前振り
昨年から取り掛かっていたが、とうとう60周年に間に合わなかった。変電所、き電区分所、補助き電区分所の変遷はリストになっていたが、どうしてこの位置にあり、どのような理由で変電設備が成り立っているかの理由を調査し始めたら奥が深く泥沼に入ってしまった。
最新の東海道新幹線の変電所、き電区分所、補助き電区分所、ATPの数は以下の文献に記載されている。
鈴木直樹;鉄道事業者の変電設備(6)JR東海の変電設備(新幹線)の概要:鉄道と電気技術vol.34,No.3,pp.62-68,2023
この文献によると変電所間隔は東京ー名古屋間で約21㎞、名古屋ー新大阪間で約37㎞で名古屋を境に間隔が異なることが特徴と述べている。
変電所の変圧器はスコット結線変圧器が1台のみ設置している箇所がある。これはBTき電からATき電変更時、列車本数の増加に対応するためき電区分所を変電所化した場合などは土地が狭隘なため1台設置しかできない場合や容量の小さい変圧器を3台設置している箇所もある。変圧器容量は1台当たり60~150MVA
変電所直下と変電所間の異相セクションの切替開閉器は常時切替を行なう変電所直下の切替開閉器を静止形切替用開閉器にすべて交換。き電区分所の9ヶ所も静止形にしてある。但し静止形の故障に備えて従来からある真空形切替用開閉器も残してあるが劇的に使用頻度は少なくなっている。静止形切替用開閉器は全線で31ヶ所導入されている。(ブログ主の調査ではJR東日本の新与野き電区分所もこの静止形が導入されている)
一部のき電区分所では切替機能を廃止してき電区分とタイき電のみの箇所がある。この場合補助き電区分所の扱いとなるのでATが2台となっている。(常時延長き電)
AT間隔は平均で約10㎞ ATの容量は変電所では10MVA、それ以外7.5MVA。ATの数は変電所、き電区分所で4台、補助き電区分所、ATポストでは2台 例外的に補助き電区分所で4台の箇所もあるそうだ。
受電電圧は154もしくは77kV2回線受電 ほとんどが77kV受電 1964年当時154kV以上送電線網がまだ発達してなかった。そして最初はBTき電で変電所間隔を狭めたため77kV 受電を主流とするしかなかった。(ブログ主注:この77kV受電がどれほどJR東海を苦しめたか後述したい)また154kVの電鉄用スコット結線変圧器もその当時無かった。
この論文では
周波数変換変電所 FC:4ヶ所 大井(単相)、綱島(三相)、西相模(三相)、沼津(単相)
き電用変電所 SS :22ヶ所
き電区分所 SP :19ヶ所
補助き電区分所 SSP :14ヶ所(本線上は10ヶ所、鳥飼、名古屋、浜松、三島で4ヶ所)
ATポスト ATP :1ヶ所(ATが多摩川SPに4台置けないため鶴見川ATポストに2台)
が最終の数であり補助き電区分所には、車両基地や工場のき電線と本線を区別する箇所も含んでいるそうだ。新塚本SPはJR西日本の所属なので、この文献ではき電区分所にカウントしていない。
東京駅から近い順に変電き電設備を並べてみる
以下の画像は2025年1月時点のGoggle Map 画像を切り取ったもの。但し最新の画像とは限らないので注意が必要。
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汐留補助き電区分所 東京駅夜間滞泊時(列車ホテル)き電 C-GIS設備 AT無 同軸き電のため |
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新田町分岐
大崎変電所、田町き電区分所、汐留補助き電区分所、大井FCと密接な関係がある 同軸き電送電の切替箇所となっている もう、このそばには結界が張られて寄れない。昔は唯一二重鉄条網で囲われてなかった箇所 |
264. JR東海 新田町分岐(新幹線・同軸き電)とその周辺
残務として新田町、田町SP、大崎SS、汐留SSP、大井FC間のき電系統図の作成が残っている
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田町き電区分所 回送線と本線のき電区分 AT無 同軸き電のため |
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大井周波数変換変電所 新幹線基地内き電及び東京駅夜間滞泊時き電 大崎変電所脱落時き電 単相30kVき電 静止形FC60MVA(30MVA×2) |
266. JR東海 大井周波数変換変電所 記事訂正(新幹線)
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大崎変電所 AT2台もう片方は同軸き電のためATが不要 JR東海 自営送電線77kV受電
スコット結線変圧器2台60MVA×2((複電圧・東京方が同軸き電のため)
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267. JR東海 大崎変電所(新幹線・ATき電.同軸き電)
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多摩川き電区分所 ATが2台しか置けないの2台は鶴見川ATポストに設置 |
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鶴見川ATポスト AT2台 多摩川き電区分所用の2台 浜松町FCがあった時代にき電距離を短縮して電圧降下対策のため過去にSPであった。 |
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綱島周波数変換変電所 TEPCO154kV50Hz受電 JR東海 自営送電線77kV送出 現在は2台の回転式周波数変換機と2台の静止形周波数変換器がある この画像では、赤丸SUCが右下にあるが撤去されている SUCの上(1号)、左(4号)にあるのが静止形周波数変換器 |
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新横浜変電所 AT4台 JR東海 自営送電線77kV受電 スコット結線変圧器60MVA×2、120MVA×1 合計3台 ここから大阪方が加速区間 現在77kV母線GISから一部C-GISに切替工事中 |
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戸塚き電区分所 AT4台 |
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平塚変電所 AT4台 スコット結線変圧器100MVA×1台 JR東海 自営送電線77kV受電 西相模FCと綱島FCの境だったが運用見直しで高負荷時 西相模FCと綱島FCの連係運転を行なう |
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大磯き電区分所 AT4台 |
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鴨宮変電所 AT4台 JR東海 自営送電線77kV受電 SVC2台撤去の跡がある スコット結線変圧器120MVA×1 |
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西相模周波数変換変電所 TEPCO154kV50Hz受電 JR東海 自営送電線77kV送出 現在は2台の回転式周波数変換機と1台の静止形周波数変換器がある 2台の回転式周波数変換機を静止形周波数変換器に交換する計画進行中 |
276. JR東海 西相模周波数変換変電所(西相模変電所)(新幹線)
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根府川き電区分所 当初からATが2台しかない ここもひょっとしたらSNが出ているが補助き電区分所化されている可能性がある |
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熱海変電所 RPC装置の建屋がある AT4台 JR東海 自営送電線77kV受電 スコット結線変圧器1台 以前は建屋内にSVC1台が置かれていた |
278. JR東海 熱海変電所(新幹線・ATき電) 2014年当時 RPCの建屋は無かった
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函南き電区分所 M座、T座のSVC2台撤去の跡が残る AT4台 |
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三島車両基地補助き電区分所 沼津変電所より専用き電線で受電 単相30kV受電 |
703. JR東海 沼津周波数変換変電所と沼津変電所 新幹線
最後の部分に三島車両基地補助き電区分所の記載あり
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沼津変電所 AT4台 沼津周波数変換変電所(単相30kV) TEPCO 50Hz 154kV受電とJR東海 自営送電線77kV受電 SVG1台 インピーダンスの関係で、ここまでが自営送電線の限界地点 スコット結線変圧器100MVA×1,60MVA×1、基地用小型30MVA×1(片座だけ使用) |
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吉原き電区分所 2018年当時からAT2台 |
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岩淵変電所 RPC装置の建屋がある 154kVは中電清水変電所からの中部線分岐 スコット結線変圧器2台 |
われている。
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旧興津き電区分所跡 BTき電時代に運用 |
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AT化後の興津き電区分所 AT4台 旧興津き電区分所から840m清水寄り |
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清水変電所 77kV受電から154kV受電に変更 AT4台 RPC装置の建屋あり(2台並列) 近隣の中電清水変電所からの地中送電線受電 スコット結線変圧器100MVA×1 |
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安部川き電区分所 AT4台 |
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焼津変電所 77kV受電 AT4台 松尾豪氏の系統図では154kV受電だが調べたら77kV受電 中電焼津開閉所からの専用線 T座とM座を入れ替える設備があるようだ スコット結線変圧器100MVA×1 |
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初倉き電区分所 SN部のケーブルヘッドがき電線に繋がっていない AT2台 文献に出ていた切替機能を廃止してき電区分とタイき電のみの き電区分所に合致する。 き電線が5本引き出されていても接続部を確認しないと正確には判定できない 2021年には繋がっていない。2017年は繋がっていた。 |
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初倉SN1 ジャンパ線が繋がっていない |
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初倉SN2 ジャンパ線が繋がっていない |
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新菊川変電所 77kV受電 AT4台 RPC装置の建屋あり
中電駿遠変電所からの専用線 スコット結線変圧器100MVA×1
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BTき電当時は掛川き電区分所として運用されていた AT2台 |
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新磐田変電所 77kV受電から154kV受電に変更 AT4台 RPC装置の建屋あり 中電磐田変電所からの154kV 154kV受電設備はGIS化で建屋内収容 スコット結線変圧器100MVA×1 1432. JR東海 新磐田変電所(東海道新幹線) 154kV受電 |
77kV受電時代の新磐田変電所の送電線経路 |
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天竜川き電区分所 AT2台 但しSNき電線は繋がっている ATの位置が2012年と2022年では違っている |
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JR東海 浜松工場補助き電区分所 本線から分岐 |
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新高塚変電所 154kV受電 RPC装置の建屋あり AT4台 となりの中電高塚変電所からの専用地中送電線 154kV受電設備はGIS化で建屋内収容 スコット結線変圧器100MVA×1 |
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新居町き電区分所 全屋内式 き電線引き出し5回線なのでSNあり |
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二川変電所 77kV受電 AT4台 Google Earthで反対側からみると4台ある 松尾豪氏の系統図では154kV受電だが調べたら77kV受電 スコット結線変圧器100MVA×1 |
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西小坂井き電区分所 AT4台 |
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大塚変電所 77kV受電 AT4台 中電幸田変電所 スコット結線変圧器100MVA×1 |
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幸田補助き電区分所 AT2台 BTき電当初は幸田き電区分所だった |
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安城変電所 77kV受電 AT4台 RPC設置 中電幸田変電所 スコット結線変圧器1台だが文献上は2台になっている |
松田 裕也ら;新幹線変電所負荷監視システムの開発と実用化:JREA VOL.66,No.3,pp.46831-46834 から引用 安城SSが1号/2号で数値が2列となって値が出ている。つまり変圧器2台、大塚SSは1台なので数値が1列で値が出ている。安城SSは2台なので過負荷率が小さいが大塚は1台なので過負荷率が高い
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旧 刈谷き電区分所跡 き電線は引き出されていない |
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刈谷き電区分所 き電線のケーブルヘッドが12本でている。通常は10本
予備2本か? AT4台 |
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大高変電所 77kV受電 AT4台 Google Earthで反対側からみると4台ある 中電大高変電所からの専用地中送電線 東京方にSVC1台がある。 スコット結線変圧器100MVA×1 |
唯一生き残っているSVC 変電所と離れた位置にある。一番最初にできたSVC |
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熱田き電区分所の隣にある旧熱田き電区分所 |
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熱田き電区分所 AT4台 高架下左右に2台 名古屋方に旧熱田き電区分所跡あり |
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名古屋車両基地補助き電区分所 新枇杷島変電所より専用単相30kV受電 C-GIS化 |
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新枇杷島変電所 77kV受電 AT4台 直流枇杷島変電所と同居 RPC装置の建屋あり スコット結線変圧器100MVA×1 基地専用50MVA×1(但し片座運用) |
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稲沢き電区分所 AT4台 |
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羽島変電所 77kV受電 AT4台 SVC撤去 スコット結線変圧器100MVA×1,120MVA×1 |
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大垣補助き電区分所 ケーブルヘッドが10本でSP運用のままSSP化 AT数不明 |
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新関ケ原き電区分所 AT4台 BTき電時代は変電所だったため敷地が広い
SVC撤去 |
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長岡補助き電区分所 開通当初は西山き電区分所だった AT2台 |
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新米原変電所 77kV受電 AT4台 JR東海
米原変電所と同居 RPC装置の建屋あり スコット結線変圧器100MVA×2 |
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彦根補助き電区分所 AT2台 BTき電時代はき電区分所だった |
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五箇荘き電区分所 AT4台 RPC装置の建屋あり BTき電時代は変電所だっため敷地が広い 唯一のRPC装置があるき電区分所 |
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篠原補助き電区分所 AT2台 BTき電時代はき電区分所だった |
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栗東変電所 77kV受電 AT4台 RPC装置の建屋あり(道路を隔てた対面) スコット結線変圧器100MVA×1、120MVA×1 |
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石山補助き電区分所 AT2台 BTき電時代はき電区分所 |
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東山き電区分所 AT4台 BTき電時代は変電所だったため敷地が広い
SVC撤去 |
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向日町補助き電区分所 BTき電時代はき電区分所だった AT数不明 ケーブルヘッドが両側に5本 合計10本 き電区分所の引出のまま |
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高槻変電所 77kV受電 AT 4台 スコット結線変圧器150MVA×2 |
高槻変電所 装柱の形が今までと違う
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鳥飼補助き電区分所 AT2台 新鳥飼変電所から受電(30kV) |
549. JR東海 新幹線 新大阪・京都 6月22日 架線
切断トラブル 考察 鳥飼SSP
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新鳥飼変電所 基地き電と本線き電 77kV受電 単相30kV送電 RPC装置の建屋あり スコット結線変圧器1台 |
549. JR東海 新幹線 新大阪・京都 6月22日 架線 切断トラブル 考察 鳥飼SSP
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鳥飼基地補助き電区分所 基地内き電 受電は新鳥飼変電所 基地内にあるため詳細は不明 |
新鳥飼SSの30kVき電線は新鳥飼基地SSPを経由して本線側に2回線引き出されている 赤丸の部分 この図は左が東京方 |
新鳥飼基地SSPを経由して本線側に2回線引き出されているき電線2本 左右に分かれるが左は東京方トロリ線に繋がる。右に引き出された1本が新鳥飼SSPに繋がる |
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文献上の最終個数(但し新田町分岐はき電系なので文献に依存していない) 大井FC,沼津FCは単相30kV 供給なので変電所としてカウントすると24ヶ所となる。 |
結局 AT4台の補助き電区分所は見つからなかった。怪しいのが「大垣補助き電区分所」この補助き電区分所が、勾配や加速列車が集中する場所に該当するのか??確かに丘陵地帯にある。
さて、この最終形態のなるまでどのような変遷を経てきたかを調べたが、文献によって変電き電設備の数に錯綜があり、泥沼に入ってしまった。あと文献で年度と年で3ヶ月の差が発生しているが無視した。
本文
在来線の交流電化はBTき電方式で先に昭和32年(1957年9月)仙山線が電化され、また同年10月に北陸本線が電化された。このわずかな僅差には物語がある。(ブログ化済)1番争いがあった。北陸本線では「60Hzでは一番の石碑」がある。
このBTき電での2路線の電化実績を踏まえ、新幹線での高速、大容量負荷に対応でき高信頼性が要求される電源が必要なことから「新幹線き電方式の研究委員会」で検討され最終的にBTき電が採用された。(国鉄のATき電開始は1970年の鹿児島本線で開始されている)
電圧については在来線は商用電源の標準電圧の22kVから20kVが採用されたが、新幹線は高速運転で大電流を必要とすることから諸外国の例を参考に標準電圧25kV(最大30kV最小20kV・22.5kVが短時間限度 )とされた。一応40kVも俎板には上がっていた。
東海道新幹線は、昭和39年(1964年)開業当時は、その時代で一般的であったBTき電でき電を行なう在来線とは違う上下線別異相き電を選択していた。
上下線別異相き電は、変電所直下の異相き電区分(切替開閉器)無くすことができ、変電所間の き電区分所に切替開閉器の中セクションを挟んだ形式である。
さてBTき電が在来線で使われていたが 方面別き電で変電所直下及び異相き電区分所でデッドセクションを挟んでき電区分されていた。デッドセクション通過時はノッチOFFで惰行運転を行うことが必須であった。
これを新幹線に適応すると時速200㎞/hで20㎞~30㎞間隔の変電所・き電区分所をノッチOFFでデッドセクションを惰行運転しなければならず6分~9分間隔でノッチOFFを行なうことになり実用に適さなかったため、上下線別異相き電を行ない変電所間の異相き電区分は切替開閉器でノッチONのままで通過できるように構成された。また変電所間の電圧相差角の値が10°以下の場合は積極的に並列き電(切替開閉器がすべて閉状態)を取り入れていた。つまり並列き電は今に始まったことではない。開業当時からの喫緊の問題であった。
そのため区分所の位相継電器により両変電所の電圧相差角を検出して0~5°最終的には0~10°であれば並列き電を行なう制御が行われていた。(供給元の電力会社の系統切替により一次変電所の変圧器バンク変更、送電経路の差が発生すると電圧相差角が変化するため)また上下線別き電のため両線の渡り線にはデッドセクション(東海道新幹線での呼称は異相セクション)が入れられていた。
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6mタイプと3mタイプの2種を使い分けていた |
新幹線のBTき電方式は、運転する際に1.5㎞(都市部)もしくは3㎞(郊外)毎に設置されたBTセクションを通過する際にアーク(大容量電動機と高速運転)が発生しトロリ線溶断事故が発生することが多かったのでBTセクションの改良が行われて最終的に抵抗を2個入れる3セクション捻り方式が選択されている。
開業当時の変電所とき電区分所の関係
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補助き電区分所は無 変電所(SS)25ヶ所 き電区分所(SP)22ヶ所
この箇所が基本形 大崎変電所、新横浜変電所、平塚変電所間には、き電区分所が無い並列き電を実施
これは綱島周波数変換変電所からの77kV60Hzの送電線で各変電所に給電しているので
き電で電圧相差角が無かったためと思われる。西相模周波数変換変電所との区分点が平塚となる。
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この変電所配置とき電区分所配置の前に新幹線に供給する電源の調査が行われた。富士川以北は、地域が50Hz系統だったので自前で周波数変換変電所を2か所近隣に短絡容量が大きいTEPCO変電所がある西相模と綱島に周波数変換機(同期電動機(50Hz)と同期発電機(60Hz)を直結したもの)各1台が置かれた。ここから約21㎞置きに配置されたき電用変電所に専用自営送電線(架空と地中)で給電されている。車両の50/60Hz選択については識者に譲る。
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部分拡大 |
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部分拡大 |
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部分拡大 |
A 電圧相差角0~3° 並列可能 2区間
B 電圧相差角0~6° 一応並列可能 3区間
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上下線別き電 変電所間のき電区分所に切替開閉器 末端の大崎、新大阪は車両基地があるので渡り線での異相セクション(デッドセクション)を無くすために同相き電を行なう構成であった。そのため末端の大崎、新大阪変電所には下り線側に切替開閉器が置かれていた。
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大崎変電所 単結線図
上り東京、大阪M座き電、下り大阪T座き電 、下り東京(東京駅方)M座き電
操車場M座き電、大崎変電所直下の切替開閉器はABB(空気遮断器)が使われており予備が1台置かれている。
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大崎変電所は今のような建屋形式ではなく屋外に置かれていた。
左のシャ断器室に切替開閉器ABBが置かれていた。ABBは作動時音を出すので防音のため建屋に収容。作動及び消弧のための圧空のコンプレッサーが必要となる。
当初開業時の変電所には30MAのスコット結線変圧器が1台置かれていたが、移動式のスコット結線変圧器も1台置かれている例があった。そのため左のTrの形が違う
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これは大崎変電所に納品されてものではない 負荷時タップ切替装置付き変圧器なので電源が脆弱な地区の変電所に納入されたものと思われる。
明電舎資料より引用 |
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大崎変電所に設備された可搬式スコット結線変圧器 大崎変電所の単結線図にあるTrの形と同じ 明電舎資料より引用 |
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平塚変電所ー鴨宮変電所間の初めて現れる大磯き電区分所の結線図 初期のころの予備機は1台でどちらかが故障、点検時には断路器で運用を切替えていた |
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根府川き電区分所までの上下線別き電の状況 新横浜、平塚、鴨宮のき電用30MVAスコット結線変圧器は1台 大崎は車両基地もあるため2台 |
- 6両 4,080kW 204A
- 8両 5,440kW 272A (貨物20両編成8電動車の場合)
- 12両 8,160kW 408A
- 16両 10,880kW 544A (貨物30両編成12電動車の場合)
- 起動時加速最大で 15,000kVA 600A
- 定常200㎞/hで 7,500kVA 300A
- 5%勾配200㎞/hで 9,500kVA 380A
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新幹線変電所と背後の電力会社変電所の関係 |
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BT開業当時とAT最終形態の比較 SPからSSPになる例とSSが廃止SPになる例がある AT化しても結局変電所は77kV受電が多いので大きく数は減らなかった。 |
並列き電の実施状況(BT時代)
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選択された背後系統変電所とき電用変電所の並列き電の開業時の状況 |
A 電圧相差角0~3° 並列可能 2区間
1964年(昭和39年)
10月1日:東海道新幹線 東京 - 新大阪間開業。1-1ダイヤ0系12両編成で最高速度200 km/h。東京 - 新大阪間を「ひかり」4時間、「こだま」5時間、で運行された。
当時は、東京駅・品川信号場・新横浜駅・小田原駅・熱海駅・静岡駅・浜松駅・豊橋駅・名古屋駅・岐阜羽島駅・米原駅・京都駅・鳥飼信号場・新大阪駅の12駅2信号場。
1965年(昭和40年)
9月27日:三島信号場開設(同所に引上線を設置。のちに引上線のほかにも電留線を設置)。全線の駅・信号場の数は12駅3信号場となる。
10月1日:暫定2-2ダイヤ 増発、「ひかり」・「こだま」30分間隔に。
11月1日:2-2ダイヤ 路盤安定を受け、東京 - 新大阪間は「ひかり」3時間10分、「こだま」4時間運転に。
1965年~1966年(昭和40年~昭和41年)ダイヤ改定が行われ運行本数が増えた。
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昭和40年10月1日 2-2ダイヤに改定 |
使用するスコット結線変圧器としては、両座同時発車を考慮して15,000kVA×2=30MVAを選択。起こりうる列車位置を想定して試算の結果 き電可能距離は約10㎞で変電所間隔は約20㎞を標準として短絡容量500MVA以上の上位変電所から受電できる25変電所が選択されていたが一部500MVAの短絡容量を切る上位変電所も含まれていた。
初期の試運転時をふくめ運行開始時から電源設備の弱い地域において新幹線の変動負荷による電源電圧変動が発生して一般需要家に予想以上の苦情が発生していた。
計画時 12両 8,160kW 408Aであったが実際は8,880kW 444A 160km/h加速中の電力は22,000kVAの720Aのとなっていた。(計画時起動時加速最大で15,000kVA 600A)
新幹線の運行間隔最小5分間隔 ひかり号の通過3分後にこだま号が発車するようダイアが組まれていたため き電変電所間には2列車が運転される。先行列車が最大速度で運行。たまたま後続列車が起動加速時の最大電流で運転されると2列車の総合電流は1,260Aとなり、その消費電力は約37,500kVAにもなる。
片座15,000kVAで設計されていたスコット結線変圧器は短時間だが200%を超える負荷が掛かり77kV側には600Aが流れるので上位変電所の短絡容量1,500MVAのところから受電している場合は母線電圧降下率は4.5%(インピーダンスを考慮に入れて計算)になってしまう。当時は500MVAの短絡容量の上位変電所もあった。
富士川以東では周波数変換変電所からの過負荷対応で一般需要家からの電圧変動問題は生じなかったが富士川以西ではかなりの苦情が発生していた。
このため一部区間ではノッチ制限運転を行ない、電力会社では一般需要家との系統分離、変圧器の専用化、電源系統の変更を行ない影響は緩和されてきたが、次のダイヤ改正昭和40年11月1日(運行開始の約2倍)では電圧変動が増加することが予想されたため電源の弱い地区には早急に何らかの対策をする必要があった。工期並びに費用の問題から電圧変動率5%を目標に電圧変動対策を実施した。
電源側に直列コンデンサの挿入
供給系統の一般需要家との分離 関西電力管内の2ヶ所の変電所154kV/77kVを専用化
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焼津、高塚、三谷は鬼門 |
上位変電所と き電変電所の関係
上位変電所に直列コンデンサ挿入
清水変電所→清水変電所 焼津変電所→焼津変電所 浜松変電所→新高塚変電所
高塚変電所→新高塚変電所 玉川変電所→二川変電所 三谷(三河三谷)変電所→大塚変電所
枇杷島変電所→新枇杷島変電所 大垣変電所→羽島変電所 青野変電所→新関ケ原変電所
系統分離
新八幡変電所→五箇荘変電所 横大路変電所→東山変電所
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中部電力系 直列コンデンサの上位変電所への設置は昭和40年(1965年)には終了 |
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1967年(昭和42年)当時の新幹線電源 スコット結線変圧器が1台から2台体制になっているところがある 西相模周波数変換変電所に回転式周波数変換機増設の予定 二川変電所に三河変電所(275kV受電)から専用線 大塚変電所に三河変電所(275kV受電)から専用線 新高塚変電所に磐田変電所母線から専用線(新菊川変電所と共通母線) 栗東変電所に湖南変電所(275kV受電)から専用線 東山変電所に湖南変電所(275kV受電)から専用線 |
1967年(昭和42年)
10月1日:3-3ダイヤ 増発、「ひかり」・「こだま」20分間隔(毎時6本)に
昭和46年までに16両編成運転をする予定であったが昭和45年の大阪万博のために繰り上げで16両編成運転することが決まった。
1968年(昭和43年)
6月に16両編成の試運転を3日 京都-米原間で実施 ブースターセクションの変更についての効果確認が行われた。
西相模周波数変換変換変電所に回転式周波数変換機増設 2台目
全き電用スコット結線変圧器30MVA×2体制に変更を進める
スコット結線変圧器の二次側に直列コンデンサを挿入 NF側にも直列コンデンサを挿入。(これは在来線では既に行っていた方策である)
8月 大井ヤード工事計画認可
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西相模周波数変換変換変電所に回転式周波数変換機増設による 綱島・西相模負荷分担適正化とき電系の弾力的運用のため戸塚SPを挿入 |
1969年(昭和44年)
4月25日:三島信号場を駅に格上げして三島駅開業
10月1日:翌年の大阪万博を控え、臨時「こだま」をダイヤに組み込んだ3-3(変則3-6)ダイヤ(通常は3-3ダイヤ、多客期は「こだま」を増発し3-6ダイヤ)とする。
10月 三島車両基地完工
12月8日:「ひかり」16両編成運転開始。この日の前非営業時間内で12月4~7日で電気特性やブースターセクション変更等の電気関係の検査を実施。営業運転に問題ないことを確認 まさに綱渡り状態
10月 大井ヤード建設着工
1970年(昭和45年)
3月 大阪万博開催
昭和45年綱島周波数変換変換変電所に回転式周波数変換機増設 2台目
全き電用スコット結線変圧器30MVA×2体制が確立
先に述べたように上位の超高圧変電所から専用の変圧器で77kV 受電を専用線で行う方策が一番の解決策となるため中部電力管内では三河変電所(275kV受電)関西電力では湖南変電所(275kV受電)に新幹線負荷専用の275kV/77kV 100MVAをそれぞれ新設して二川、大塚変電所及び栗東、東山変電所に専用線で送電する工事が行われた。
その他中部電力管内では清水、駿東、大高、西濃変電所、関西電力管内では湖東、淀川の各変電所についても45年~46年完成を目標に電力増強工事をおこなった。
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1970年(昭和45年)当時の新幹線電源 安城変電所と大塚変電所が共通送電線から受電(並列き電対応) 新菊川変電所と新磐田変電所が共通送電線から受電(並列き電対応) 二川変電所と大塚変電所が三河変電所(275kV受電)から受電 東山変電所と栗東変電所が湖東変電所(275kV受電)から受電 昭和43年西相模周波数変換変換変電所に回転式周波数変換機増設 昭和45年綱島周波数変換変換変電所に回転式周波数変換機増設 |
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中部電力の恒久対策 |
岐阜系統
ブースターセクション 3・S方式に変更 これまた複雑
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各エアーセクションに抵抗挿入 消弧の改良とセクショントロリ線の消耗削減効果に対応 |
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開業当時と1970年の上位変電所系統変更による並列き電区間の比較 1970年の並列き電状態はブログ主の推測による(上位変電所の系統を見て判断) 綱島・西相模各2台のFCの弾力的運用のためFCで供給する区間の並列き電は固定できない |
1971年(昭和46年)
東北新幹線との相互の乗り入れが東北新幹線認可時点で計画されており、東京駅については、東京駅在来第6、第7ホームを東北新幹線に転用し、2面4線の東海道新幹線ホームとあわせて4面8線の新幹線ホームとして、このうち5線を東北新幹線と東海道新幹線が直通可能な配線にする計画であった。結局は縮小され中止となる。
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浜松町周波数変換変電所 ワーキンググループによるき電系統の検討開始
FCができる前は品川ヤード(東京車両基地)はM座き電、大井ヤード全体はT座で田町SPで切替
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1971年 新幹線網電力供給計画ワーキンググループで以下のことが論議決定された
- 60Hz電源区間を田端ヤードの以北まで延長。50/60Hzの電源区分はこの付近に設けるき電区分所(新王子き電区分所)で行う
- 60Hz電源区間の延長に伴い現状の綱島周波数変換変電所では容量不足になるので浜松 町に周波数変換変電所を設ける
- 新設周波数変換変電所の単相バランスを考えて新秋葉原付近にき電区分所を設け、周波数変換変電所の負荷は、大崎変電所・新秋葉原き電区分所までをM座、新秋葉原き電区分所・新王子き電区分所までをT座とする(このころは、東海道新幹線は、上下線異相き電であったが、この区間だけは方面別異相き電となっている)
11月「東北新幹線(東京・盛岡)の工事実施計画その1」が作成され認可着工に至った。
1972年(昭和47年)
3月15日:山陽新幹線 新大阪 - 岡山間開業。4-4ダイヤ 「ひかり」・「こだま」15分間隔(毎時8本)、「ひかり」毎時3本が岡山駅へ直通。
6月29日:「こだま」、16両編成運転開始。
1972年(昭和47年)山陽新幹線岡山直通運転が開始されたが、新大阪SSが電源状態が弱のため新六甲SS T座(方面別き電)からの新塚本SP延長き電で新大阪SSで突合せを行なっていた。新大阪SSの京都方は上下線別き電のため新大阪SSのスコット結線変圧器の電源不平衡は発生していない。き電範囲を狭めるため鳥飼SPで突合せを行なっている。
1973年 (昭和48年)
9月1日:東京運転所大井支所(現・大井車両基地)発足。同時に田町駅で分岐し同基地へ至る回送路線を設置。 大崎変電所のM座き電でき電。
1974年(昭和49年)
4月 浜松町交流変電所・周波数変換変電所 合築での建設着工 1971年のワーキンググループの計画を基に建設
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架線強化 ヘビーコンパウンド架線へ 架線柱も強化された そのため現在の架線柱のように上部に鋼管ビームが設置された |
1975年(昭和50年)
3月 名古屋車両基地(通称日比津基地)運用開始
3月 東京ー博多間開業
都心部の電源強化及び東北・上越新幹線電源供給のため154kVを受電
新鶴見変電所・浜松町交流変電所間 東海道線に沿って154kV2回線 浜松町1,2号を敷設
7月 東京駅3ホーム体制完成を受け5-5ダイヤに移行、「ひかり」・「こだま」12分間隔
(毎時10本) このころから1日当たりの列車本数が頭打ちになる
1977年(昭和52年)
東北新幹線上野駅設置が計画に盛り込まれた。このため50Hz車両の東京駅乗り入れBTき電から同軸き電方式の検討開始(東京-上野間)
4月 浜松町周波数変換変電所運開
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14番線が相互乗り入れ用 |
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地上切替方式を選択 |
11月26日:栗東信号場開設。全線の駅・信号場数は13駅3信号場となる。
1984年(昭和59年)
7月 国鉄常務会でAT化承認
AT化工事開始
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大阪万博 16両編成運転 山陽新幹線開業 岡山、博多延伸 昭和43年に全変電所の30MVAスコット結線変圧器2台体制に移行 |
開業から20年を経て導入初期の設備の老朽化、BTき電方式(都市部1.5㎞ 郊外3㎞置きのBTセクション)が3セクション方式に変更されても16両編成化による列車消費電流の増加にともなうBTセクション通過時のアーク発生。パンタ数の増加による騒音とトロリ線の摩耗等が問題となってきた。電力供給設備も当初の上位変電所から超高圧変電所からの直接降圧による給電が多く採用されてきている。
東海道新幹線開業後の山陽新幹線では、東海道新幹線の経験を積みATき電が採用され、実績が積みあがってきため東海道新幹線の営業を行ないながらのAT化が行われることが決定された。
その結果 ATき電採用、上下線別き電から方面別異相き電方式の大規模な転換を行なうこととなった。
当初の計画ではATき電にすることで変電所の間引きを考えていた。
現在の変電所間隔約20㎞を約40㎞とする。一変電所脱落時には現行の負荷制限(ノッチ制限)で行い、現状よりも悪くなる場合は電源増強を行なう。
き電用変圧器 変電所間引き後の負荷を想定し経費の抑制を主眼として100MVA1バンクとすることになったがBTき電用30MVAの余剰が出るので30MVA2台をカスケード接続として利用、新しい60MVA変圧器を1台導入の2バンク方式も考慮に入れる。
三巻き線方式のスコット結線変圧器の中性点をレールに接続することにより絶縁等級を30号(30㎸)に下げる方式を採用することとした。従来のATき電(山陽新幹線)では60号(60kV)としているき電用遮断器開放時(ATが切り離される)の構内地絡を考慮したものだったので30号に下げることが出来ればBTき電時代の直列コンデンサ、並列コンデンサもAT化後再利用可能となる。
1985年(昭和60年)
3月14日:6-4ダイヤ 東京 - 新大阪間「ひかり」3時間8分、「こだま」毎時1本を東京 - 三島間に短縮。
10月 100系新幹線投入 BTき電のため16両編成で6基のパンタグラフを使用
1986年(昭和61年)
11月1日:国鉄最後のダイヤ改正。最高速度を220 km/hに引き上げ、東京駅 - 新大阪駅間「ひかり」2時間56分運転とする。
7月 国鉄民営化前にAT化は新高槻工区で最初に実施された。(向日町SSP、新高槻SS、鳥飼SSP、鳥飼基地SSP、新大阪SS、新塚本SP(AT-BT接続点)) この時点で新大阪SSは基地専用き電となった。
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最初にAT化された大阪地区 |
AT化工事をふまえ切替開閉器を真空形切替開閉器に順次交換開始
1987年(昭和62年)
4月1日:国鉄分割民営化に伴い、JR各社および新幹線鉄道保有機構発足。東海道新幹線は全線が東海旅客鉄道(JR東海)に移管。
東京駅では、第6ホームを東北新幹線に転用し、将来的に東海道新幹線と直通運転可能な構造とした(地上切替方式)が民営化後 話は立ち消え
新王子き電区分所での車上切替は無くなり浜松町周波数変換変電所は東海道新幹線専用となる。そのため浜松町周波数変換変電所のT座電力(新秋葉原SPから新王子SPまで)が余り不均一となるので鶴見川き電区分所を設け、ここから大阪方は上下線別き電(下りT座、上りM座)となった。
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都心部1.5㎞毎のBTセクションを同軸き電方式に置き換え |
浜松町周波数変換変電所と大崎変電所間は同軸き電ケーブルで送電していたがトロリ線にはBTセクションが挿入されていたのを廃止し同軸き電方式でBTセクションを廃止した。![]() |
浜松町周波数変換変電所M座は大崎SSから東京駅まで全体を並列M座き電行い、大井電車基地はT座き電として田町き電区分所でT座とM座の切替開閉器で区分。 大崎変電所の大阪方は上下線ともT座き電として単相バランスをとるため鶴見川にき電区分所を設け、ここから上下線別き電を行なっていた。(浜松町SS=浜松町周波数変換変電所=FC)またFC単相運転時の平衡のため大崎変電所の大阪方は浜松町FCのT座を利用している。 |
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山陽新幹線との直通運転を開始したためBT-AT境界の新塚本き電区分所(SP)が入る。 |
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AT化直前 田町SPの△マークが抜けている。新塚本SPが追加(山陽新幹線開業のため) |
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BT最後の変電設備とAT化計画時の変電設備 変電所数が26から14に間引かれている
現状の変電所数26とエクセルの表の変電所数25の差は文献では浜松町周波数変換変電所を変電所としているため 本当に26→14に変電所数を減らして大丈夫なのか疑問
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この間引きは系統分離専用送電線、直列コンデンサの挿入、上位専用変圧器からの専用送電線等を考慮に入れコンピューターで
1.変電所を間引いた時の負荷が上位電源に与える影響
2.電源電圧、電圧不平衡、電圧降下。送電ケーブルの熱容量、変圧器の熱的耐量
3.周波数変換機を電源とする送電系統の問題
を考慮に入れて計算させた。その結果
1.電源電圧、電源不平衡は問題なし 電圧降下は10%を超える場所が発生 対策必要
2.送電線設備は改良に伴う改修及び対物離隔安全確認(30kVから60kV)以外の措置は必要無
3.電力会社の送電線運用上の規制を考慮する必要がある
4.電源関係では周波数変換機に負荷分散のアンバランスに対する措置、電力会社の国鉄専用変圧器の増強を必要とする箇所が発生
5.新大阪変電所の電源の供給能力減退のための変則運転への優先的対応を行なう
とのことであった。
変電所の間引きは電源が強い場所を残るようにする。浜松町周波数変換変電所が回転機で予備機が無い、ヤードを二ヶ所持ち東京駅も範疇に入るので大崎変電所は残す。
26変電所を14変電所に整理する。受電電圧は一部154kVを残し77kV 2回線受電
き電用変圧器は100MVA1台または旧30MVA2台と60MVA1台の組み合わせ
切替用遮断器はVCBを導入 方面別き電なので変電所直下にも設備
上下一括き電を実施 上下渡り線の電圧均等化と電圧降下を抑制するため
間引いた変電所をAT化後 き電区分所に変更。現在のき電区分所を補助き電区分所とする
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ヘビーコンパウンド架線化された鋼管ビームを利用 ATき電線を付ける BTき電のNFは、AT化後のPW(保護線)として利用 |
1986年(昭和61年)AT化の開始点は新高槻地区(新塚本SP~向日町SP)約36㎞から工法、切替方法及び新技術の開発の成果確認を行なった上で全体計画を実施することになった。
図6のAT化後の変電所ロケーションが分かりにくいのでエクセルで再編した表を下に記す
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コンピューターシミュレーション結果ではかなりの大ナタを振って変電所を削減したように見えるが単に順番に並べ替えを行ったように見える。グレーの部分が変更点 1985年時点 浜松町周波数変換変電所を変電所と数えると変電所数は14となり文献と一致 新大阪はSSPとなる予定 |
1988年より3年かけて全線のAT化を完了する予定で、それ以前に1986年(昭和61年)AT化の開始点は新高槻地区(新塚本SP~向日町SP)約36㎞から工法、切替方法及び新技術の開発の成果確認を行なった上で全体計画を実施することになった。以下が実施計画
1988年(昭和63年)向日町SPから羽島SS間AT化
1989年(平成元年)稲沢SPから新菊川SS間AT化
1990年(平成2年)初倉SPから大崎SS間AT化
このAT化工事に合わせて三巻線スコット結線変圧器による新幹線ATき電用変圧器が実用化された。
三巻線スコット結線変圧器による新幹線ATき電用変電所の絶縁低減 jstage.jstの文献
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従来のスコット結線変圧器変圧器だとATが外れると2Vすなわち60kVが二次側に発生する(回路が非接地のため)そのため絶縁等級としては60号が要求されていた。 |
これを三巻線構造としてサンドイッチ巻線として中性点を設けることで二次側の絶縁等級を30号にすることが出るようになった。
スコット結線変圧器の中性点のレールとの接続方法は3種あるが中性点を直接レールに繋ぐ方法が一番確実な方法として選択された。実際には、中性点に変圧器のリアクタンス分を補償する直列コンデンサが入ることにより効果的で経済的となる。また直列コンデンサの絶縁等級も6号(6kV)もあれば十分である。 東海道新幹線ではCを採用
1989年(平成元年)
3月11日:7-4ダイヤ 「ひかり」増発[122]。
当初6-4パターン(1時間当たり)ひかり6本こだま4本 210㎞運転を計画したが7-4及び速度向上による見積増大により一部区間の電源容量不足問題が発生。これを補う電源強化策と変電所ローテーションを行なうことになった。→AT化工事の見直しが発生 ATだから変電所間隔を伸ばしたのが仇となった。
4月29日:「こだま」は再び16両に。「こだま」指定席車両を「2&2シート」改造実施(1990年度中に完了)
AT化実際は「JR東海東海道新幹線技術情報1991」に基づいて記載
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清水 焼津地区の電源強化(変電所増設)が行われている |
この組み合わせにさらに岩淵変電所及び大高変電所にJR東海として初めての電圧補償装置が導入された。
これは電源電圧に対する変動を抑える対策として静止形無効電力補償装置(Static Var Compensator=SVC)を大高変電所M座40MVA(20MVA×2)、T座30MVA(15MVA×2)を30㎸母線に導入。
岩淵変電所にはゴールデンウイークの実負荷でのデータによるSVCの容量決定を行なうこととなったが単相にSVCを入れても解決できないデータだったため154kV受電側に変位相SVC(二相間)を導入した。
実際の1990年までのAT化進捗状況(JR東海東海道新幹線技術情報1991より引用)
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1989年時点での行程(新枇杷島SSは基地専用に変更・その後新大阪も基地専用に変更) 実は新大阪SS、新塚本SP、向日町SSPのAT化は既に昭和61年(1986年)完成していた
資料によると昭和63年(1988年)からAT化になっているがJR東海の社内技術情報だと既に新塚本SP-向日町SSPは2年前に完成したことになっている。また鳥飼基地SSP・三島基地SSPが出現
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この工程表の変電所、き電区分所、補助き電区分所の数は
SS=15(初期の新大阪と新枇杷島SS基地専用を含むと17)浜松町FCを加えると18、SP=13 田町SPを加えると14、SSP=23(鳥飼基地SSP・三島基地SSPを含む)となる
最終の平成2年度計画から変更があり最終が以下の図となる。
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「東海道新幹線のAT化完成」より引用 この図にはき電用変圧器の数と容量が記載されている |
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濃いグレーが変更点 根府川がSSP→SP、鶴見川SPの前に多摩川SSPが入る 新大阪変電所の基地き電は夜間本線が定時停電されているときに鳥飼基地にき電を行なう |
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鶴見川SPの前に多摩川SSPが出現 鶴見川SPでT座・T座突合せ 大崎SSの新横浜方は浜松町FCの単相の平衡化のため浜松町FCから供給 つまり大崎SSのスコット結線変圧器(60MVA×2)は運転されていない? |
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岩淵SSの東京方 吉原SSPは岩淵SSからT座片送り 154kV受電側に変位相SVC き電用変圧器は154kV受電スコット結線変圧器(120MVA)から直接降圧 154kV降圧77kVの三相変圧器(100MVA)がFCの77kV系と連係 沼津SSの東京方はM座方送り、函南突合せ、基地用の30MVA変圧器がある |
これ以降JR東海は積極的な電源強化を実施。電車線の電圧降下対策に静止形無効電力補償装置(SVC)。電力会社側の電圧変動抑制のため静止形無効電力発生装置(SVG)を導入。しばらくはこの2つで凌いでいた。
1990年(平成2年)
最初のAT化工事が完了する前に1992年(平成4年)からの8-3ダイヤ、最高速度270 km/h運転を行なうため電源設備を再び増強することになり1月から着工された。AT化2回目の増強
100系一部車両(122形 (M'c))ATき電化のためパンタグラフ3基に半減し天井に這わせた高圧ケーブルによる特高圧引き通しを実施した。
やはり変電所を間引き過ぎたようだ。
以下が追加した増強策
各周波数変換変電所(綱島・西相模)に3台目の周波数変換機を導入(平成6年目途)
架空送電線が送電容量限界で使用しているため常用温度を超える場合があり耐熱電線のインバー線か太線化する
地中送電線のCV化による太線化
間引いたSSを元に戻す SP→再SS化 6ヶ所(平成6年目途)
SSP化した旧SPを再SP化 SSP→SP 12ヶ所
変圧器の大容量化(平成6年目途)
電力会社3ヶ所 合計800MVA JR東海 6ヶ所 合計590MVA
電源の系統変更
岩淵SS 清水大井系→駿河SSから直接(元の清水井川系に戻る)
大塚・安城SS 三河系→幸田系(元に戻す?)
き電電圧降下対策
静止形無効電力補償装置(Static Var Compensator=SVC)の設置これが後で問題を引き起こし全部撤去となる
電源電圧に与える電圧変動対策(対需要家対応)
静止形無効電力発生装置(Static Var Generater=SVG)の設置
とりあえず1992年(平成4年)からの8-3ダイヤ、最高速度270 km/hに間に合わせるため以下の方策を実施
電圧降下対策(SVCの新設)
短絡容量の大きい275kV受電の電源会社の変電所から20㎞以上も距離があると電圧降下が大きく無対策ではSP(突合せ部分)の電圧を22.5kV以上に維持することは困難となっていた。
SVCは過去に単相側に大高変電所に設置。受電電源側に岩淵変電所で設置され効果が確認できていたため全面的に採用
SSを対象にSVCを設置したが、敷地面積が無い変電所があったため隣接するSPに設置面積がある場合はSPに設置する検討を行なった。
SVCは無効電力(Q)を検出して-Qを補償するQ制御で実用化されていたが、SPには変圧器が無くき電電圧しかないためV制御のSVCが必要となった。JR総研と鉄建公団で試作されていたV制御SVCを安城SPで性能検討し問題が無いことを検証。SSに置けない場合はSPにV制御のSVCを設置すると同時にSVCでQ制御を行なっているSSが落ちた場合、両サイドのSSからの延長き電となることを考慮してSSのQ制御SVCも回路の切替でV制御になるような工夫を行なった。ただSPへのSVC設置は動作電源として三相200Vで300kWが必要となっている。(コンデンサ充電のため)
SS用SVC 7ヶ所 SP用SVC 8ヶ所
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SVC設置箇所と設置年 |
架空送電線の太線、高耐熱化
自営送電線区間架空送電線(インバー電線の採用)77kV
西相模・鴨宮線 インバー電線ZTACIR120㎟ 許容電流 210℃で709A ACRSの1.8倍
熱海分岐線 インバー電線XTACIR120㎟ 許容電流 210℃で789A ACRSの2.0倍
西相模・沼津線 インバー電線XTACIR160㎟ 許容電流 210℃で959A ACRSの2.1倍
自営送電線区間地中送電線 CVケーブル太線化 77kV
綱島・大崎線 600㎟ 撚り合わせ外径147mm
綱島・新横浜線 600㎟ 撚り合わせ外径147mm
新横浜・平塚線 600㎟ 撚り合わせ外径147mm
電力会社線・中部電力、関西電力(架空、地中)
東海枇杷島線(地中)
東海新羽島線、東海栗東線(架空)
東海高槻線
各周波数変換変電所(綱島・西相模)に3台目の周波数変換機を導入(平成6年目途)
網島FCの供給範囲は大崎、新横浜、平塚。 西相模FCの供給範囲は、鴨宮、熱海、沼津
この時点で静止形周波数変換器の導入は大容量変動負荷に対する実績、回転型との並列運転の技術検討を含めた仕様から設計・制作期間が間に合わないため不可能とされた。
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合計60MVA×7=420MVA この表はkW表示なので力率1で計算して42万KWとしている |
き電区間の変更
もとも大崎変電所から鶴見川SPまでは浜松町FCの容量が不足しており以下の対策を採っていた。
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浜松町FCの送り出し電圧が低いため鶴見川SP(AT2台)まで送電すると電圧低下が大きいため大崎変電所のATにタップを付けて大崎変電所の送り出し電圧を上昇させていた。その後多摩川SSP(AT2台)を設けて電圧降下の抑制を図っていた。この図を見ると大崎SSのスコット結線変圧器は利用されていない。 |
更に浜松町FCのき電範囲縮小のため多摩川SSPをSP化供給範囲を約6㎞縮小 高架下の狭隘な場所なのでATが2台しか置けないので鶴見川SPをATポストとして残り2台を置いて電圧降下に対応している。
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上記Excel表の1991年当時と合致 但し根府川がSSP 「東海道新幹線電源増強工事 完成」に記載されている増強前の配置図と合致 |
当初の計画では変電所化(SP→SS)は平塚、新菊川、安城、新枇杷島であった。
その後平塚、安城がSS化された。
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1992年(平成4年)からの8-3ダイヤ、最高速度270 km/hに間に合わせるため |
1991年(平成3年)
3月 1回目めに予定されていたAT化工事完了 2回目はまだ道半ば
1992年(平成4年)
新大阪SSPにSVC設置
2月:100系の投入を終了し、300系の投入が始まる。PWMコンバータ2基+VVVFインバータ1基 直流モーターとの決別 力率≒1で電力補償装置の対応が変化してくる
3月14日:300系が営業運転開始。「のぞみ」1日2往復登場。最高速度270 km/h、東京 - 新大阪間2時間30分運転。。8-3ダイヤ 日中の「ひかり」増発、ユレダス全面供用
8月1日:東京第一車両所が品川駅構内から品川区八潮に移転。
PWN制御車の導入開始による設備変更の検討を実施(力率=1)
サイリスタ制御 力率=0.8から1に替わることで色々な面で再検討が必要になってきた。
1. 単相直列コンデサ(き電側)
変圧器インピーダンスによる電圧降下補償→平塚変電所(NF側)
2. 三相直列コンデンサ(給電側)
変圧器インピーダンスによる電圧降下補償→一次側に導入
3. SVC=Static
Var
Compensator 他励式静止形無効電力補償装置 電圧降下対応(き電側)変電所またはき電区分所に導入 力率=1となると不要になる。
4. SVG=Static
Var Generater 静止形無効電力発生装置(自励式静止形無効電力補償装置)給電電圧変動補償用 77kV送電線用変電所に設置主としてJR自営送電網以外の外部電源
5. SUC=StaticUnbaianced
PowerCompensator 静止形不平衡電力補償発生装置
回転式周波数変換機の単相負荷の不不平衡電力
6. 静止形周波数変換器の導入
1~5までの新設・増設を行ったが、分数調波振動による電圧動揺が発生。直列コンデサの停止。周波数変換機の並列運転による振動の発生等、電力系にコンデンサ投入による高調波の発生。周波数特性の変化など短時間単相負荷の急変動とインピーダンスの変化によるインダクタンスとコンデサの特性変動が解析の結果わかった。
1993年(平成5年)
3月18日:1-7-3ダイヤ 「のぞみ」毎時1本、博多へ直通運転開始「ひかり」1本を「のぞみ」に置き換え。
1992年(平成4年)からの8-3ダイヤ、最高速度270 km/hに間に合わせるための設備増強と1994年(平成6年)までの電源強化実施中
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最終計画内容 羽島から新大阪間のSSPが抜けているが、単に省いてあるだけだと判断する。 大垣、長岡、彦根、篠原、石山、新向日町 |
その後 安城、新枇杷島がSS化されたが中部電力送電線のインバー線化が間に合わない。二川変電所での変圧器増強、電圧降下対策を行なう予定だったが用地買収が不可能となり、清水、新高塚をSS化及び新枇杷島SSの基地専用化を変更基地共用として変圧器の増設をおこなった。
清水SS、新高塚SSは154kV受電として東海道新幹線として2番目となる。1番目は岩淵SS
平塚変電所はFCの運用によりに西相模・綱島FCの電源を受電するため並列き電対応とした。
沼津SS-熱海SS間は並列き電を実施。
大崎SS-新横浜SS間は並列き電を実施しているが多摩川SPの定時停電時間の差があるため延長き電用断路器を負荷断路器とした。
新枇杷島SSが基地き電専用から共用となるため稲沢SSPをSP化した。
1996年(平成8年)までに静止形無効電力補償装置(Static Var Compensator=SVC)は「東海道新幹線電源増強工事 完成」の図から拾うと21ヶ所となる
焼津SS2台、新磐田SS2台
1991年
函南SP2台、沼津SS、新居町SP、羽島SS、新関ケ原SS、五箇荘SP、東山SP2台
き電線の太線化を実施
ATき電線(AF)硬アルミ撚り線300㎟ 100℃で877A
変電所からの引出TF線 インバー電線320㎟ 230℃で1,462A
帰線の太線化を実施
SSやSP等のATポストに負荷電流が集中
吸上げ線 CV150㎟2本にCV200㎟1本追加
中性線(NW)変電所への引込 インバー線320㎟に取替
太線化に伴う架線柱の強化はヘビーコンパウンド架線化された際の鋼管ビームで対応済
1996年(平成8年)
3月16日:2-7-3ダイヤ
2001年(平成13年)
10月1日:東京 - 新大阪間の「ひかり」1本を「のぞみ」に置き換えることで「のぞみ」30分間隔に、3-6-3ダイヤ移行。
このころから静止形周波数変換器の綱島FCへの導入計画や沼津変電所の77kV母線にSVG(沼津変電所担当区間におけるき電電圧低下補償、並びに西相模FCに対する電力不平衡を目的)設置が計画される。
2002年(平成14年)
東北新幹線 新八戸変電所、新宮内変電所の電源脆弱地点にRPC(Railway static Power Conditioner)が導入される。JR東海は遅れを期す。受電電源が弱い場所の電源変動を抑えるためにはRPCが最適解なのにJR東日本に先を越された。(簡単に説明するとRPCはSVGを2台向き合せた構成である)
電鉄用単相電力補償装置 jstage pdf注意
RPCにはモードが三種あって電力融通モード、SVC-Vモード(電圧降下の電圧補償モード)SVC-Qモード(無効電力補償モード)がありSVC-V、SVC-Qを一つの装置できるSVCはJR東海がすでに1989年以降大高SSを最初に21ヶ所導入している。
2003年(平成15年)
10月1日:7-2-3ダイヤ 品川駅開業。
沼津変電所にSVG=StaticVarGenerater静止形無効電力発生装置(自励式静止形無効電力補償装置)を設置
周辺の供給電源が脆弱なため、また西相模周波数変換変電所から約50km離れているため77kV
の受電電圧の補償を想定して導入(これから考えると岩淵SSまでの自営送電線約80㎞は、FCが落ちた際の予備回線としての運用だったことが判る)
この22kV側がSVG部 いうなれば発振回路で変圧器の出力を上昇させる
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沼津77kV母線電圧の補償用 IVT1とIVT2および変圧器TR、フィルターFLで構成 22kV から昇圧77kV 変圧器を経て母線へ |
沼津のSVG=StaticVarGenerater静止形無効電力発生装置(自励式静止形無効電力補償装置)は、特に電源系の共振と運転時の電力損失が少ないことを目的としている。
2004年(平成16年)
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綱島周波数変換変電所における静止形変換機の並列接続運転
この4号静止形FCの特徴は高調波フィルター(FL)が入力側と出力側に入っている
SUC=Static Unbaianced Power Compensator 静止形不平衡電力補償発生装置
回転式周波数変換機の単相負荷の不平衡電力対応SUCで補償
この図だと新横浜SSに3回線で送電している
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回転式変換機との協調運転を実施。静止形は任意の位相で投入できるので、3台の回転式変換機を協調運転。増加分を静止形が受け持つ等の運転方法を検討している。
実用化 綱島周波数変換変電所 静止形の諸言 2004年
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1000tの回転式より起動および設置面積が小さい |
1. 力行(加速)回生(減速)に伴う瞬間負荷変動が大きい
2. 大容量単相負荷で回生も行なうためスコット結線変圧器の採用だけでは不平衡を軽減しきれず、大きな逆相電流が流れる。
3. き電開始時に大容量き電用変圧器の励磁突入電流、切替セクション通過時の車上変圧器に励磁突入電流が流れる。
ここに静止形周波数変換機を投入する理由は、起動時間が早い、変換効率が良い、同期投入が可能(回転式は、定常運転にならないと同期投入ができない)、回転式3台の同期投入の際に回転式の負荷電力が一定でないと並入りできないが静止形FCで肩代わりさせて同期投入を行ないやすくする。回転部がないので保守が容易、変圧器投入時等の瞬間過負荷も吸収を回転式に分担させるなど利点がある。
反面 過負荷耐性が無いことが大きなネックとなる。過負荷になる前にリミッターが働き系から解列してしまう。
2005年(平成17年)
3月1日:8-2-2 (3) ダイヤ 朝の上りと夜の下りは1時間あたり最大13本運転に。
のぞみ8本/hの運行のため1990~1996年、1998~2004年まで大規模な電源増強対策を実施してきた。
2007年(平成19年)
2007~2009年に掛けて、再び増強対策を行うことになった。のぞみ9本/hの運用を目標 これは1990年(平成2年)から行われていた電力増強対策が老朽化してきたため最新のエレクトロニクスを導入して改善を目的としている。実際は2017年(平成29年)に最後のRPCが岩淵SSに導入で最後
列車本数を増やすために、電車線電圧降下、電源電圧変動、送電線容量、変圧器容量、周波数変換機容量をシミュレーションしたところ、電車線電圧が20kVを切る区間があることが判明した。
そのための方策として以下の対策を行なうことになった。
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この工事施工箇所で電力補償装置新設とあるがSVCもSVGも電力補償装置であるので、どれを導入するのが不明だったがが別文献からRPCであることが判明 |
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場所と容量が一致 |
JR東海「東海道新幹線き電区分所における電力融通制御」(SP-RPC)の開発を行なっていることを論文発表。この時点ではシミュレーション装置での検討
2009年(平成21年)
3月14日:9-2-2ダイヤ 「のぞみ」がラッシュ時で最大9本、昼間の定期列車毎時4本運転に増発。新たに広島発着の「のぞみ」がN700系での運転となり、毎時2本の「のぞみ」がN700系での運転となる。
ダイヤが高密度化及びN700系投入による加速性能向上に伴う短時間での列車負荷電流増大のため沼津地区が電圧降下を起こすためTEPCO154kV50Hzを引き込み単相30kVの沼津FCが設備された。
沼津変電所に周波数変換装置(静止形)導入
703. JR東海 沼津周波数変換変電所と沼津変電所 新幹線 2018年記事
2007~2009年に掛けて、再び増強対策を行うことになったが行われた増強は
新磐田、新菊川、安城、栗東SS RPC導入沼津周波数変換変電所の運開と沼津変電所154kV受電 4番目
新横浜き電変圧器交換
鴨宮、大高SS SVCの改良
根府川SP 並列き電時の延長き電用断路器 負荷断路器に交換
2010年(平成22年)
3月13日:ダイヤ改正実施。山陽新幹線に直通する定期の「のぞみ」すべてがN700系で運用。
2011年(平成23年)
3月 新鳥飼変電所新設(RPC装置付加)
この鳥飼SSPで滞留新幹線によるエアーセクション停車・発車によるトロリ線切断事故発生
549. JR東海 新幹線 新大阪・京都 6月22日 架線
切断トラブル 考察 鳥飼SSP
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BTき電最後の時期は、新大阪SSからき電を、本線と鳥飼車両基地に行っていた。 その後本線き電は廃止、基地き電専門になったが1992年SVCが設置され本線に対応した。 |
新大阪SSは新幹線本線から離れたJR西日本城東貨物線そばにあり運転開始から48年経過してた。また吹田開閉所からの電力状況が弱いため運用に苦労していた。AT化と同時に基地き電専門になっていた。そのため新大阪SSを廃止し鳥飼車両基地内に新しい変電所を建設することになり、また基地き電を行なうため基地内同相き電が必要となったため最新のRPCを導入することになった。
本線き電時は新高槻変電所のき電を鳥飼SSPを通じてSVCモードでM座で電圧補償(新鳥飼SSのスコット結線変圧器は休止)。夜間は鳥飼SSPを切り離しモードを切り替えM座ーT座間の有効電力融通及び無効電力補償を行ないM座同相で基地内をき電している。そのためき電用変圧器の容量は大きくなく40MVAとなっている。この新鳥飼SSが東海道新幹線としての最後の更新変電所となっている。
この自励式電力変換装置の連係運転制御は電流制御が主体となっており、連係対象の電源が解列した場合 自励式電力変換装置の制御が発散する。つまり急激なインピーダンスの変化に対応できず、制御が不安定になる。系統に過渡的な電圧変動や電流変動が発生する。そのため自励式電力変換装置を速やかに停止させる必要がある。速やかに停止させないと繋がっている系統に周波数変動、電圧揺動が発生し伝播して次々に変電所が落ちていく。
2012年(平成24年)
2008~2009年新磐田、新菊川、安城、栗東SS RPC先行導入
2012年度から2022年度までの電源更新工事の内容 SVCを撤去 RPC導入が増えてくる |
3月17日:ダイヤ改正実施。東海道区間における定期の「のぞみ」すべてがN700系で運用。東京駅発18時・19時台に臨時「のぞみ」を1本ずつ追加設定し、各時間帯の「のぞみ」は最大10本(「ひかり」「こだま」と合わせると最大15本)の設定となった。
浜松町周波数変換機廃止 JR東海から施設返還 名実ともにJR東日本 浜松町交流変電所として運用 都心への重要拠点変電所
3月 JR東海 大井周波数変換変電所運開
266. JR東海 大井周波数変換変電所 記事訂正(新幹線)
2013年(平成25年)
2月 汐留補助き電区分所運開(汐留SSP)
2月8日:N700系1000番台(通称「N700A」、「A」は Advanced の略)6編成の営業運転開始(東海道区間のみ)
3月16日:ダイヤ改正実施。山陽新幹線直通列車に「N700A」を投入。新大阪駅27番線供用開始。東京駅発7時・8時・17時台に臨時「のぞみ」を1本ずつ追加設定。
東海道新幹線の省電力化及び輸送の安定性向上について JR東海プレスリリース4月24日
RPCの導入:2011年(平成23年度)~2017年(29年度) 7箇所
静止形切替用開閉器 への置き換え2013年(平成25年度)~2019年(31年度 )33箇所
2014年(平成26年)
静岡SSにRPC設置
3月15日:ダイヤ改正実施。新大阪駅西側の引上線が2線から4線に増強され、「のぞみ」の1時間あたり最大10本運転が可能な時間帯が東京駅発7時台 - 20時台に拡大されるとともに、上りについても新大阪駅発6時台 - 19時台に導入。
電力補償装置及び綱島、西相模の回転式FC各1台を静止形FCに更新する工事開始
今までは綱島FCと西相模FCの発電線圧の位相が異なることから連係はせず、独立して運転していた。区分点は平塚SSとなる。これを綱島FC及び西相模FCが連係運転できるよう改良。
綱島FC静止形1号及び西相模静止形3号(新しく導入する変換器)の制御は沼津FCで初めて採用された静止形変換器の出力を交流電圧制御により決定し固定力率で運転する制御を導入。これにより残っている回転式変換機と連係して安定に運転することが可能となった。
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交換するFC 綱島FCは既に2001年静止形周波数変換器に交換されている |
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綱島1号静止形周波数変換器は4号とは違い高調波フィルターが入っていない これが後で問題を起こしている |
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西相模FCの3号静止形周波数変換器の詳細は調べてない |
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西相模FCと綱島FCの連係運転の例 |
連係となるとすべてのFCは同じ位相で電力を送っていることになる。き電線のリアクタンスの関係で若干の電圧相差角は発生するがT座‐T座、M座‐M座のき電区分所での並列き電は可能だろう。連係から完全に岩淵SSは外されている。西相模FCからの距離が長いためだが西相模FCが落ちた場合は沼津SS・沼津FCで賄いきれないための保険のため残してあると思う
2015年(平成27年)
3月14日:ダイヤ改正実施。「のぞみ」の一部列車で285 km/h運転開始、東京 - 新大阪間が最速2時間22分に短縮[82]。
2016年(平成28年)
熱海SS、岩淵SS、新高塚SS、新枇杷島SS、新米原SS、五箇荘SPにRPC設置
2019年(令和元年)
12月1日:この日をもって700系の定期運用を終了[179][180]。
2020年(令和2年)
大高SSに設置したSVCを除いてすべてのSVCを撤去。RPCとSVGだけの運用となる。
3月14日:ダイヤ改正実施。東京オリンピックとパラリンピックの開催に伴う訪日外国人旅行者の増加を見据え、「のぞみ」の運行本数を1時間あたり2本増やし最大で1時間あたり12本を運行。「ひかり」と「こだま」を含めると1時間に17本が走ることになった。がコロナ禍のため減便
2021年(令和3年)
3月 西相模FCの静止形FC運転開始
東海道新幹線 西相模周波数変換変電所の静止型化について 2021年5月28日発表
以下引用
西相模周波数変換変電所と回転型FCを有する綱島周波数変換変電所が
連系しながら最適に電力供給する技術を開発しました。これにより、瞬間的な大電流が流れた場合は、綱島周波数変換変電所の回転型FCからの電力供給に切り替えることができ、西相模周波数変換変電所は全て静止型FCに置き換えることが可能となりました。
引用終わり 2027年運開予定 約200億円
2022年(令和4年)
3月 綱島FCの静止形FC運転開始
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2011年より行われた電力補償装置更新の結果 2021年に終了 清水SSと枇杷島SSにはRPCが2台あるが、北陸新幹線 新黒部SSにも2台並列で設備されている。これによりSVCの集約を行ない力率≒1電車運行時の電力損失がなくなっている。 |
新幹線の切替セクション 持永 芳文 2022年4月 静止形と真空形の比較について解説
新幹線車両による架線電圧を維持する機能の開発について 2022年6月16発表
まさに走る変電所
以下引用
N700S車両に搭載する主変換装置のソフトウェアを改良することで、これまで
地上の電力補償装置などで実現してきた架線の電圧低下を抑制する機能を車両で実現し、架線電圧を維持することができる機能を開発しました。
引用終わり 2023年2月まで機能確認試験終了
なんど読んでも原理が判らない。どうやら 電圧低下は、き電線のリアクタンスの存在と電源電圧位相を基準にした際の遅れた電流位相差により生じるので、電流の位相遅れをできるだけ少なくすることで改善ことらしい。この位相を進ませる作用を車上の自励式変換装置のソフト改修により実現するようだ。車上で進み無効電流を供給して遅れを帳消しにするようブログラムを組み替える。
2023年(令和5年)
東海道新幹線 すべての周波数変換装置の静止型化について 2023年5月24日
以下引用
①
架線の地絡等が発生した際でも電力供給を継続できるように、静止型FCを制御して該当する回線の電圧を急激に下げ、電流を抑制する技術を開発(世界初の技術(特許取得済))
②
ダイヤ乱れ等で列車が集中する場合、過負荷の発生を事前に予測し、回避するために必要な加速制限を自動的に算出する技術(世界初の技術(特許出願済))
2032年度末
新3号静止型FC(綱島) 運用開始予定
2037年度末 新2号静止型FC(綱島)
運用開始予定
⇒2037年度末をもってすべてのFCの静止型化完了
工事費 :約268億円
引用終わり 約14年計画
「東海道新幹線 すべての周波数変換装置の静止型化について」 内容の一部訂正について 2023年6月28日
2024年(令和6年)
東海道新幹線 N700Sの追加投入について 2024年6月14日
どうやら「新幹線車両による架線電圧を維持する機能」の技術が確立したようだ。
以下引用
引用終わり
まとめ
き電用変電所 : 22ヶ所
き電区分所 : 19ヶ所
補助き電区分所 : 14ヶ所(本線上は10ヶ所、鳥飼、名古屋、浜松、三島で4ヶ所)
ATポスト : 1ヶ所(多摩川き電区分所に4台置けないため鶴見川ATポストに2台)
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初倉SN1 ジャンパ線が繋がっていない |
片送りき電と思われる箇所
1.新磐田SSー新菊川SS 掛川SSP←疑義発生中
掛川SSPなので普通は並列き電と判断される。しかし新磐田SSが154kV受電変更となっている。過去は新磐田SSー新菊川SS間は77kVの連絡送電線があった時期は並列き電だったが2008年から受電変更で上位変電所が違うとこから受電している。
この異系統受電を行なうと電圧相差角が大きくなり並列き電できなくなる。掛川SSPは電圧相差角の差がある電源突合せはできない。SSPなのでこの場合どちらかの変電所から片送りき電を行ない掛川SSPをスルー化(延長き電)させる措置が必要となると考えていた。
新菊川SSも磐田SSもRPCが設備されているので片送りによるスコット結線変圧器のM座T座の不平衡は補償できる。
新磐田SSが154kV受電で短絡容量も大きい変電所からの受電なので新磐田SS→新菊川の片送りが妥当だろうと当初考えていたが掛川SSPの東京方き電中のエアーセクション上部とトロリ線上部のき電線に「異電源注意」の表示がある。 片送りなら同じ電源のはず。つまりRPCで電圧相差角の差が無い電源を両送りで協調運転で供給していることになる。これ本当? 解決 エアーセクションとSSP間の距離が離れているのでその間が異電源となっている。
2.岩淵SSー沼津SS 吉原SP
吉原SPがSNのき電線も外されてSSP化されている。沼津SSは、西相模FCの末端変電所でもあり綱島・西相模の連係運転もされている。また沼津FCも稼働している。この沼津FCも連係運転していると制御の行い易さから154kV受電の岩淵SSからの片送りが妥当だろう。RPCも設備されているので片送りによるスコット結線変圧器のM座T座の不平衡は補償できる。
BTき電時の77kV受電の古い時代は、送電系統も共通だった箇所が多く積極的な並列き電が行われていたがATき電に替わって上位変電所が154kV、275kV受電に替わり並列き電が行われなくなっている。
参考資料
Wikipedia 東海道新幹線 年表部分引用加工
これら資料はNDLの個人送信サービスに登録すると内容が見られる。NDLに無い資料もある
広岡 徹;東海道新幹線の電車線電圧:電気鉄道,Vol.13,No.3,pp.2-4,1959
長山 徳幸;綱島4号静止形周波数変換装置新設に伴う運転方法について:JR東海旅客鉄道株式会社技術情報,2002,Vol.15,pp.11-15 NDLに無
甲斐 正彦;東海道新幹線電源設備増強工事の概要:鉄道と電気技術Vol.18,No.4,pp.13-16,2005
小柳 明大ら;東海道新幹線き電区分所における電力融通制御:JREA Vol.51,No.10,pp.35-38,2008