追記
1374. JR東日本 蕨変電所 解体工事中の旧154㎸降圧66㎸LTC付変圧器から出火 速報
地図上では給電技術センター ・東日本電気エンジニアリングと表示されている。
アプローチ:西川口 容易
受電:武蔵境蕨線66kV 2回線 東電鳩ヶ谷154kV 2回線
給電:
l交流
浦和線66kV 2回線途中分岐 新設 浦和配電所66kV降圧6.6kV、蕨上野線66kV3回線
蕨王子線66kV1回線CVT途中赤羽変電所T分岐
き電
直流
電上下(浦和方・赤羽方)京浜東北線、浦電庫21H専用線(浦和電車区)
客上下(浦和方・赤羽方)東北・高崎線
貨上下(浦和方・赤羽方)
次変電所 下り方面 浦和変電所 上り方面 赤羽変電所
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西川口駅から大宮方面に歩いていく |
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辿りついた変電所裏 |
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地面には地中ケーブル埋設の印 |
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線路脇から地中ケーブルが変電所方面へ伸びている。 |
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遥々 戸田開閉所から伸びてきた66kV送電線 |
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鉄塔の表示は「大正15年5月」 |
現在、武蔵境から送出する戸田方面の66kVは、埼京線ができる前は、架空送電線で蕨交流変電所に送られていた。これは昔からの経路であって蕨からは先は、金町変電所、小岩変電所への送電経路が昔の地図には載っている。
引用 Web「表の家」松戸の古絵葉書常磐線上野・松戸間電車開通記念の古絵葉書
このWebから引用すると昭和11年には、まだ赤羽に火力発電所が存在し、基幹となる変電所が明示されている。その変電所の名前は蕨、大久保(現在の新宿)、東中野、飯田町、上野、神田、金町、錦糸町、小岩、新橋、目黒、池袋である。
蕨から金町への送電線は、船橋闘争と言われる国労との国鉄の闘争事件の発端になった。
この時 蕨からの送電線が老朽化のため切断し信号系の電源が落ち事故が起こった。
金町⇔小岩間は貨物線の上を門型鉄塔で現在でも66kVで送電している。
大きな地図で見る
武蔵境⇔蕨間の66kV送電線は、埼京線が開業した際に戸田駅周辺で地下化され地中送電線(CVケーブル)で戸田駅を通過していた。そして戸田駅には重要な施設「戸田開閉所」が設けられた。(一部戸田開閉所の記事と重複)
蕨交流変電所は一部直流変電所の機能を持つ。
変電所から伸びる1,500V饋電線の数々 それでは個別に見てみよう
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変電所から伸びる1,500V饋電線の数々 |
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電上下(浦和方・赤羽方)京浜東北線、浦電庫21H専用線(浦和電車区)電上下(帰線) |
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客上下(浦和方・赤羽方)東北・高崎線、浦電(帰線)、客上下(帰線) |
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貨上下(浦和方・赤羽方)新宿湘南ライン、貨上下(帰線) |
浦電庫21H専用線とは南浦和に展開する浦和電車区への専用線であり、電車上下、客上下、貨上下がインテクレート架線化されているのに従来の配線方法で蕨駅を経由している。
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インテグレート架線部分の饋電部振り分け |
庫21の表示で蕨駅を通過。3本線であるが実際は、全部同じ線に繋がっている。
送電容量の増加が必要だったためである。
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庫21の表示で蕨駅を通過。庫21の表示 |
庫21の表示
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庫21の表示.。南浦和にある浦和電車区まで続く |
庫21は、浦和電車区の東京外環道路の高架側まで引かれている。よく見ると3本であったり2本と1本であったりするが、蕨直流変電所の引き出し口をみると3本が一緒になっているし、外環側の断路器のついた構内分岐用の電柱をみると3本が1本の母線と繋がっている。
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外環側の断路器のついた構内分岐用の電柱をみると3本が1本の母線と繋がっている。
断路器は、41・42番
蕨変電所(東京起点18k614m)から浦和電車区断路器(21k172m)
Cu325×3条で約2.5km |
庫21は、冬期50F動作が、過去に発生し原因調査が行われている。 浦和電車区では冬期 凍結防止のため終夜き電となる。き電外線作業時は夜間停電しているが始業時パンタを上げていくと50F動作が発生。原因調査 209系SIV(補助電源装置)による共振が発生5Hzで2,900Aの電流振幅になり直流高速度遮断器50F発生。今後209系は順次E233系に置き換わるので、共振点も変化してので発生回数も低下する予想であった。
交流部分を見てみよう
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武蔵境・蕨線最終鉄塔部のケーブルヘッド |
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新しく建て直された引き下ろし鉄塔 |
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変電所母線引き回し 手前には変圧器と66kVGIS設備(三相一括母線が繋がる) |
変電所母線群 鉄塔も古いチャンネル鉄構と言うそうだ
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上下2段式 上部1号母線下部2号母線 保守の面で難があり、C-GIS化される可能性大
同様な変電所は、湯河原変電所が上下二段式のチャンネル鉄構である。 |
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赤羽変電所でみられたOFケーブル圧力式油槽が見られる。
王子蕨線のもの。王子蕨線はOFケーブル2回線とCVTケーブル1回線で構成
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交流母線が複雑に入り組んでいる。グーグルマップの空中写真で見ると真中に母線の鉄柱が見え両脇に大型の変圧器が配置されいている。赤羽駅で述べたように、上野⇔蕨間の66kV2回線はPOFもしくはOFケーブルで繋がっており、蕨の変電所には加圧型の貯油タンクが見られる。
現在蕨変電所ではケーブルの交換工事を行っているとの表示板が門に掛かっている。さてグーグルマップで上空から見た蕨交流変電所だが、武蔵境からの66kV2回線だけでは設備容量的に少ないと考えている。赤羽変電所周辺のケーブル表示を見ると66kV上野・蕨線が2回線、王子・蕨線、蕨・赤羽線もある。また蕨変電所の大宮方面には、饋電区分として浦和変電所がある。
では母線に繋がっている大型変圧器は直流1,500V用であるのか?答えは否である。グーグルマップ上では左右に大型変圧器が設置されている。左側の変圧器は1984~1987年の空中写真に写っている。右の変圧器は2007年の空中写真に写っている。
電子国土空中写真
左側の変圧器は、片方はGIS化され、もう片方はブッシングが出ており66kVの出力が変電所母線に繋がっていた。この画像は更新されている。
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奥に整流用変圧器3台とシリコン整流器多分4,000kW3台の変成設備 上記画像 左上が該当 |
主変圧器 LTC付10万kVA 鳩塚線2号が接続 |
66kV出力端の下には、中性点接続の地中ケーブルが出ている。 |
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中性点接続抵抗器群 奥に主変圧器からの中性点接続ケーブルブッシングが見える |
右側の変圧器は全体がGIS化されており三相一括母線がメタルクラッドに接続されている。
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66kV三相一括母線変圧器二次側 鳩塚線1号系統 |
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66kVメタルクラッドに繋がる。架空線の母線は今後GIS化されていくだろう。 |
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右側変圧器一次側GIS母線 OFケーブル接続部 鳩塚線1号 |
蕨交流変電所の正面向かって左側にJRと表示されたマンホール(人孔)がある。網目越しにGIS化された太いパイプをみると鳩塚線1号との表示。
ダクトをたどると変電所外にでている。このJRのマンホールをたどっていけば疑問が解決されるとの想いが募った。蕨交流変電所の地名は塚越。では鳩は?東電の鳩ヶ谷変電所であろう。ということでマンホールを追跡しみた。
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武南高校にぶつかり左 |
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塚越小学校脇を直進 |
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東中学校を左に見て右折産業道路をこえると |
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特工電の表示 |
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JR東日本の電気工事現場にぶち当たる |
作業員が作業中。間違いない。この人孔中には東電鳩ヶ谷変電所に繋がる、ケーブルが敷設されている。工事現場の作業員が抱えて磨いている筒は、透明で直径が25cmくらい長さ40cmくらい両端に引き出し用の金具がついているものが数本。つまりこの透明な器具を地中送電線を通す穴に入れて人孔間で引っ張ると内蔵のカメラが管路の画像を地上の測定者に送り、管路内面の点検を行う装置であろう。もしくは工事内容から考えると内面をUV硬化樹脂で強化するためのUVトレインかも知れない。そのような工法がWebで見つけることができる。工事名は内面補修であるので管路の内面を樹脂を塗布して強化しているのであろう。(あくまで推測)
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拡大 |
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管路に装置を挿入中 |
直進するとT字路にぶつかる
左に折れると川にぶつかる
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人道橋を渡ると人孔 |
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上青木交差点を通り天神橋に近づく |
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天神橋の裏には東電の地中管路が配架されているがJRの管がない
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川を渡り反対側の橋の下
なんと川の下を経由している
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川を渡った先を右折し一本目を左折
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特JR電の印を辿る |
特JR電の印を辿る
辿る
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特JR電の印を辿る |
天神橋をわたると東電の鳩ヶ谷変電所は目前である。メインの大通りをさけ1本裏の道にマンホールが続いている。途中には特JR電、特工電の表示も見える。鳩ヶ谷変電所にぶつかるが、高い塀で囲まれていて内部が見えない
正面入口には鳩ヶ谷変電所ではなく川口制御所の表示
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正面入口には鳩ヶ谷変電所ではなく川口制御所の表示 |
正面入口右てフェンスの中に何やら標柱が見える
良くみると特高ケーブルと工の文字
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さらに奥には154KVの表示 |
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さらに奥には154KVの表示 |
東電鳩ヶ谷変電所構内の正面川口制御所の奥にある154kVケーブルヘッド2回線は
JR東日本 蕨交流変電所に繋がっていた。(鳩塚1,2号線)
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拡大(武蔵境変電所のブッシングと比べると大きいような気がする) |
この右端の2回線分が蕨変電所に繋がっている。
これは蕨交流変電所の大型変圧器側にある重力式油槽であるので人孔の間隔から考えると
鳩塚線はOFケーブルである。蕨変電所のケーブル交換の表示を見るとCVケーブル化する工事ではないだろうか(推測)
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重力式油槽 蕨交流変電所側 |
追記
開閉所であったものが東電鳩ヶ谷変電所からの154kV導入で1969年交流変電所になった。
このため武蔵境交流変電所からの66kV回線の154kV昇圧は、取りやめになった。
1984年東電鳩ヶ谷変電所から2回線目が増設 LTC付き10万kVAの主変圧器が並列運用となった。
都心への重要な基幹変電所
参考文献
佐々木和利:国鉄 武蔵境-蕨間 送電線路昇圧計画
電気鉄道;1966,Vol.20,No.2,pp.22-25
落合 昭:屋外鉄構の移り変わり-チャンネル鉄構からコン柱まで(旧国鉄電気運転用変電所)-
鉄道と電気技術;2007,Vol.18,No.4,pp.57-62
小野裕道:蕨変電所・庫21H冬期50F動作について
鉄道電気テクニカルフォーラム論文集;2009,22nd,論文番号13,pp.49-52