大宮以北の東北本線が電化されたのが昭和33~34年にかけてであった。その当時大宮変電所の次の変電所は蓮田であり、順に久喜、栗橋、間々田、小山、小金井、雀宮、宇都宮であり電化営業開始は昭和34年4月14日であった。
その当時 東北本線沿いに適当な東電の送電線66㎸がないため自営送電線を引いている。
1956年の計画時は国鉄掛川変電所と東電小山変電所、および東電雀宮線から受電を計画してた。定位は東電小山変電所で両方向に送電し、桶川変電所、東電雀宮線は予備としていた。
変電所間隔は10㎞。また矢板変電所に東電片岡開閉所から154㎸を導入して宇都宮以南の電源としていた。矢板変電所からの66㎸送電線は、将来宇都宮以北が電化されるこを考慮して経路が決められていた。つまり矢板変電所からの154㎸降圧66㎸を蓮田-黒磯間に給電していた。
当初の矢板変電所の154㎸降圧66㎸変圧器は小千谷発電所から移設さてたものを使用している。途中小山変電所で予備電源として東電小山変電所からの66㎸1回線受電を行えるようにしていたが、矢板変電所で降圧された66㎸と高崎線桶川変電所からの66㎸1回線を各変電所(蓮田、久喜、栗橋、間々田、小山、小金井、雀宮、宇都宮)は受電していた。
自営送電線の長さは123㎞ 鉄塔533基、木柱9基、1.6㎞の地中送電線路(桶川周辺)で蓮田-矢板を繋げた。
国鉄自営送電線網 蓮田-矢板-黒磯間 |
矢板変電所の154㎸降圧66㎸の変圧器容量は10,000㎸A結線はY-Y-Δ結線で二次側中性点は中性点抵抗器と消弧リアクトルが設備されている。三次巻き線はコンデンサ(0.5μF)を介して接地されていた。東京電力の電力計(MOF)は66㎸側に置かれている特殊な使い方である。現在も同じ構成である。
国鉄自営送電線網 蓮田-矢板-黒磯間別資料 点線内変電所は矢板以外建設中 |
この図で東小山変電所と書かれている変電所は現小山変電所である。
東小山変電所は、旧猪苗代幹線154㎸受電をしていた。 日立評論1960年9月号:東京電力株式会社北東京変電所納配電盤 リンク また1960年以前の1951年の関東配電株式会社の送電系統図にも同様に旧猪苗代線が東小山変電所に繋がり京北変電所まで伸びている。1951年5月関東配電は東京電力となっている。
|
東小山変電所に旧猪苗代幹線が繋がる 国立国会図書館デジタルコレクションより引用 電源開発株式会社調査資料 特輯 電源開発, 1958-02 |
宇都宮以北の変電所は宝積寺、蒲須坂、矢板、西那須野、黒磯であった。昭和33年4月には矢板変電所からの自営送電線で宇都宮まで送電されていた。
宝積寺までの電化が昭和33年12月15日
黒磯までの電化が昭和34年5月22日
交直切替設備が黒磯に完成して昭和34年7月1日白河まで交流電化された。
今回の自営化送電線切替 TEPCO電源は、鉄塔(昭和33~34年建設)劣化、送電線下の市街地化、送電線の保守点検の煩雑さを踏まえたものと考えられる。
自営化からTEPCO受電への切り替えに置いての原則は、小金井、雀宮、宇都宮変電所の切替工事を見て感じることは
1.自営新設送電線鉄塔は建植しない2.自営送電線路の鉄塔は使わない
3.市街地内は地中送電線路を経由しての受電とする
4.田畑を経由する場合TEPCO負担で新設鉄塔の建植をさせる
5.受電用キュービクルはGIS型で一括発注して価格を下げる
などがあると感じる。
1034. JR東日本 小山変電所から 矢板変電所経由 黒磯変電所までのJR送電線 TEPCO乗換の現実 黒磯変電所まで
上の記事で宇都宮以北のTEPCO受電の可能性を考えてみた結果が以下のようになっている。
以下は想像 (無理やりTEPCO受電をするとしたら)赤は今回書き込み宝積寺は近傍に66kV TEPCO送電線がないので宇都宮変電所からの延長給電
蒲須坂変電所は、TEPCO喜連川線からの受電
Webを徘徊するとTEPCO喜連川線で確定(喜連川線は栃那線No.101鉄塔で烏山線と繋がる)
JR東日本矢板変電所は、154kV受電廃止 TEPCO矢板変電所からの地中送電線路へ変更
JR東日本西那須野変電所は、TEPCO西那須野線から受電
東北本線宇都宮福島間電化工事記録
日本国有鉄道東京電気工事局 編-- 日本国有鉄道東京電気工事局 -- 1958