2023年3月29日

1292. 奥羽本線 新庄-大曲間 非電化化についての考察

Webサイト 「4号車の5号より」に

 奥羽本線大曲~新庄間で「非電化」の構想(労組資料)が載っていたので電源側から見た考察をおこなった。(引用記事の元トピック:奥羽本線大曲~新庄間で「非電化」の構想(労組資料)

JR東日本正式発表

奥羽本線 新庄~院内駅間 復旧状況と運転の見通しについて 2024年10月18日発表

以下一部引用

運転再開時には、サステナブルで災害を受けてもより早期復旧が可能となる鉄道として、
電気式気動車(GV-E400 系)を導入し、電車線(架線)設備を順次取り外します。

引用終わり

1390. JR東日本 発表「奥羽本線 新庄~院内駅間 復旧状況と運転の見通しについて」2024年10月18日を読んで雑に考察

この発表では新庄ー院内駅の非電化化が明確に示されている。



以下は新庄-大曲間 非電化化についての考察

以下のき電・変電設備が不要となる。非常にハードルの低い非電化化である

4 ATP・変圧ポスト (十文字、三関、及位、泉田)

     990. JR東日本 奥羽本線 泉田ATP?もしくはAT309

4 SSP・補助き電区分所 (横手、湯沢、釜淵、真室川)

     989. JR東日本 奥羽本線 真室川補助き電区分所(SSP) 補助き電区分所なのにデッドセクションがある補助き電区分所(SSP)


1 SS 院内変電所 国鉄初・在来線(現JR東日本)の275㎸受電の院内変電所が不要と
    なり超高圧受電の設備点検(経産省管轄)が不要になる。 



 大曲き電区分所での院内系の分離で設備削減(院内系だけ設備廃止 秋田SS-田沢湖SSの突合せ設備は残る)


全般
 貨物列車はとうの昔に運行停止。沿線の住民人口は低下 周辺は限界集落が散在している現状では、電化路線維持の意味がない。キハ系、GV系にしても問題はない

 新庄以降のミニ新幹線の話もあるが沿線の一部自治体での論議であり採算性を考えると実現は不可能であろう。

 新庄き電区分所が山形線の末端になることについての考察


  AT電化区間の末端ATPとなるだけ。羽前千歳変電所が落ちた場合の院内変電所からの延
 長き電が行われなくなる。(めったにない事案)

     秋田新幹線への影響は、秋田変電所-大曲き電区分所-田沢湖変電所の突合せの変更がないので特段の問題は発生しない。



結論 
 電源側の特段の問題は発生しない。経費削減効果は大(但し院内変電所の変圧器を最新のルーフデルタ結線変圧器に変更しているので設備の償却残を欠損として計上)

2023年3月25日

1291. 北陸本線電化 電源側から見た交直切替地点 糸魚川-えちご押上ひすい海岸間になった訳(私見)

  交流電化については、先に仙山線での交流電化試験(1954年~)が進めら電化工事が行われていたが、同時にその成果を利用して北陸本線での交流電化工事も進められていた。

 当初の北陸本線電化開業が1957年10月に先に決められてしまったが、どちらが先かで競争が起こったそうで、先に交流電化試験が行われ苦労を積んでいた仙山線が北陸線交流電化前に辛くも先に交流電化発祥の地となった。

1011.  国鉄 仙山線試験線区へのき電 仮設変電所 北仙台変電所

 仙山線交流電化(作並で交直地上切替・仙台-作並28.7km)1957年9月5日←この半端な日付がその当時のドタバタを表している。 北仙台変電所1ヶ所でき電

 北陸本線交流電化(田村-敦賀41.2km)1957年10月1日←先にリークされてしまった
変電所2ケ所 変電所間の異相き電区分のデッドセクションは、エア―セクション(中セクション)を持つ形であったが、その後現在のデッドセクションになっている。

田村SS--敦賀SS間の中間部 木ノ本デッドセクション(中セクションを持つ)

常時無加圧部の長さは24m もし機関車が無電圧区間で停止した場合は、前方電源で遠制遮断器を加圧して出発できるようにしていた。その後現在の異相区分デッドセクションに交換

この現在の異相区分デッドセクション方式を検討したのが東北本線の豊原「区分所」(き電区分所ではない)である。
327. JR東日本 豊原区分所(BTき電・交流)

 今では、先に営業運転に入った交流電化発祥の地(50Hzで最初)としてとして作並に碑があるが、北陸本線 敦賀駅にも交流電化発祥の地(60Hzで最初)の碑がある。

さて北陸本線の交流電化は、その後

1960年 田村-米原が交直切替化
    (それまでは非電化区間を機関車付け替えでけん引していた)   

1964年 敦賀-富山が交流電化(糸魚川以北のトンネル計画開始)    

1965年 富山-糸魚川が交流電化   

1966年 糸魚川-直江津間の新線計画(トンネル・直流化)が開始される

1969年 糸魚川-直江津が交直切替(デッドセクションは車上切替・現在の形)

となった。

 当初の計画では田村-糸魚川間が交流電化で計画され変電所間隔は約30㎞ 中間の約15㎞にき電区分所、15㎞より長い部分には補助き電区分所が設けられていた。

 越中宮崎SS-青海SS間は約17kmであり、さら交流区間に延長できたわけだが、北陸本線は、この先海沿いの旧線を避けトンネルによる新線計画があり、交流電化するとトンネル径を絶縁距離確保のため大きくしなければならなかった。また糸魚川-直江津間の新線工事を待って富山-直江津の電化工事を行った場合さらに電化が遅れることに成り、そのため糸魚川までの交流電化で先に工事が進められた。また糸魚川は、大糸線の終端であり、越中宮崎から直江津の間で唯一平地が広がる部分であり留置線、機関庫などを置けるスペースが確保できた。その結果最終変電所が青海に設けられた。

 青海変電所は単相き電で糸魚川先のデッドセクションまでを受け持っているが、越中宮崎変電所が落ちた場合の魚津変電所からの延長き電を越中宮崎変電所突合せができるようになっている。(但しノッチ制御が入るであろう)

1267. 北陸巡検06 あいの風とやま鉄道 越中宮崎変電所

786. えちごトキめき鉄道 青海変電所(AC端)日本海ひすいライン(旧北陸本線)

 それでは、逆に直流電化区間を富山寄りに移動する方策もあったはずである。北陸本線新線化(直流)では有利な方策であったが、とにかく早く北陸本線を電化したい場合、糸魚川の富山方を見た電源事情は、青海まで引かれていたのは、はるばる北陸電力の境川第二変電所兼発電所からの60Hz1回線、黒部川電力の66㎸回線60Hz1回線のみあった。

 梶屋敷SSから10㎞(直流変電所は約10㎞間隔)の地点は青海変電所がある場所。さらに10㎞で 親不知。さらに10㎞で越中宮崎。ここまで海岸沿いの狭隘な場所を線路は経由している。 直流変電所が少なくとも3ケ所以上必要になる。 これらを賄える強力なバックボーンをもった変電所(154㎸降圧66㎸)が近傍になかった。越中宮崎付近に直流変電所を設けた場合、現在供給を受けている境川第二変電所兼発電所が強力である。(石曾根開閉所にはデンカ用の50Hz154kV降圧66㎸変電所が併設されているがデンカのカーバイト炉用の降圧施設である)

越中宮崎から糸魚川方の送電系統図は以下の通り

 1969年当時 糸魚川周辺 デンカ(電気化学)は黒部川電力青海変電所から66㎸60Hz 1回線受電と東北電力石曾根開閉所から50Hz 154㎸受電、この154㎸は、黒部川電力姫川第7発電所、東北電力大所川第1~3発電所から送られてきており最終的には東北電力上越変電所50Hz(基幹変電所)に繋がっている。
 つまり糸魚川あたりに東北電力の154㎸降圧66㎸があれば直流化も可能だったのだが、糸魚川周辺は50/60Hz混在地区であり60Hzが主流なので鉄道変電所のために降圧変電所を新設する意義がない。ならば154㎸受電の直流変電所を国鉄が設け各国鉄変電所間を連絡送電線で結べばればよいのだが、国鉄としては費用を抑えたいのが本音であろう

国鉄常務会での交流電化の検討資料がNDLの個人宛検索表示で引っかかる。

ここには、もっともらしいことも書かれているが現場としては鬱々とした気分だろう
国立国会図書館デジタルコレクション 送信サービスで閲覧 IDとPassWord必要
JREA Vol.7,No.4 1964 原本

動力近代化と交流電化 / 森垣常夫/p2~7

JREA Vol.40,No.9 1997 日本鉄道技術協会創立50周年 過去特集

1964(S.39)4 動力近代化と交流電化 / 森垣常夫/p23~28

                                                                                                                                     
越中宮崎SS(交流)-17㎞-青海SS(交流)-10㎞-梶屋敷SS(直流)-10㎞-能生SS(直流)-10㎞-名立SS(直流) 各変電所間の距離間隔

787. えちごトキめき鉄道 えちご押上ひすい海岸(新駅誕生・糸魚川)・梶屋敷間 交直デッドセクション 日本海ひすいライン(旧北陸本線)

788. えちごトキめき鉄道 梶屋敷変電所(DC端)日本海ひすいライン(旧北陸本線)

1268. 北陸巡検07 えちごトキめき鉄道 能生変電所 直流

1269. 北陸巡検08 えちごトキめき鉄道 名立変電所 直流

参考資料
北陸本線糸魚川・直江津間電化工事記録 日本国有鉄道大阪電気工事局, 1970
飯田真ら;北陸本線電化のあゆみ:電気鉄道Vol.23,No.10,pp.2-15,1969
中村義男;北陸本線 糸魚川電力区より(現場の話):Vol.23,No.10,pp30-32,1969                                                                                                                                                                                                                


2023年3月20日

1290. 東北巡検12 JR東日本 日詰き電区分所 (延長き電中・上下タイき電中)

 日詰き電区分所

 
アプローチ:紫波中央駅(新しくできた駅) 
き電区分:盛岡SS-日詰SP-二枚橋SS



二枚橋SS方上下タイき電用断路器261

上下タイき電用断路器261「入」赤

手前 延長き電用遮断器254 奥 延長き電用断路器253
左 タイき電用断路器261 
遮断器254二枚橋SS方から分岐して遮断器253の二枚橋方に繋がる

 手前 遮断器254 延長き電中 「入」赤

奥 遮断器253 延長き電中 「入」赤


遮断器254両端の断路器も閉路(遮断器253も同様)

遮断器254の裏側 赤のキャップが付いているのはVT(電圧計)その左避雷器

遮断器253の裏側 透明のキャップが付いているのはVT(電圧計)その左避雷器




延長き電用遮断器はすべて閉路

タイき電用遮断器261は、二枚橋方上下をタイき電

線路側にき電線が伸びる

左 盛岡方上り 右 二枚橋方上り


下り 盛岡方面 デッドセクション

拡大 下り 盛岡方面 デッドセクション

上り デッドセクション 標識は信号の横に見える 奥 紫波中央駅

車中から上り方 デッドセクション

側道から 上り方 デッドセクション
奥の架線柱は新幹線

拡大



2023年3月16日

1289. 東北巡検11 IGRいわて銀河鉄道 渋民き電区分所(延長き電中・上下タイき電中)

 渋民き電区分所

 
アプローチ:渋民駅 
き電区分:盛岡SS-渋民SP-沼宮内SS

延長き電中のき電区分所は、

1262. 北陸巡検01 あいの風とやま鉄道 水橋き電区分所(延長き電中・同位相) 

で初めてお目にかかった。

 この時は片方の変電所しか確認してないので並列き電かは確認してない。今回は、渋民SPの両端の変電所(沼宮内、盛岡)を観察できた。

沼宮内変電所では、通常のき電状態であった。


IGRいわて銀河鉄道は門柱が立派

手前 タイき電用遮断器(261・盛岡方タイき電中)
しかし延長き電中なのでデッドセクション両端は、タイき電になる
奥延長き電用遮断器(253,254)


延長き電用遮断器両端の断路器も閉路

261遮断器 「入」赤

253遮断器 「入」赤


254遮断器 「入」赤


VT、避雷器をへてトロリ線に繋がる

最終き電断路器 過電流表示器が付いている

過電流表示器
線路に流れる過電流及び短絡電流を検出して表示し、
一定時間経過後、自動的に復帰する機能をもつ過電流表示器です。


全体の構成

き電線引出部
左 下り方デッドセクションへ
右 上り方デッドセクションへ

避雷器


上り線 デッドセクション

上り線 デッドセクション

下り線 デッドセクション

下り線 デッドセクション

ポリマ碍子を使用したデッドセクション
浅虫き電区分所から、ここまですべてポリマ碍子を使用している


2023年3月9日

1288. 東北巡検10 IGRいわて銀河鉄道 沼宮内変電所

 沼宮内変電所

 
アプローチ:岩手川口駅 
受電:東北電力 葛巻開閉所⇔北盛岡変電所間223E (沼宮内線)分岐223N(IGR沼宮内支線)
   66㎸ 1回線受電 
き電範囲:渋民SP—沼宮内SS—奥中山SP 渋民方T座(盛岡SS) 奥中山方M座(一戸)
 奥中山SPは、IGRいわて銀河鉄道で一番標高が高いところであるので、両端の沼宮内、一戸SSは設備増強を行っている。
 沼宮内SS—奥中山SP間には、かつて御堂補助き電区分所があったが、廃止されている。


IGRいわて銀河鉄道は門柱が立派

223E (沼宮内線)分岐223N(IGR沼宮内支線)
   66㎸ 1回線受電 

最終受電鉄構 下に断路器、遮断器

右から受電、断路器、遮断器、MOF、MOFの上は、所内受電母線
所内受電母線からは、スコット結線変圧器、高配用変圧器、避雷器に分岐


MOF

所内受電母線から左 高配用変圧器 右 避雷器へ

所内母線から左 高配用変圧器(断路器を経て)

高配用変圧器66㎸降圧6.6㎸

スコット結線変圧器

スコット結線変圧器 二次側

受電母線 奥に直列コンデンサと力率改善用リアクトルとコンデンサ
手前 き電断路器と、遮断器

M座 直列コンデンサ

T座 直列コンデンサ

所内変圧器はM座から分岐


力率改善用リアクトルとコンデンサ(放電コイル内蔵)

リアクトル銘板


コンデンサ銘板(放電コイル内蔵)

受電母線から断路器を経てき電用遮断器


き電用遮断器211~214は、すべて「入り」





右 き電用遮断器から断路器をへて最終き電鉄構へ

上下タイき電用断路器61,62Rは開路

VT(電圧計)、避雷器をへてトロリ線へ
き電部 全体の配置


一戸上下 上り方  奥中山方M座(一戸)

盛岡上下 下り方 渋民方T座(盛岡SS) 

き電線 線路側に引き出し
下り方デッドセクションは右へき電線が伸びる(盛岡SS方)渋民方T座(盛岡SS) 
上り方デッドセクションは右へき電線が伸びる(一戸SS方)奥中山方M座(一戸)


下り線 デッドセクション 車中から

下り線方 デッドセクション

変電所より奥中山き電区分所へき電 上り線

上り線方 デッドセクション

上り線 デッドセクション EH500-42通過中





JR四国 本四備讃線(瀬戸大橋)で架線切断で立ち往生

1394. JR四国 本四備讃線(瀬戸大橋)で架線切断で立ち往生 2024/11/10 随時記載

 NHKによると以下引用 JR瀬戸大橋線で列車が立往生 架線断線 車内に乗客約150人  11/10  以下引用  10日午前、JR瀬戸大橋線で架線が断線し、高松発岡山行きの快速列車が瀬戸大橋の上で立往生し、5時間あまりにわたって乗客およそ150人が列車内に残さ...

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