2021年10月12日

1140. AT電化事始めと鹿児島本線ACVRの位置 (幻の佐敷ATPとL-R形力行セクション) その他

AT電化の事始め(詳しくは成書に譲る) 

日豊本線での仮試験
 ATき電方式は、図上での理論的解明が進められたが実地での検証を行うこととなり、試験線区としては1967年2月BT電化された水戸線が選定された。ただ現に運用中の路線であるため、BT路線で工事中であった日豊本線を用い吸上げ変圧器をATに見立て低電圧(6.6kV)による試験を1966年7/1から7/4に日豊本線城野~苅田間12.6㎞を対象として朽網変電所を中央き電点と見立てて基礎データ取得が行われた。 その結果 帰線電流吸上げ率、き電回路のインピーダンス、誘導障害において問題は発生せず、AT間隔(BTをATに見立ている為)を約2.5km間隔から5km間隔しても、上記問題は、変化なく山陽新幹線ATき電化の実用性に判断を得ることができた。

水戸線での実地試験  
 1966年11月、1968年3月、7月に試験を行った。1968年の実地試験はED75M電気機関車を入線させ1000t貨車の牽引試験を実施 き電電圧11㎸(BTき電22㎸の1/2)で実車試験を行っている。
 
 1966年低電圧試験(6.6kV・BT代用)11月~12月 水戸線川島補助き電区分所~福原補助  き電区分所間25.85㎞
 日豊本線(1966年7月実施)でのデータ検証を実施

 *1967年2月水戸線電化完成

1968年特高試験(11kV加圧)
 第一次試験 1968年3月
 第二次試験 1968年7月
 友部変電所のスコット結線変圧器22㎸を使用、
 単巻変圧器(11㎸×2)3次巻き線6.6kV付き 3台  試験区間 友部変電所~福原補助き電区分所(文書中では)間22.6㎞(距離および試験構成図を参照すると岩瀬き電区分所までとなる)
 ED75Mでの実車試験では補機電圧の低圧化対応などを行い11㎸に対応する改良がおこなわれている。
 この検討でPW(保護線)閃絡時の検出強化が登場。BTき電におけるNF(帰開路)とは違いATき電におけるき電保護の役割を持つ。PWはレールと並列回線となるので、電磁誘導の遮蔽線の効果も示す。PWは、原則AT部分でインピーダンスボンド中性点と接続される。き電変圧器の二次側処理、ATの容量、ATの間隔予想(在来線で10㎞、新幹線で8㎞)受電電源の短絡容量と変電所間隔等の諸条件を実験値、理論予想値の回路解析が実施された。


1968年3月、7月の実車試験(1967年2月にはBTき電で開通しているのでBT,AT両用対応のき電設備となっている)
図中 203は遮断器 BT=ブースタートランス A=AT・単巻変圧器
PF=ATで言うところのAF T=ATで言うところのTF NF=ATで言うところのPWを示す
ATは3台 変電所直下のATは無く第一ATが約4㎞変電所から離れた場所にある

 以上の試験検討、理論解析を行って鹿児島本線AT電化が決定された。電化開業に先立ち確認試験として八代変電所~出水き電区分所間を先行工事区間としてAT回路を構成し1969年10月~11月にかけて試験が実施された。熊本まではBTき電で電化のため八代ー熊本間はBTき電、八代変電所に複電圧スコット結線変圧器を導入。22kVをBT区間へ44㎸をAT区間へ送出しBTーAT区間の突合せ部にデッドセクションを設けた。

試験目的は
電力供給性能、PWによる保護方法、通信誘導障害の問題の有無である。
 列車走行試験において き電回路に高調波共振現象が発生した。回避方法としては約30㎞毎にT-R、T-F間に特性インピーダンスに等しい抵抗で整合すると、抑制できるので60Hz区間の場合C=コンデンサ0.8μF R=300Ωを直列に結合したのCR装置(7Aの電流が流れてしまう)を設置することとなった。このCR装置はその後7A電流の基本波損失を低減するためRにL(リアクトル)を並列接続した高調波共振抑制装置(HMCR)が開発された。

 1968年計画時のき電系統

 計画時の西鹿児島変電所は、日豊本線 宮崎ー鹿児島間の電化に於いて計画時BTき電をATき電に変更可能な構造を有している。ATの間隔は標準10㎞(8~12㎞)で決め打ち、信号機より300m以内、AT片送りの場合3㎞以内を条件としている。ATPは、駅周辺、町の中は防音室、比較的郊外には防音壁(4m高)内に収容している。
ATP=AT Post ATが設置された場所・建物を示す。
 
電化当時のき電系統(1970年)


 計画時との相違 湯之元ATPまでは同じ、東市来補助き電区分所が無い。計画時 薩摩松元ATPの場所が伊集院き電区分所となっている。

 1970年9月 鹿児島本線 八代ー西鹿児島間でATき電が商用電源周波数60Hzで世界で初めて実用化された。
 その後1972年山陽新幹線(新大阪ー岡山)、1975年山陽新幹線(岡山ー博多)がAT電化され性能の良さが実証されたため東海道新幹線の全面AT化が行われている。


 2021年 google map street viewで八代ー西鹿児島間を確認したところ以下の変更点が読み取れた。肥薩おれんじ鉄道は、積極的に設備簡素化を行っている。

肥薩おれんじ鉄道 二見補助き電区分所(ATP化)
補助き電区分所であったがATP化されている。エアーセクションがジョイント化されている。
エアーセクションをエアージョイント化



肥薩おれんじ鉄道 湯浦補助き電区分所

HMCR装置がある ACVRは撤去

デッドセクションがある


肥薩おれんじ鉄道 水俣補助き電区分所撤去(計画、完成時からATPは設備されていない) 
 別段 補助き電区分所にATは必須ではなく、水俣補助き電区分所の両端の初野、袋ATPは健在である。その後袋駅にSVCが設備されて、袋ATPは撤去されている。

この間がエアーセクションだったがジョイント化されている



肥薩おれんじ鉄道 出水き電区分所
鉄構の形がACVRが設備されている際の形だがACVRは撤去、HMCR装置がついている。デッドセクションは直下にあり (文献上は、ACVRが設けられていた)
 


肥薩おれんじ鉄道 高尾野補助き電区分所(ATP化)

補助き電区分所であったがATP化されている。エアーセクションがジョイント化されている。




肥薩おれんじ鉄道 阿久根補助き電区分所(計画、完成時からATPは設備されていない)
過去にACVRが存在していた形跡 変圧器台と鉄構の形が該当。(文献上は、ACVRが設けられていた)
 

デッドセクション


肥薩おれんじ鉄道 牛ノ浜ATP(折口ATPから約9.1㎞)
電化当時は、薩摩大川(折口ATPから12.2㎞)にATPがあったがここに移動 約3.1㎞短縮
薩摩高木ATPからは約3.1㎞延長


肥薩おれんじ鉄道 廃止された西方区分断路箇所(計画及び当初は運用されていた)


撤去時の画像 Google street veiwから昔の画像を切り出し

JR九州 鹿児島線 伊集院き電区分所(旧 松元ATP)西鹿児島SSより12.7㎞
 計画当初は、補助き電区分所であった。き電区分所なのでデッドセクションがある。鹿児島中央側は上下方面別き電、反対側は上下一括き電


線路側


 電化当時は、架線電圧補償装置(ACVR・AC feeding line voltage regulator)は設備されていなかったが、その後特急電車の増発等により電圧降下が顕著になったのでACVRが設備されるようになった。

 成書 鉄道技術140年のあゆみ(持永ら編著)では、1971年(昭和46年)鹿児島線 佐敷ATPおよび阿久根き電区分所に採用され、その後他の線区に電圧降下対策として順次導入されたと記されている。

 また別のバイブル 電気鉄道のセクション(持永著)ではタップ切替変圧器をサイリスタスイッチで高速切換を行う架線電圧補償装置(ACVR・AC feeding line voltage regulator)が1970年頃から採用されている。ACVRは電圧を1200Vないし2400Vの昇圧を行うのでデッドセクションが必須である。全国に10ケ所程度設備され、主に延長き電用にき電区分所で用いられており、き電区分所のデッドセクションと兼ねている。単独き電用のACVRは肥薩おれんじ鉄道(佐敷)の昇圧ポスト(ATポスト)および日豊本線(直川)のき電区分所にありデッドセクションがある。のことである。

上記2冊の成書から佐敷ATPが存在していたことになるが、計画及び電化当時のき電系統図には記されていなかった。

 阿久根補助き電区分所(成書の阿久根き電区分所は、思い違いだろう)にACVRが設備されたのは、電化後の1972年5月 電化後(1970年)約2年後となる。実はこれより前に一番先に出水き電区分所に1970年10月に初めてACVRが設備されている。電化元年が1970年9月であるので、既にっ建設中に設計を終え急ぎ設置したようである。

 これは、開業に先立つ先行試験1969年10月~11月及びそれ以前の理論考察で出水き電区分所における電圧低下が、思いのほか悪い結果となったためと思われる。

AT1~7までのAT間隔
AT1 八代変電所第一AT、
AT2 肥後二見SSP 12.4㎞
AT3 肥後田浦ATP   9.8㎞
AT4 湯浦SSP     9.8㎞ 
AT5 初野ATP     10.6㎞
AT6 袋ATP      8.3㎞
AT7 出水SP     11.2㎞
AT1からAT7は図20と同じ
 つまり3台の負荷車がいるときに、最終の出水き電区分所では、在来線 電車線電圧変動範囲 電気工作物設計施工標準の22,000~17,000Vを割り込んでしまう16,000Vギリギリである。もし 延長き電が出水き電区分所で行われた場合、出水以南は、17,000Vラインを確実に割り込んでしまうことになる。
 延長き電を行うためには、出水き電区分所にACVRを置くことが必須の条件となるため開業直後の10月に運用を開始したものと判断できる。
 その後 L特急の増発等でさらに電圧低下が見込まれたため、最終的な構成は八代ー川内変電間の八代ー出水間中間部 湯浦補助き電区分所(八代変電所から32.6㎞、出水き電区分所から30㎞)AT4の位置にACVR、出水ー川内変電所間の中間部 阿久根補助き電区分所(出水き電区分所から24.7㎞、川内変電所から26.3㎞)にACVRがおかれるようになった。そのため湯浦補助き電区分所、阿久根補助き電区分所にはデッドセクションがある。ACVRは現在は撤去されている。

その後在来線においては
1971年奥羽本線(秋田ー青森)
1972年羽後本線(新津ー秋田)
1975年奥羽本線(羽前千歳ー秋田)
1976年長崎線(伊賀屋ー佐世保)佐世保線(肥前山口ー佐世保)
1979年日豊本線(南宮崎ー鹿児島)
1980年千歳線(苗補ー沼ノ端)室蘭本線(沼ノ端ー室蘭)
1982年田沢湖線(盛岡ー大曲)
がAT電化された。

出水き電区分所に初めて設置されたACVR
ACVRは明電舎製である。
試作機
試作機 サイリスタ部が別置き 最初の可変電圧は1500V,3000V昇圧

試作機と標準機の諸元

標準機 阿久根以降のACVRがこの形と思われる。

阿久根補助き電区分内の架台 この部分にACVRが設備されていたと思われる
出水き電区分所のACVR設置時の土台と似ている。
中央土台に変圧器、背に高い土台にサイリスタSW部その右にキュービクル

標準機の諸元

標準機の内部結線図(明電時報)
動作原理
 変圧器T1の出力側タップにタップ1u,1Oを有し、それぞれのタップにサイリスタが逆接続されて、その出力は限流リアクトルL1を介してT2の直列変圧器の入力側に接続されている。
CTは変流器、EFはヒューズ、Cはコンデンサ、Rは抵抗、CRでアブソーバー、自己点弧回路、TF2、TF3ゲート変圧器。
 始動時、軽負荷の場合S2サイリスタスイッチはON、S1サイリスタスイッチはOFFでT2直列変圧器には1O-1uの電圧が印加される。T1側の負荷が増大、架線電圧低下電流増大し、設定値に達した際(電流、電圧のAND条件)S1サイリスタスイッチON、S2サイリスタスイッチOFFとなりT2直列変圧器は1vー1uの電圧が印加される。T2直列変圧器は、き電線に直列に接続されているので、き電電圧もT2直列変圧器の電圧に応じて昇圧され、き電電圧の降下分を補償する。
 ACVRは、き電系の中間点でT,Fの電圧を補償するが、大きな電圧差があるところではデッドセクションがあっても大きなショックが発生する。この点を考慮してACVRの電圧補償は2400V~4800Vの2段階として必要に応じて別の地点に数台が直列に接続されるものとなる。
 このため出水き電区分所を中間点として両側の中間点、湯浦補助き電区分所、阿久根補助き電区分所にACVRが置かれたものとなった。

 明電舎では、新型ACVRを羽越、奥羽本線に設備している。
   明電時報Vol.322、No.1,2009引用 電化当時のACVRを交換
サイリスタ制御部を油浸から気中風冷に変更し保守を容易にしている


き電電圧補償装置用変圧器 銘板


 九州は、AT電化が最初に行われた場所であり、いろいろ実験的な設備も設けられて試験を行っている。ところが成書にでてくる佐敷ATPは、場所の確認ができるのだが、現在は跡形もない。鹿児島線電化当時の記録にも佐敷ATPは出てこない。後で実験用に付け加えられたようだ。以下に佐敷ATPで行われた試験が文献検索で引っ掛かったので記す。

佐敷ATPの場所(八代変電所から約33km)

各種試験が行われた場所 時期的には1972年 鹿児島本線電化後2年後

線路脇に何らかの設備が見える(画像中〇印位置)

拡大
国土地理院 空中写真使用箇所
整理番号 CKU7418
コース番号 C28
写真番号 6
撮影年月日 1975/03/03(昭50)
撮影地域 天草
撮影高度(m) 1850
撮影縮尺(アナログ)
数値写真レベル(デジタル)
10000


現在は何もない。

畑側からのStreet View

実際に佐敷ATPで試験された内容 

L-R形力行セクション及びL-R形力行セクションとACVRの組み合わせが試験された。

L-R形力行セクション(静止形の電源切替設備)

 変電所間の交流異相セクション(デッドセクション)をエアーセクションで力行のままで通過する在来線用のセクション(新幹線は、切替開閉器による中セクション方式で力行可能なセクションを形成させている)

セクションの形状

変電所間のTF区間にエアーセクション4か所を入れて、ATをいれて形成させている
共通部分のエアーセクション長は5m

実際の電流の流れ
AT(Lt)の両端には、A,B両変電所の電位差Ea,Ebが加圧されるがAT(Lt)はこの場合高インピーダンスとなるためAT(Lt)を通した還流(横流)は発生しない。物理的にはA,B変電所はAT(Lt)で接続されているが電気的には解放されて状態にある。

(a) Se1通過(パンタ短絡)後Se2通過前はA変電所より制限抵抗を通じて電流が流れる。



(b )Se1通過後Se2通過前はA変電所より制限抵抗を通じて電流が流れる。



(c)Se2パンタで短絡すると制限抵抗R1,R2を通してAT(Lt)のA変電所側が短絡され、同時にB変電所側にも同じ電流が誘導される。(ATのため)


(d)AT(Lt)の作用により強制的に並列になったA,B両変電所から電流が供給される




 この方法は、両変電所の異電源突合せデッドセクション部分を瞬時停電することなく常時電力供給を受けながら力行できるようになる。但しセクションはエアーセクション4個 全長204m(架線部分は349m)ほどになりセクション構造も複雑になる。また欠点として1セクション・1パンタグラフが4セクションにおいて必要になり、運転される各車両の編成、パンタグラフ間隔を十分検討し各セクション間隔を定めなければいけない。583系が運転された際3パンタグラフ同時短絡が発生したが、装置自体は持ち応えている。
 
 文献では、1971年11月以来佐敷ATPにおいてACVR(架線電圧補償装置)と併用利用され実用化されている。との記載がある。

L-R形力行セクションとACVRの組み合わせ


 この方式は、ACVRに必須なデッドセクションをL-R形力行セクションで置き換えたものとなる。サイリスタでの電圧切替は1200V,2400VであるがL-R形力行セクションは十分機能している。セクション通過時のアークも非常に小さく問題はないが、583系電車が通過の際3セクション短絡が発生している。今後も発生する可能性は高いが実用上は問題ない。とむすばれている。

運用中の佐敷ATPにおける電圧制御 別文献1977年
当時少なくとも1971から1977は佐敷ATPが存在していた。(電化は1970年)
出水ー川内間、出水ー阿久根及び阿久根ー川内間の㎞数は合っている
八代ー佐敷間は33.09と33.5㎞の二つの数字がある。(ほとんど同じ)
八代ー出水間62.4㎞(2文献で)だが、この文献では56㎞と6.4㎞ほど少ない
阿久根で2400~4800Vまでの昇圧が実施されていたのだが、軽負荷時阿久根の出力電圧が高すぎて車両のアレスタ(避雷器)損傷を恐れがあるため阿久根川のACVRの改良を実施している。


文献:JR九州八代変電所の始まりと変遷の図3には佐敷ATPは入っているが、同文献の図1電化当時のき電系統図には、書かれていない。

 その後 佐敷ATPは撤去され、LーR形力行セクションの実用化は、見送られている。L-R形力行セクションは、そのセクション構成が複雑で、また4セクションを収容する架線長も長いことから普通の交交異相セクション(デッドセクション)に替わられてる。

 今回 九州地方のAT電化区間を漏れなく調査してGoogle my Mapにプロットし、形状を確認するためにGoogle Street  Viewで確認したが現在ACVRは使われていない。
 
それでは、成書に掛かれていた全国で10か所くらいのACVRの場所は、どこであったか調べてみた。
電化当時と現状
1.  鹿児島本線 湯浦補助き電区分所(ACVR廃止)
2.  鹿児島本線 出水き電区分所(ACVR廃止)
3.  鹿児島本線 阿久根補助き電区分所(ACVR廃止)
4.  日豊本線  隼人き電区分所(ACVR廃止)
5.  日豊本線  直川補助き電区分所(ACVR廃止)
6.  日豊本線  北川き電区分所(ACVR廃止)
7.  日豊本線  川西き電区分所(ACVR廃止)
8.  長崎本線  肥後飯田き電区分所(ACVR廃止)
九州は、ACVRは全滅。残りは東北地方にある。
9.  羽越本線  温海き電区分所(ACVR運用中)
10.羽越本線    仁賀保き電区分所(ACVR運用中)
11.奥羽本線  北金岡き電区分所(ACVR運用中)
12.奥羽本線  北常盤き電区分所(ACVR運用中)

 ACVRでは、力率を改善できないこと、デッドセクションが必要なこと、両方向性にするためには切替装置をACVRに組み込みが必要なことからSVC(Static var compensator)が開発された。

現状
肥薩おれんじ鉄道にACVRの代わりになるSVCが設備されていた
肥薩おれんじ鉄道 袋補助き電区分所


長崎本線にACVRの代わりになるSVCが設備されていた。
肥前七浦補助き電区分所(SVC)

SVCの詳細は以下のURL参照

今までの解説では、電車線路に対するACVRの設置であったが変電所のき電変圧器にもACVRを取り付けている例がある。

変電所用ACVR(現在存在しているかは未確認)
新幹線では、山陽新幹線 新徳山変電所のB座にACVRを設備 
8タップ切替で以下の電圧を発生

始動時の位置はタップ3の位置

サイリスタスイッチ6個でタップ切替
 ー電圧がでるのはタップ3,4の出力が接地されているため
電圧調整変圧器(T1)二次巻き線として3000V,1500V,750Vすなわち4:2:1の比になる3巻き線を持ち各巻き線の1/4の位置に中間タップを設けている。限流リアクトルL1~L6タップ切替時の突入電流を抑える。電車線用と違うところはサイリスタの過電流保護のため真空遮断器(VCB)が入っている。CRアブソーバ、直列変圧器T2絶縁と昇圧を目的とし、極性反転時の突流を考慮している。


JR東日本では、新大宮変電所にACVRが上り線側に設備されていたが現在は撤去されている。(新田端変電所が脱落した際に運用されるが、新田端変電所は、分散二重化されているのでACVRは不要)

在来線では、奥羽本線 院内変電所にACVRが設備されていたが現在は撤去されている。

最後に非常にイレギュラー対応だがBTき電区間の作並き電区分所にACVRが取り付けられている。方向性は固定 東仙台SS⇒作並き電区分所(延長)⇒羽前千歳変電所
ACVRは、明電舎の独断場であったが東芝が作成している。現在でも運用しているかは不明




ATき電に関しての成書
 日本鉄道電気技術協会編;高速運転に適した交流き電システムの開発~ATき電システムはどのように開発され発展したか~;2010年発刊

参考資料(順不同)
稲留 勝智ら;JR九州八代変電所の始まりと変遷:鉄道と電気技術,Vol.24,No.8,pp.43-46,2013
権藤 豊美;AT方式における電化計画ー5-BT方式と異なる点について:電気鉄道,Vol.24,No.2,pp.18-22,1970
権藤 豊美;鹿児島本線AT試験結果の概要:電気鉄道,Vol.24,No.6,pp18-23,1970
池田 猛;鹿児島本線熊本ー鹿児島間電化;電気鉄道,Vol.22,No.12,pp.6-9,1968

持永芳文, 宮本昌幸 編著;鉄道技術140年のあゆみ:コロナ社, 2012.8
持永芳文 著;電気鉄道のセクション : 直流・交流の電力供給と区分装置 (戎光祥レイルウェイリブレット ; 2):戎光祥出版, 2016.9

国土地理院 空中写真使用箇所
整理番号 CKU7418
コース番号 C28
写真番号 6
撮影年月日 1975/03/03(昭50)
撮影地域 天草
撮影高度(m) 1850
撮影縮尺(アナログ)
数値写真レベル(デジタル)
10000

三浦 梓;鹿児島本線における交流架線電圧補償装置について:電気鉄道,Vol.25,No.4,pp.7-11,1971
権田 豊美ら;日本国有鉄道納入交流架線電圧補償装置:明電舎時報,Vol.103,No.2,pp21-25

権藤 豊美ら;変電所用き電電圧補償装置:電気鉄道,Vol.29,No.1,pp.24-28,1975
藤権 豊美ら;変電所用き電電圧補償装置-2-:電気鉄道,Vol.29,No.2,pp.23-27,1975
渡辺 徳行;山陽新幹線新徳山変電所納入変電所用き電円圧補償装置:明電時報,Vol.125,No.5,1975

権藤 豊美;L-R形力行セクション;JREA,Vol.15,No.11,pp.38-41,1971
岩下 二男ら;交流架線電圧補償装置と力行型セクション装置の組み合わせ試験:鉄道技術研究資料,Vol.29,No.5,pp.32,1972
権藤 豊美;AT電車化電車線用AVRとL-R力行形セクション;電気鉄道,Vol.26,No.5,pp.12-16,1972
上野 正高;「しゅう電」ACVRの改良について:電気鉄道,Vol.21,No.12,pp.31-33,1977




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