2021年1月4日

1020. 信越本線(横軽) 廃止変電所を歩く(粘着運転時代)シリーズ3

 アプト式電気機関車 運用時の変電所は、丸山、矢ヶ崎 途中から熊ノ平変電所が参加して信越本線に き電を行っていた。その後 粘着運転を行うことになり、横川、軽井沢に新変電所、熊ノ平は既設変電所の改造が行われている。

今回 横軽 粘着運転時代の廃止された変電所を歩いてみた。

横軽に繋がった際、高崎変電所き電線増設、安中変電所、松井田変電所が横川までの間に設備されている。変電所は、その当時開発されたシリコン整流器(三菱電機)が導入されており、高崎ー長野間はすべて三菱電機製の変圧器、シリコン整流器、遮断器が設備されていた。

当初は、単線運転、その後複線運転に替わった。そのため変電所は当初から複線運転用に設計配置が行われている。

現在 信越線は、横川駅までの盲腸線として運用されているため、使用電力も少なく貨物も安中精練所のみなので安中変電所は、廃止され安中き電区分所となった。勾配がきつくなる地点の松井田変電所が残されている。

安中ー磯部間 16.2‰
磯部ー松井田 21.3‰
松井田ー横川 25‰
横川―丸山 25‰

国鉄 安中変電所廃止 1,500V

安中変電所は、安中き電区分所となった。高崎変電所から約10㎞地点 次 松井田変電所までは10㎞となるので、ちょうど中間点の変電所が抜けてき電区分所となった。電圧降下対策としては真っ当な箇所

166. JR東日本 安中き電区分所(直流)ブログリンク

安中変電所 電化当時(単線時)は3,000kWシリコン整流器1台による電力供給を行っていた。その後はシリコン整流器が増設されているはずであるが資料が無い。単純に考えると単線3,000kWだから複線6,000kW(3,000kW×2)と思われる。

給電は、TPCO碓氷線からの分岐

当初は、碓氷線から2回線受電 途中東邦亜鉛 安中精練所分岐

黒 現在の碓氷線
黄 既存碓氷線
薄紫 廃止された碓氷線
薄茶 JR東日本 安中変電所線



高崎変電所の#2は、JR東日本 岡部変電所からのケーブル送電 北高崎線66kV 1回線
この図は、過去の系統図となる

167. JR東日本 高崎変電所(直流)ブログリンク


国鉄文献の機器配置図 安中変電所
SiRはシリコン整流器 下図の構図と同じ形状をしている
SRは直列リアクトル 正極側に入っている
現状 直列リアクトルはSLで表す

三菱技報にでていた画像 上図からみて安中変電所のものである
シリコン整流器廻りの立面図が画像と同じ        

国鉄の単回路結線図
SR=直列リアクトルが正極側に入っているのが現在と違う
また略字がSR 現在はSLで表す

三菱技報の単回路結線図 国鉄と同じ
直列リアクトルはSLで表記

国鉄(JR東日本) 松井田変電所 1,500V

廃止されていないので簡単に

165. JR東日本 松井田変電所(直流)ブログリンク

取材時 6,000kWと4,000kWのシリコン整流器 次高崎変電所までは、約20km
TEPCO磯部変電所より新碓氷線は、まだ引き出されていない
黄 碓氷線(現在は九十九線)
薄紫 碓氷線旧ルート 廃止
黒 碓氷線新ルート
薄茶 JR東日本 松井田変電所ルート


松井田変電所までの全体の構成
新碓氷線は昭和37年(1962年)6月完成


国鉄 横川変電所廃止 1,500V

廃止 建屋しか残っていない

銘板も無い



交通技術より 工事中の横川変電所
画像と同構図

左右にL,Hの回転変流機 これが4組 並ぶ 1組 2,000kW分

左 6,000kW級 シリコン整流器 如何に回転変流機が場所を取るのが判る
しかし、横軽では回転変流器が選択された




き電線が引き出されていた部分
松井田方上下
熊ノ平方上下と増強分下
横川駅構内

碓氷線(横軽線)から新横川に分岐

横川変電所と軽磯線(碓氷線)の位置関係
上から降りてくる横ー熊線とクロスする位置から
軽磯線が分岐し同時に 横-熊線と共架になっていた
この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです

横川変電所諸元

TEPCO碓氷線(軽磯線)66kV 1回線受電
国鉄 横―熊線 66kV 1回線送出

回転変流器
計画時  2,000kW×3組(常用2組 4,000kW 1,500V 2,667A)1962年時点
運用時  2,000kW×4組(常用3組 6,000kW 1,500V 4,000A)1964年時点 複線
   その後  2,000kW×1組撤去
常用6,000kW シリコン整流器 1,500V 4,000A設備 1971年時点
この時点になると6,000kW級シリコン整流器が台頭してくる
回転変流機、水銀整流器からの置き換えが進む

建屋容量は8,000kWに対応する容積

横川変電所の回転変流機は、首都圏で使われていた程度の良いものが選択されて移転設置されている。
新鶴見変電所の東芝製、大宮変電所の明電舎製、金町変電所の明電舎製と付属の回転変流機用変圧器も一緒に移転している。

横川変電所 結線図
回転変流機はH,L2台で1組 直列接続 750V×2=1,500V
この結線図では回転変流機は3組 その後4組に増設
単体の回転変流機 8台が設備されている。
66kV 碓氷線 1回線で受電後MOFを経て所内母線
所内母線から1回線 国鉄 横ー熊線(連絡線)として熊ノ平方に送電
66kV降圧22kV 変圧器2台
さらに22kV降圧回転変流機用変圧器、回転変流機1組に対して1台となる
単結線図の上に「国鉄横川」と書かれているのは丸山変電所のこと
このころ、新横川、旧横川=丸山変電所と呼称されていた

国鉄 熊ノ平変電所廃止 1,500V

3回訪問 廃線ウオーク2回(軽井沢→横川、横川→熊ノ平)その他1回

熊ノ平変電所諸元

連絡送電線 国鉄 横―熊線 66kV 1回線 熊ー軽線 66kV 1回線 受電

回転変流器
計画時  2,000kW×3組(常用2組 4,000kW 1,500V 2,667A)1962年時点
運用時  2,000kW×3組(常用2組 4,000kW 1,500V 2,667A)
シリコン整流器
増強 3,000kW×1   1964年時点 

建屋容量 6,000kW

ここも横川変電所と同様 首都圏からの回転変流機を移設している。
蕨変電所 東芝製×2、金町変電所 東芝製1

 アプト式電気機関車の時代は、最終的に2台の水銀整流器が設置された。建屋は最初から2台設置で構築されている。その後回転変流器3台設置のため増築されている。

旧線とのW運用時の600Vは、水銀整流器用の変圧器を使用し、移動式シリコン整流器を仮設して当座をしのいだ。

奥鉄塔 国鉄 連絡線 横ー熊線 66kV1回線
         手前鉄塔 国鉄 連絡線 熊ー軽線 66kV1回線

横-熊線、熊ー軽線 共架鉄塔
この鉄塔で捻転

右 横ー熊線 受電 左 熊ー軽線 受電部

別角度

左に張り出し 増設部 シリコン整流器2号系
最初は設備されていない

ガス遮断器


油入り遮断器
油入り遮断器と変流器

整流用変圧器


左 シリコン整流器とバスバーで結ばれる整流用変圧器
中間部は所内変圧器

シリコン整流器 3,000kW


第2号金属整流器 よく見ると4号?


当初 中心の変圧器 当初のシリコン整流器用変圧器
シリコン整流器は撤去 1号系は油冷シリコン整流器だった様子
放熱器部分にピット


油冷却型整流器の例


供えられた1号系 シリコン整流器用変圧器


右 キュービクルは電力沪波器
この空き地部分に66kV降圧6.6kV変圧器があった模様
回転変流機用変圧器は6相のため屋内に設備されていた

回転変流機3台と変流機用変圧器がシャッター内にあった。
左1区画は回転変流器3台設置のため増築された。         



き電線引き出し部
下り方4条 4,000A方面別き電
上り方2条 2,000A方面別き電
断路器のブレード、受け刃は持ち去られている



軽井沢方 この部分に変電所直下のエアーセクションが設けられていた

熊ノ平変電所 単結線図
回転変流機 3組 2,000kW×3組
66kV降圧6.6kV 2台
6.6kV降圧回転変流機用変圧器570V 3台回転変流機毎

国鉄 軽井沢変電所 1,500V しなの鉄道も利用

軽井沢変電所諸元

東電 軽井沢変電所からの専用線 国鉄軽井沢変電所線 66kV 50Hz 1回線 受電
連絡送電線 国鉄 横―熊線 66kV 1回線 熊ー軽線 66kV 50Hz   1回線 受電

軽井沢以西の変電所、御代田、小諸、屋代等は、中部電力60Hz受電となっている。

TEPCO軽井沢変電所から66kV 1回線 碓氷峠に向かい反転
もう1回線 軽井沢変電所から送出されているのは
矢ヶ崎変電所への11kV1回線ともに50Hz
入山峠に向かうのは碓氷線66kV 50Hz
左から来るのは 北佐久線、北軽線(熊川線)

軽井沢から
碓氷峠の送電線鉄塔 軽井沢電力区 軽井沢側は撤去されているが、GoogleのStreet Viewで確認できる。

軽井沢側 Street View
現中電 軽井沢変電所の場所は、もとは東京電燈 軽井沢変電所だった。 その当時の鉄構が現在の中電軽井沢変電所の奥にある。 この項は別稿で述べる。



中電 軽井沢変電所のうしろ TEPCO軽井沢開閉所から66kV送出50Hz
国鉄軽井沢変電所線 1回線(軽井沢変電所へ)正面から送出
右 奥の鉄塔は軽磯線1号鉄塔
大正時代は、碓氷線の名称である。
碓氷線⇒軽磯線⇒九十九線と名を替えている



国鉄軽井沢変電所線66kV 50Hzは、この鉄塔で捻転
右鉄塔は、小諸軽井沢線5184 中電77kV 60Hz


TEPCO 軽磯線の上部を越える 国鉄軽井沢変電所線 66kV 50Hz 1回線
プリンスホテルスキー場を横断
左の鉄塔は軽磯線2号鉄塔 66kV 50Hz 1回線


       
碓氷峠 
左 奥に 国鉄 熊ー軽線の鉄塔が見える 
国鉄軽井沢変電所線と熊ー軽線は、共架されていた



       
碓氷峠 
奥の鉄塔が国鉄 軽井沢変電所線 TEPCO軽井沢開閉所から
プリンスホテルスキー場を横断


     
国鉄軽井沢変電所線と熊ー軽線が共架だった。 2回線鉄塔 
奥 軽井沢 手前 碓氷峠
熊ー軽線側は撤去


     
廃止された軽井沢変電所に繋がる 国鉄軽井沢変電所線66kV 1回線
国鉄 熊-軽線もここから送出されていた。

回転変流器
計画時  2,000kW×3組(常用2組 4,000kW 1,500V 2,667A)1962年時点
運用時  2,000kW×3組(常用2組 4,000kW 1,500V 2,667A)
シリコン整流器
増強 3,000kW×1   1964年時点

軽井沢変電所には、新品の日立製 回転変流機を導入したが、資料によると2,000kW2組とシリコン整流器3,000kW×1台との記載もある。

しなの鉄道が引き継いだ時点には、回転変流機は無い。

建屋容量6,000kW

Google Street View
左 建屋の横 整流用変圧器2台




受電部分 手前1回線は、TEPCO軽井沢開閉所から受電国鉄軽井沢変電所線66kV1回線
奥 1回線は連絡線 熊ー軽線 66kV1回線


所内母線

高配用変圧器

左 整流用変圧器 2台

2号Tr 整流用変圧器 右奥 1号Tr 整流用変圧器

き電線引き出し部 しなの鉄道用 旧引き出し部の上に構築

き電線引き出し部 しなの鉄道用

横軽が廃止後もしばらくの間は、軽井沢変電所は、しなの鉄道により運用されていた

高配引き出し部 しなの鉄道

国鉄 引き出し部の上にしなの鉄道が新しい引き出し部を構築
この部分からケーブル化され軽井沢駅まで送出されていた

軽井沢変電所 結線図
回転変流機 3組 2,000kW×3組
66kV降圧6.6kV 2台
6.6kV降圧回転変流機用変圧器563V 3台回転変流機毎    
さらにシリコン整流器 3,000kWが加わる
シリコン整流器は66kV降圧1,200V一段降圧で繋がる    


上図 右上拡大 中電 軽井沢との呼称だが内容はTEPCO軽井沢

中電 軽井沢変電所 60Hz
茂沢軽井沢線、小諸軽井沢線は、TEPCO系50Hzにはつながっていない
もう1本あるがこれは配電用の降圧変圧器

TEPCO軽井沢変電所 50Hz
碓氷線、熊ー軽線、北佐久線、熊川線は所内母線で繋がる
矢ヶ崎線は所内母線66kVから降圧され11kVとして運用
1951年の電力再編成令で現中電へ移行

第7回 衆議院 通商産業委員会 第33号 昭和25年4月21日 リンク| 





軽井沢駅 しなの鉄道側
この文献によると軽井沢変電所は、2014年まで使われていようだ。機器更新時撤去と記載
平成26年(2014年)の有価証券報告書 貸借対照表では除却処理(廃止)されている。

 横軽 廃止後も しなの鉄道により、軽井沢変電所は運用されていたため、軽井沢駅構内からき電線、帰線、高配ケーブルがトラフ収容で軽井沢変電所まで延びていた。
しかし、設備保安上経費が掛かるので、御代田変電所設備更新を待って軽井沢変電所は運用を停止、き電区分所として生かされていたが、64Pの設備保安があるので保守の手間がかかるので完全切り離し、軽井沢駅構内にタイき電用の断路器を設け、軽井沢変電所から切り離された。

同様な例は、ほくほく線にみられる。 



架線最終コン柱にき電線引き止め
上下き電線を断路器でタイボンド
ここから軽井沢変電所までき電線(ケーブル化)が敷設されていた




軽井沢変電所が しなの鉄道により運用されていたころの
き電線上下線と帰線 高配ケーブルが収容されていたトラフ

架線柱下にある帰線接続点 まだケーブルは撤去されていない

軽井沢変電所側 き電線、高配ケーブル 引き下し部

まとめ

左から 新横川、既設丸山(旧横川)、新旧熊ノ平、既設矢ヶ崎(旧軽井沢)、新軽井沢

 横川ー軽井沢間に1,500Vき電設備 合計容量18,000kW 600Vき電設備 10,000kWが一時期同居していたことになる。如何に横軽が大電力食いであったかが判る。

 粘着運転時の変電所に最新鋭のシリコン整流器を使用せず、中古の回転変流機を利用した理由は、回転変流機が回生対応とすることができることによる。旧線アプト式電気機関車は、丸山、矢ヶ崎変電所の回生対応回転変流機で実績があった。しかしEF62,63で回生運転が保安上見送られてしまい回生対応は取り止めとなった。 また首都圏から移設した回転変流機が使われた事情は首都圏に最新のシリコン整流器を入れたほうが対費用効果の点で安価と算定されたことによる。

国鉄 熊ー軽線 横ー熊線については以下の記事参照

1016. 国鉄 横軽 給電系統 熊ー軽線(19-1号) 横ー熊線(35-27号)を歩く(高崎電力區)シリーズ1 ブログリンク


おまけ

碓氷峠鉄道文化むら EF63運転時の電流と電圧 文化むら変電所

運転前 機関車スタンバイ


780V 180A 140kWの消費

き電線接続部
帰線接続部
架線は、この地点まで加圧
トロリ線に碍子割り入れ

奥は加圧できない。 本来なら架線終端標識があるはず


参考資料(順不同)

横畠洋志;3,000kW1,500V屋外形風冷式シリコン整流器:三菱電機技報,Vol.37,No.12,pp.302-305,1963

吉田哲也ら;鉄道電化設備:電気鉄道,Vol.26,No.7,pp.11-26,1972

信越本線高崎・横川間電化工事記録;日本国有鉄道東京電気工事局編:日本国有鉄道東京電気工事局, 1964

信越本線横川・軽井沢間電化工事記録;日本国有鉄道東京電気工事局編:日本国有鉄道東京電気工事局, 1964

信越本線軽井沢・長野間電化工事記録;日本国有鉄道東京電気工事局編:日本国有鉄道東京電気工事局, 1964

高野光;信越本線 高崎―横川間の電化:電気鉄道,Vol.16,No.3,pp.2-4,1962

松岡信好;き電故障判別装置について:電気鉄道,Vol.20,No.5,pp.29-32,1966

電化開業した信越線高崎ー横川間;交通技術,Vol.17,No.8,pp36.1962

佐藤能章;信越本線横川ー軽井沢間旧線改良工事;交通技術,Vol.19,No.3,pp.7-9,1964

松久恒三;横川ー軽井沢間(アプト区間)改良計画/信越線 Ⅲ 電化設備:電気鉄道,Vol.15,No.11,pp2-12

沢野周一;横川ー軽井沢間(アプト区間)改良計画/信越線 Ⅱ 電気機関車:電気鉄道,Vol.15,No.11,pp2-12

吉村恒;横川ー軽井沢間(アプト区間)改良計画/信越線 Ⅰ 線増工事について:電気鉄道,Vol.15,No.11,pp2-12

東電工五十年史;日本国有鉄道東京第一電気工事局編,1974


















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