交流電化については、先に仙山線での交流電化試験(1954年~)が進めら電化工事が行われていたが、同時にその成果を利用して北陸本線での交流電化工事も進められていた。
当初の北陸本線電化開業が1957年10月に先に決められてしまったが、どちらが先かで競争が起こったそうで、先に交流電化試験が行われ苦労を積んでいた仙山線が北陸線交流電化前に辛くも先に交流電化発祥の地となった。
1011. 国鉄 仙山線試験線区へのき電 仮設変電所 北仙台変電所
仙山線交流電化(作並で交直地上切替・仙台-作並28.7km)1957年9月5日←この半端な日付がその当時のドタバタを表している。 北仙台変電所1ヶ所でき電
北陸本線交流電化(田村-敦賀41.2km)1957年10月1日←先にリークされてしまった
変電所2ケ所 変電所間の異相き電区分のデッドセクションは、エア―セクション(中セクション)を持つ形であったが、その後現在のデッドセクションになっている。
田村SS--敦賀SS間の中間部 木ノ本デッドセクション(中セクションを持つ)
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常時無加圧部の長さは24m もし機関車が無電圧区間で停止した場合は、前方電源で遠制遮断器を加圧して出発できるようにしていた。その後現在の異相区分デッドセクションに交換
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この現在の
異相区分デッドセクション方式を検討したのが東北本線の豊原「区分所」(き電区分所ではない)である。
327. JR東日本 豊原区分所(BTき電・交流)
今では、先に営業運転に入った交流電化発祥の地(50Hzで最初)としてとして作並に碑があるが、北陸本線 敦賀駅にも交流電化発祥の地(60Hzで最初)の碑がある。
さて北陸本線の交流電化は、その後
1960年 田村-米原が交直切替化
(それまでは非電化区間を機関車付け替えでけん引していた)
1964年 敦賀-富山が交流電化(糸魚川以北のトンネル計画開始)
1965年 富山-糸魚川が交流電化
1966年 糸魚川-直江津間の新線計画(トンネル・直流化)が開始される
1969年 糸魚川-直江津が交直切替(デッドセクションは車上切替・現在の形)
となった。
当初の計画では田村-糸魚川間が交流電化で計画され変電所間隔は約30㎞ 中間の約15㎞にき電区分所、15㎞より長い部分には補助き電区分所が設けられていた。
越中宮崎SS-青海SS間は約17kmであり、さら交流区間に延長できたわけだが、北陸本線は、この先海沿いの旧線を避けトンネルによる新線計画があり、交流電化するとトンネル径を絶縁距離確保のため大きくしなければならなかった。また糸魚川-直江津間の新線工事を待って富山-直江津の電化工事を行った場合さらに電化が遅れることに成り、そのため糸魚川までの交流電化で先に工事が進められた。また糸魚川は、大糸線の終端であり、越中宮崎から直江津の間で唯一平地が広がる部分であり留置線、機関庫などを置けるスペースが確保できた。その結果最終変電所が青海に設けられた。
青海変電所は単相き電で糸魚川先のデッドセクションまでを受け持っているが、越中宮崎変電所が落ちた場合の魚津変電所からの延長き電を越中宮崎変電所突合せができるようになっている。(但しノッチ制御が入るであろう)
1267. 北陸巡検06 あいの風とやま鉄道 越中宮崎変電所
786. えちごトキめき鉄道 青海変電所(AC端)日本海ひすいライン(旧北陸本線)
それでは、逆に直流電化区間を富山寄りに移動する方策もあったはずである。北陸本線新線化(直流)では有利な方策であったが、とにかく早く北陸本線を電化したい場合、糸魚川の富山方を見た電源事情は、青海まで引かれていたのは、はるばる北陸電力の境川第二変電所兼発電所からの60Hz1回線、黒部川電力の66㎸回線60Hz1回線のみあった。
梶屋敷SSから10㎞(直流変電所は約10㎞間隔)の地点は青海変電所がある場所。さらに10㎞で
親不知。さらに10㎞で越中宮崎。ここまで海岸沿いの狭隘な場所を線路は経由している。
直流変電所が少なくとも3ケ所以上必要になる。
これらを賄える強力なバックボーンをもった変電所(154㎸降圧66㎸)が近傍になかった。越中宮崎付近に直流変電所を設けた場合、現在供給を受けている境川第二変電所兼発電所が強力である。(石曾根開閉所にはデンカ用の50Hz154kV降圧66㎸変電所が併設されているがデンカのカーバイト炉用の降圧施設である)
越中宮崎から糸魚川方の送電系統図は以下の通り
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1969年当時 糸魚川周辺 デンカ(電気化学)は黒部川電力青海変電所から66㎸60Hz
1回線受電と東北電力石曾根開閉所から50Hz 154㎸受電、この154㎸は、黒部川電力姫川第7発電所、東北電力大所川第1~3発電所から送られてきており最終的には東北電力上越変電所50Hz(基幹変電所)に繋がっている。
つまり糸魚川あたりに東北電力の154㎸降圧66㎸があれば直流化も可能だったのだが、糸魚川周辺は50/60Hz混在地区であり60Hzが主流なので鉄道変電所のために降圧変電所を新設する意義がない。ならば154㎸受電の直流変電所を国鉄が設け各国鉄変電所間を連絡送電線で結べばればよいのだが、国鉄としては費用を抑えたいのが本音であろう
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国鉄常務会での交流電化の検討資料がNDLの個人宛検索表示で引っかかる。
ここには、もっともらしいことも書かれているが現場としては鬱々とした気分だろう
国立国会図書館デジタルコレクション 送信サービスで閲覧 IDとPassWord必要
JREA Vol.7,No.4 1964 原本