上星川変電所
相鉄グループ 事業案内より引用 |
アプローチ:上星川駅 容易 横断歩道協から俯瞰
受電
TEPCO 保土ヶ谷線 66kV 2回線
受電設備 GIS
変成設備 4,500kW×2台
高配 1台
沿革
1942年(S17)星川(現上星川)変電所 新設 相模鉄道電化開始600V
電動発電機機(交流電動機で直流発電機を駆動)200kW×3 600kW
横浜⇔西谷間電化 600V
不足電力は、東京急行電鉄高島変電所から600V融通受電
1946年(S21)星川変電所閉鎖 全線1,500V化のため
1946年(S21)~1949年(S24)
横浜⇔二俣川間 1,500V 星川変電所廃止
東京急行電鉄京浜支店(現京浜急行電鉄)から1,500V融き受電
1943年(S18)~1949年(S24)
東京急行鉄道新宿営業局(小田急)からの1,500V融通き電
海老名⇔相模大塚
相模大塚⇔二俣川
これら2つの他社からの融通き電が終了後
1952年(S27)星川開閉所を開設 予備電力を導入 但し年表では1949年(S24)から運開 1964年に閉鎖されている(西横浜変電所移転増強時)
さて1,500V電源をどこから導入してきたかは、1947年(S22)国鉄と常時電力融通契約を締結しているので国鉄からの導入であろう。国鉄の資料を調査すると、直流融通電力一覧表に
1.二俣川変電所故障時(非常時)横浜ー海老名間融通
2.国鉄貨物線乗り入れ(常時)横浜-保土ヶ谷
電力融通を行う場合は、高速度遮断器を設備、電力の計量は積算電力計を設けることになっている。つまりこの星川開閉所は、国鉄からの常時融通電力を受ける為に設けられたものと思われる。
その後
西谷⇔横浜間は、二俣川⇔西横浜変電所でき電していたが電圧降下、かつ電源容量
を確保して安定した電力容量を確保が必要となった。
1984年(S59)上星川変電所 新設 全GIS化 シリコン整流器4,500kw
1986年(S61)シリコン整流器4,500㎾増設
現在に至る(年表からの引用)
保土ヶ谷線 66kV 2回線受電 |
ケーブルヘッドから引き下される受電ケーブル |
保護装置 |
両側が変成設備、中央が高配変圧器 66kV降圧6.6kV |
シリコン整流器4,500kW |
整流用変圧器 4,950kVA 整流用変圧器の1割増し |
き電線引き出し部 |
き電線 西谷方上下、西横浜方上下 高配も同じ引き出し |
それぞれの方向にき電線と高配が延びる |
小林 宏;相模鉄道二俣川変電所における教育訓練:鉄道と電気技術,VOl.19,No.1,pp.24-27,2008
日本国有鉄道編;鉄道技術発達史 Ⅳ 第3編 電気 直流融通