から行っている。
デッドセクションは場内信号の内側に設ける。
29K588の下り線デッドセクションは5m 上り坂・惰行運転対応 片パン通過
この引用ブログに横川駅 丸山変電所方の上り線 キハ5727の後ろにデッドセクション標識が見える
高崎方電化前 1962年6月から9月にかけて本務機EF62補機EF63が1台ずつ完成、電気機関車入線 試験運転
旧線は、通常通り運行、横川駅構内で架線から第三軌条に切換え丸山変電所を過ぎアプト式で軽井沢まで。EF系は、アプト式に入れないので横川駅軽井沢方デッドセクション5mを片パンで通過後、丸山で一時停止、両パンを上げて試験線に入る。
7/15高崎方 電化完成 試験線を使い試験継続
ブレーキ性能は、特段問題なし、粘着面では予想外の問題 空転の頻発から大空転し逆行の発生も起こった。1963年3月 3重連訓練運転が始まると、連結器破損事故発生、66.7‰上でのブレーキ時 連結器の問題が浮上
|
対策の一覧 |
5月1日 新線開通 5月16日から暖房車を荷重として新線全線で試験運転開始、 6月21日 軽井沢方 電化完成
試験線での上り勾配(下り線)電流測定
|
1編成で2,000Aから3,000A弱の電力が必要 余裕を見て力行4,000A、起動時5,000Aで設計
|
7月15日から基本 旧線で通常運行、新線は補助的に営業車を通すこととなり、モハ80系電車の準急軽井沢号2往復と季節臨時電車1往復の新線運用が開始された。9月5日からは客車列車、貨物列車がそれぞれ1往復、 9月14日からはそれぞれ3往復に増加した。9月30日全面切換終了。
|
別の資料では高崎方28k600にデッドセクション 旧横川SSは丸山変電所を示す
|
|
横川 碓氷峠鉄道文化むら 展示資料の複写 軽井沢方のデッドセクションは下り29K588、上り29K400の位置
|
|
電化工事記録より引用 高崎方 28K600もしくは28K525、28K250または28K598に デットセクション
|
|
車轍66.7‰より引用 旧線
|
軽井沢方のデッドセクション
1,500V供給は、新軽井沢変電所から、600V供給は従来通り矢ヶ崎変電所から行っている。(電化工事記録 横川・軽井沢から引用)
矢ヶ崎信号所での運用
車内警報装置
新線に対してS型車警を新設
丸山、熊ノ平、矢ヶ崎の出発信号に直下に地上子、新線列車が旧線に入ることを防止。
地上子を通過すると発報、5秒後に制動をかけないと非常制動
列車選別装置
下り勾配における旧線列車のED42新線 突入
第三軌条もラックレールのないので回生制動のできず停車もできなくなる恐れ
仮に停車できても電源が無いので引き返し不能
新線列車が旧線突入
ラックレールによる車両破損、パンタ伸び上がり、隧道に当たり損傷、一端停車し
ても架空線がないので発車不能
これら事故を防止するため新旧両形機の通る出発信号は、列車選別装置によりG現示。
地上警報装置
下り勾配の異線進入に対して、新線対応列車はS型車警により防止。旧線列車にはS型車警がないので地上警報装置を設置。旧線上り列車が新線に冒進した際に、地上のベルを鳴らし白色灯を点灯して乗務員に警報を察知させる。
熊ノ平では、旧線の上り場内の条件に新線部分上り出発信号の安側を定位。出発冒進の場合脱線することにしたので、地上警報装置は不要とした。
軽井沢・長野電化工事記録の方がより妥当な位置だと考える。
鉄道ピクトリアル記載のデッドセクション位置
杉田 肇;EF63形電気機関車のあゆみ:鉄道ピクトリアル,Vol.38,No.4,pp.42-47,1988
以下引用
誕生・試験
横川の入口にセクションを設けた。したがって構内は1,500V電気機関車でも600Vで運転された。また、丸山信号場方は信号場まで600Vで、新線に入ったところにセクションを設け1,500Vに切換えていた。試運転、試験列車は横川からここまで片パンで運転し、新線の1,500Vで両パンにしていた(新・旧線併用時は全区間片パンで運行していた)
引用終わり
「丸山信号場方は信号場まで600Vで」は電気工事局の資料から判断すると思い違いと思われる。
熊ノ平での運用
熊ノ平ではデッドセクションは必要とされていないが併用時運用の状況を記す。
当初の計画では、熊ノ平構内で新旧線を結ぶことは、きわめて困難であり、かつ将来は熊ノ平が不要のため廃止する計画であった。その後66.7‰の2kmの試験線運転の結果、慎重を期するため旧線の営業運転をしながら新線での横川・軽井沢の通し運転をすることになり、熊ノ平で新旧の連絡を取ることになった。
|
旧線は、上り方(下り勾配)新線と交換可能 新線(下り方)上り勾配は交換無し
|
調査の過程で、粘着運転時に検討された線形について記した文献があったので挙げる。
雑誌等でよく挙げられている線形
検討した案の線形(33‰は除く)
|
aからe案まである 5種 e,d案の記載は中々見ない
|
|
aからe案の内容
|
上から順に
25‰ 迂回線案 単線/複線 b案 裏妙技のループ串案
25% 15㎞単線トンネル案 d案 軽井沢駅は地下300m エレベーターで対応
35‰ 単線/複線 無し 多分c案の曲線部分を増やしたもの
50‰ 複線案 c案
66.7‰ a案
長野原経由25‰ e案
となっている。
参考資料田村房吉;信越線電化に対する横川駅構内電気切替其他について:電気鉄道,Vol.4,No.7,pp
.26-28,1950
信越本線高崎・横川間電化工事記録;日本国有鉄道東京電気工事局編:日本国有鉄道東京電気工事局,
1964 (群馬県立図書館蔵)
信越本線横川・軽井沢間電化工事記録;日本国有鉄道東京電気工事局編:日本国有鉄道東京電気工事局,
1964 (京都鉄道博物館蔵)
信越本線軽井沢・長野間電化工事記録;日本国有鉄道東京電気工事局編:日本国有鉄道東京電気工事局,
1964 (芝浦工大図書館蔵)
高野光;信越本線 高崎―横川間の電化:電気鉄道,Vol.16,No.3,pp.2-4,1962
佐藤能章;信越本線横川ー軽井沢間旧線改良工事;交通技術,Vol.19,No.3,pp.7-9,1964
松久恒三;横川ー軽井沢間(アプト区間)改良計画/信越線 Ⅲ 電化設備:電気鉄道,Vol.15,No.11,pp2-12
沢野周一;横川ー軽井沢間(アプト区間)改良計画/信越線 Ⅱ 電気機関車:電気鉄道,Vol.15,No.11,pp2-12
佐々木貢;信越線高崎ー横川間電化工事の概要:鉄道ピクトリアル,Vol.12,No.8,pp.34-35,1962
高野光;信越本線 高崎ー横川間の電化:電気鉄道,Vol.16,No.3,pp.2-4,1962
杉田 肇;EF63形電気機関車のあゆみ:鉄道ピクトリアル,Vol.38,No.4,pp.42-47,1988
車轍66.7‰;横川運転区
線形に関して
斎藤徹;信越本線横川ー軽井沢間の改良工事:土木学会誌,Vol.48,No.9,pp.48-55,1963
北村亨ら;信越本線横川―軽井沢間輸送力増強の足跡:交通技術,Vol.30,No.9,pp5-9,1975
吉村恒;横川ー軽井沢間(アプト区間)改良計画/信越線 Ⅰ 線増工事について:電気鉄道,Vol.15,No.11,pp2-12