2013年12月7日

13.  JR東日本 北与野駅

JR東日本 北与野駅
 
直流饋電線につながるコンデンサー(隣の新幹線の交流25kVからくる誘導電流を逃している)
 
 これと同じコンデンサーは、JR西日暮里の上野寄りにある「日暮里変電所」から出る、直流饋電線にも設置されている。現在 日暮里変電所は、JR東日本変電技術センターの名称になっている。
第二上野トンネルから出た新幹線の上を、直流饋電線が横切る場所であり、誘導電流を逃している。


田端に変電所があったことは以下の文献で示されている。しかし日暮里変電所は直流変電所なので、この文献に示された田端の変電所はどこにあるのだろうか、新幹線用の新田端変電所はあるが田端変電所はない。過去のWebを調べると田端開閉所があることが判る。現在その場所は倉庫になっており、開閉所の片りんもない。
「施設・電気関連設備の総合運営・管理を目指した東京圏設備指令システム」日立論評Vo1.79 No2.1997-2」
給電設備20ヵ所(小千谷、千手、六日町、岡部、武蔵境、田端、浜松町、小岩)明示されている。給電設備で六日町の開閉所は、閉鎖されている。新小千谷発電所が抜けている。蕨、神田、王子、新宿の各交流変電所が抜けている。変電設備 中央方面47ヵ所、東海道方面48ヵ所、東北方面48ヵ所と書かれている。

  
北与野駅 新幹線架線 
 
新幹線 与野区分饋電所から架線セクションに向かう25kV AT饋電線類
TはAT饋電線、Fはトロリ線に向かう饋電線、SNは中セクションのトロリ線に繋がる
TのAT饋電線の上には、レールと繋がるAT保護線N(中性線)が配線されている。その上には架空地線が張られている。
 

12.  JR東日本 与野本町駅

JR与野本町駅
ダクトには与野大宮1号2号の表示(南与野変電所GIS室からの66kVCVケーブル収納)
 
ダクトとの呼び方もあるがトラフと呼ばれる場合もある。
この引用文献は、東海道新幹線の同様なケーブル収納法を示した概略図である。
ここではトラフと呼ばれている。東京都内はトラフと言う呼び名が多い
 

11.  JR東日本 浦和変電所(直流)

JR東日本 浦和変電所(直流)

蕨から南浦和・浦和経由



途中 ガス管の電気防食の排流器がある。
排流器の説明については下記Pdf参照
排流器の表示





地中ケーブルが収納された保護管



6万ボルトCVけーブルで送電(実際は66kV)


蕨駅構内の浦和線2号



お馴染みの表示(蕨駅)


国道463号線を潜る(東電の地中送電管)この部分はJRとは関係ない


地中送電管立ち上がり部 この部分はJRとは関係ない


浦和変電所(直流) 国道463号脇


国道463号から俯瞰
蕨からの66kVCVケーブルは1回線のみが見えるが、実は2回線引かれている
 J
 R東日本 浦和変電所は、現在 蕨交流変電所から66kV 2回線で給電されている。
過去に埼京線 南与野変電所からT分岐されて供給されていた。

  浦和変電所は、東北本線輸送力増強のため1960年新設され、蕨⇔大宮間66kV架空送電線から分岐した、地中ケーブルで導入を行い、あわせて蕨交流変電所から東北線沿いの地中ケーブル1回線で2回線化された。その際、蕨⇔大宮変電所T分岐の地中ケーブルは、新しい方式のPGCケーブル(パイプタイプケーブル)が敷設された。 2方面受電対応

 その後 埼京線建設時に蕨⇔大宮間66kV架空送電線が廃止され、埼京線沿いに地中ケーブルが敷設(大宮⇔戸田開閉所)されて、南与野変電所が設置された。その際 先のPGCケーブルの接続変更が行われ、南与野変電所から分岐して、地中ケーブルPGCケーブル(パイプ型ガスコンプレッションケーブル)が敷設された。 その後区画整理により、このPGCケーブル撤去され、蕨からの2回線目が引き込まれている。



建屋内で浦和1号、浦和2号が母線を形成、外部にケーブルで引き出され
整流用変圧器2台と遮断器、断路器を介して繋がる



別角度 左ブロック建屋は整流用変圧器の建屋 右 66kVケーブル立上りと防音ケースに収まった遮断器

整流用変圧器 2台 左に1200V側引き出しと所内変圧器



ケ―ブル立ち上がり 隣の民家とは防音壁で遮蔽





帰線が繋がる母線が見える(西浦和変電所も同様な母線接続方式)           画面中央 金網で囲われた負極母線(レタン)帰線側

帰線立ち上がり 東北本線、東北貨物線

帰線は、線路側に下る

線路側 インピーダンスボンド 中性点に繋がる帰線 東北客線用

線路側 インピーダンスボンド 中性点に繋がる帰線 東北貨物線用

枕木にある黄色いカバー部分が帰線を固定している

1,500V 饋電線
左から白・北14,13(京浜東北)、黄・客14,13(東北・高崎)、青・貨14,13,11,12(新宿湘南)、赤・南11,12(京浜東北)



次の変電所(下り方面 大宮変電所 上り方面 蕨変電所) 

 


 


10.  JR東日本 蕨交流変電所(直流併用)

    蕨交流変電所は、グーグルマップ上では表示名は表示されていない

追記 首都圏JR 停電事故 蕨交流変電所 設備機器点検ミスの考察 Web リンク
追記 1138. JR東日本 蕨交流変電所 火災 号外
追記 1374. JR東日本 蕨変電所 解体工事中の旧154㎸降圧66㎸LTC付変圧器から出火 速報

地図上では給電技術センター ・東日本電気エンジニアリングと表示されている。


アプローチ:西川口 容易
受電:武蔵境蕨線66kV 2回線 東電鳩ヶ谷154kV 2回線
給電:
l交流
浦和線66kV 2回線途中分岐 新設 浦和配電所66kV降圧6.6kV、蕨上野線66kV3回線
蕨王子線66kV1回線CVT途中赤羽変電所T分岐

き電
直流
電上下(浦和方・赤羽方)京浜東北線、浦電庫21H専用線(浦和電車区)
客上下(浦和方・赤羽方)東北・高崎線
貨上下(浦和方・赤羽方)
次変電所 下り方面 浦和変電所 上り方面 赤羽変電所

 
西川口駅から大宮方面に歩いていく
 
 
辿りついた変電所裏
 
 
地面には地中ケーブル埋設の印
 
 
線路脇から地中ケーブルが変電所方面へ伸びている。
 
 
遥々 戸田開閉所から伸びてきた66kV送電線
 
 
鉄塔の表示は「大正15年5月」
 現在、武蔵境から送出する戸田方面の66kVは、埼京線ができる前は、架空送電線で蕨交流変電所に送られていた。これは昔からの経路であって蕨からは先は、金町変電所、小岩変電所への送電経路が昔の地図には載っている。
引用 Web「表の家」松戸の古絵葉書常磐線上野・松戸間電車開通記念の古絵葉書
 このWebから引用すると昭和11年には、まだ赤羽に火力発電所が存在し、基幹となる変電所が明示されている。その変電所の名前は蕨、大久保(現在の新宿)、東中野、飯田町、上野、神田、金町、錦糸町、小岩、新橋、目黒、池袋である。
 
  蕨から金町への送電線は、船橋闘争と言われる国労との国鉄の闘争事件の発端になった。
この時 蕨からの送電線が老朽化のため切断し信号系の電源が落ち事故が起こった。
 蕨⇔金町間の送電線は、今は老朽化のためか撤去されており、その面影は見ることができない。
電子国土1979~83年の空中写真には蕨変電所の左に鉄塔の影が見えるhttp://portal.cyberjapan.jp/site/mapuse4/index.html#zoom=18&lat=35.82161&lon=139.70046&layers=BTTTFTF

また金町変電所は、以前は広大な土地であったが、現在はGIS化された小さい変電所になっている。
電子国土1979~83年および2007最新の空中写真参照
http://portal.cyberjapan.jp/site/mapuse4/index.html#zoom=18&lat=35.77002&lon=139.86626&layers=BTTTFTFFF
 
 金町⇔小岩間は貨物線の上を門型鉄塔で現在でも66kVで送電している。
大きな地図で見る

武蔵境⇔蕨間の66kV送電線は、埼京線が開業した際に戸田駅周辺で地下化され地中送電線(CVケーブル)で戸田駅を通過していた。そして戸田駅には重要な施設「戸田開閉所」が設けられた。(一部戸田開閉所の記事と重複)
 
蕨交流変電所は一部直流変電所の機能を持つ。
変電所から伸びる1,500V饋電線の数々 それでは個別に見てみよう
変電所から伸びる1,500V饋電線の数々
 
 
電上下(浦和方・赤羽方)京浜東北線、浦電庫21H専用線(浦和電車区)電上下(帰線)
 
 
客上下(浦和方・赤羽方)東北・高崎線、浦電(帰線)、客上下(帰線)
 
 
貨上下(浦和方・赤羽方)新宿湘南ライン、貨上下(帰線)
 
 浦電庫21H専用線とは南浦和に展開する浦和電車区への専用線であり、電車上下、客上下、貨上下がインテクレート架線化されているのに従来の配線方法で蕨駅を経由している。
 
 
インテグレート架線部分の饋電部振り分け
庫21の表示で蕨駅を通過。3本線であるが実際は、全部同じ線に繋がっている。
送電容量の増加が必要だったためである。
庫21の表示で蕨駅を通過。庫21の表示
 
庫21の表示
庫21の表示.。南浦和にある浦和電車区まで続く
 
 庫21は、浦和電車区の東京外環道路の高架側まで引かれている。よく見ると3本であったり2本と1本であったりするが、蕨直流変電所の引き出し口をみると3本が一緒になっているし、外環側の断路器のついた構内分岐用の電柱をみると3本が1本の母線と繋がっている。
 
外環側の断路器のついた構内分岐用の電柱をみると3本が1本の母線と繋がっている。
断路器は、41・42番
蕨変電所(東京起点18k614m)から浦和電車区断路器(21k172m)
Cu325×3条で約2.5km
 庫21は、冬期50F動作が、過去に発生し原因調査が行われている。 浦和電車区では冬期 凍結防止のため終夜き電となる。き電外線作業時は夜間停電しているが始業時パンタを上げていくと50F動作が発生。原因調査 209系SIV(補助電源装置)による共振が発生5Hzで2,900Aの電流振幅になり直流高速度遮断器50F発生。今後209系は順次E233系に置き換わるので、共振点も変化してので発生回数も低下する予想であった。 
 
 
交流部分を見てみよう
武蔵境・蕨線最終鉄塔部のケーブルヘッド
 
新しく建て直された引き下ろし鉄塔
 
 
変電所母線引き回し 手前には変圧器と66kVGIS設備(三相一括母線が繋がる)
 
変電所母線群  鉄塔も古いチャンネル鉄構と言うそうだ
上下2段式 上部1号母線下部2号母線 保守の面で難があり、C-GIS化される可能性大
同様な変電所は、湯河原変電所が上下二段式のチャンネル鉄構である。
 
 
赤羽変電所でみられたOFケーブル圧力式油槽が見られる。
王子蕨線のもの。王子蕨線はOFケーブル2回線とCVTケーブル1回線で構成
 
 交流母線が複雑に入り組んでいる。グーグルマップの空中写真で見ると真中に母線の鉄柱が見え両脇に大型の変圧器が配置されいている。赤羽駅で述べたように、上野⇔蕨間の66kV2回線はPOFもしくはOFケーブルで繋がっており、蕨の変電所には加圧型の貯油タンクが見られる。
 
 現在蕨変電所ではケーブルの交換工事を行っているとの表示板が門に掛かっている。さてグーグルマップで上空から見た蕨交流変電所だが、武蔵境からの66kV2回線だけでは設備容量的に少ないと考えている。赤羽変電所周辺のケーブル表示を見ると66kV上野・蕨線が2回線、王子・蕨線、蕨・赤羽線もある。また蕨変電所の大宮方面には、饋電区分として浦和変電所がある。
 
では母線に繋がっている大型変圧器は直流1,500V用であるのか?答えは否である。グーグルマップ上では左右に大型変圧器が設置されている。左側の変圧器は1984~1987年の空中写真に写っている。右の変圧器は2007年の空中写真に写っている。
電子国土空中写真
 

左側の変圧器は、片方はGIS化され、もう片方はブッシングが出ており66kVの出力が変電所母線に繋がっていた。この画像は更新されている。
奥に整流用変圧器3台とシリコン整流器多分4,000kW3台の変成設備 上記画像 左上が該当
 


主変圧器 LTC付10万kVA 鳩塚線2号が接続
66kV出力端の下には、中性点接続の地中ケーブルが出ている。

中性点接続抵抗器群 奥に主変圧器からの中性点接続ケーブルブッシングが見える
右側の変圧器は全体がGIS化されており三相一括母線がメタルクラッドに接続されている。
 
 

66kV三相一括母線変圧器二次側 鳩塚線1号系統
 
 
66kVメタルクラッドに繋がる。架空線の母線は今後GIS化されていくだろう。
 
 
 
右側変圧器一次側GIS母線 OFケーブル接続部
鳩塚線1号

 
 
蕨交流変電所の正面向かって左側にJRと表示されたマンホール(人孔)がある。網目越しにGIS化された太いパイプをみると鳩塚線1号との表示。
 
ダクトをたどると変電所外にでている。このJRのマンホールをたどっていけば疑問が解決されるとの想いが募った。蕨交流変電所の地名は塚越。では鳩は?東電の鳩ヶ谷変電所であろう。ということでマンホールを追跡しみた。
 
 
 
武南高校にぶつかり左
 

塚越小学校脇を直進
 

東中学校を左に見て右折産業道路をこえると
 
特工電の表示
 
 
JR東日本の電気工事現場にぶち当たる
 
作業員が作業中。間違いない。この人孔中には東電鳩ヶ谷変電所に繋がる、ケーブルが敷設されている。工事現場の作業員が抱えて磨いている筒は、透明で直径が25cmくらい長さ40cmくらい両端に引き出し用の金具がついているものが数本。つまりこの透明な器具を地中送電線を通す穴に入れて人孔間で引っ張ると内蔵のカメラが管路の画像を地上の測定者に送り、管路内面の点検を行う装置であろう。もしくは工事内容から考えると内面をUV硬化樹脂で強化するためのUVトレインかも知れない。そのような工法がWebで見つけることができる。工事名は内面補修であるので管路の内面を樹脂を塗布して強化しているのであろう。(あくまで推測)

 
拡大
 
 
 
管路に装置を挿入中
 
直進するとT字路にぶつかる
左に折れると川にぶつかる
 
 
人道橋を渡ると人孔
 
 
上青木交差点を通り天神橋に近づく
 
 天神橋の裏には東電の地中管路が配架されているがJRの管がない

 
 
川を渡り反対側の橋の下
なんと川の下を経由している
 
川を渡った先を右折し一本目を左折
特JR電の印を辿る
特JR電の印を辿る
辿る
特JR電の印を辿る
 
天神橋をわたると東電の鳩ヶ谷変電所は目前である。メインの大通りをさけ1本裏の道にマンホールが続いている。途中には特JR電、特工電の表示も見える。鳩ヶ谷変電所にぶつかるが、高い塀で囲まれていて内部が見えない
 
正面入口には鳩ヶ谷変電所ではなく川口制御所の表示
正面入口には鳩ヶ谷変電所ではなく川口制御所の表示
 
正面入口右てフェンスの中に何やら標柱が見える
良くみると特高ケーブルと工の文字
 
 
さらに奥には154KVの表示
さらに奥には154KVの表示
 
東電鳩ヶ谷変電所構内の正面川口制御所の奥にある154kVケーブルヘッド2回線は
JR東日本 蕨交流変電所に繋がっていた。(鳩塚1,2号線)
 
 
 
拡大(武蔵境変電所のブッシングと比べると大きいような気がする)
 
 この右端の2回線分が蕨変電所に繋がっている。

 
 これは蕨交流変電所の大型変圧器側にある重力式油槽であるので人孔の間隔から考えると
鳩塚線はOFケーブルである。蕨変電所のケーブル交換の表示を見るとCVケーブル化する工事ではないだろうか(推測)
重力式油槽 蕨交流変電所側
  
 
 
追記
 開閉所であったものが東電鳩ヶ谷変電所からの154kV導入で1969年交流変電所になった。
このため武蔵境交流変電所からの66kV回線の154kV昇圧は、取りやめになった。
1984年東電鳩ヶ谷変電所から2回線目が増設 LTC付き10万kVAの主変圧器が並列運用となった。
都心への重要な基幹変電所

参考文献
佐々木和利:国鉄 武蔵境-蕨間 送電線路昇圧計画
電気鉄道;1966,Vol.20,No.2,pp.22-25

落合 昭:屋外鉄構の移り変わり-チャンネル鉄構からコン柱まで(旧国鉄電気運転用変電所)-
鉄道と電気技術;2007,Vol.18,No.4,pp.57-62

小野裕道:蕨変電所・庫21H冬期50F動作について
鉄道電気テクニカルフォーラム論文集;2009,22nd,論文番号13,pp.49-52

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