2018年6月14日

815. 長野電鉄 中野変電所 Compleat

中野変電所


グーグルマップで表示名がでるが、変電区と表示
アプローチ:信州中野駅 容易
き電は、πき電方式
受電:中部電力 60Hz 22kV

信州中野駅 湯田中方にセクションを重ねた区分セクション有、一見すると直直デッドセクションのようだが詳しく見るとセクションを交互に設置してエアーセクションのような使い方をしている。
セクションの材質は「木」 セクションの標識見当たらず

大正時代に作られた建屋を使用。近傍の中部電力中野変電所より電車線上の連絡送電線で受電。かつてはこの連絡送電線は、綿内変電所まで伸びていた。 現在は、須坂駅の信州中野駅 駅よりの鉄構まで、ここから中電の送電線に合わさる。
かつては、回転変流器(回生対応)と通常の整流器が置かれていた。
長野電鉄 安全報告書2013年 pdf注意 中野変電所 遠制盤取替の記事


この駅から湯田中駅までは、勾配が続くので、回生車(2100系)の安全運行ために回生電力吸収装置が設けられている。



長野電鉄 路線の変遷と変電所
2002年以前
3箇所の変電所
の三箇所の変電所で全ての路線のき電を担当していた。(電化当時1926年は、中野と綿内変電所のみ)

2012年以降
長野線 長野-湯田中 信濃吉田駅 吉田SS、須坂駅 須坂SS、信州中野駅 中野SS の三箇所

  長野電鉄が鉄道事業のほかに発電事業も行っていた。その発電所は、樽川第一・第二発電所である。その後名称が長鉄第一・第二発電発電所と替わり1992年に中電管轄となって、長電創立の租 神津藤平翁の名前を記念して藤平第一・第二発電所となっている。

  樽川第一・第二発電所からの送電線は、信州中野駅にある中野変電所に連絡送電線で送られていた。さらに鉄道線路上を利用し、川東線 綿内駅にある綿内変電所まで送られていた。

  2012年屋代線(河東線)が廃線になったため、須坂に新しい変電所を設け、連絡送電線22kVを同時に廃止。6.6kV受電として須坂変電所の運用を開始した。
 そのため須坂駅構内には、まだ連絡送電線の名残が残っている。

中野変電所への連絡送電線は、現在 中部電力 中野変電所から送出されている。
長野電鉄の電化当時(1926年)は、架線は、トロリ線と鋼心アルミより線(き電線を兼ねる)からなるき電線吊下方式をとった最新鋭の形式を採ったそうだ。
多分 中野変電所と書かれていたはず

大正時代の建屋

中電 中野変電所よりの連絡送電線
セクションあり この部分から湯田中方は、き電線吊架式
き電線2条は、同一電位

連絡送電線は、一端中野変電所へ入る



手前 左 避雷器 奥円筒形の装置は、油入りタンク式遮断器

左奥 オレンジキャップMOF 

右 中電中野変電所より連絡送電線
二点切断路器を経て右 断路器を経由 避雷器
左 油入りタンク式遮断器を経て所内母線

2段目の油入りタンク式遮断器を経て 左 オレンジキャップMOFへ
オレンジキャップMOF

所内母線より遮断器(ガス式?・中央箱型)を経て連絡送電線として須坂駅手前まで伸びる 左上


上 中央右 連絡送電線が須坂駅手前まで伸びる
左 中電 中野変電所からの連絡送電線
つまりこの部分は、開閉所の役割を持つ

中央架台 連絡送電線 須坂駅手前まで かつては屋代線 綿内変電所まで延びていた

連絡送電線 須坂駅手前の中電送電線との合流部

回生電力吸収用ダミーロード


き電線引き出し

実際は3回路

左 湯田中方き電線 真ん中 須坂方き電線 右 中野駅構内線
かつては木島方のき電線が分岐していた

き電線とき電吊架線は、連絡き電線とボンド
変電所 湯田中方にあるセクション 奥湯田中 き電線吊架方式
セクションを互い違いに入れてエアーセクションの役目をさせている
このセクションは「木」 ウッドセクション

2100系 セクション通過




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