2020年11月14日

1011.  国鉄 仙山線試験線区へのき電 仮設変電所 北仙台変電所

別件で、過去文献を調査している。その過程で疑問を解消できたのでUpすることにした。

疑問点
仙山線試験線区の交流電化試験の際 三相交流の不平衡はどのように解消されていたか?

スコット結線変圧器を利用の場合、T座、M座を取り出すが、変電所直下で異相区分のデッドセクションを設け分割出力をしていたのか?

不等辺スコット結線変圧器で片座のみ取り出していたのか

三相二相の変圧器を使用していたのか 等々

文献によると初の交流電化試験に必要な試験は
1.通信経路や信号装置への誘導障害
2.一般の三相電力系に与える単相負荷 不平衡
3.電車線路の構造と安定な給電方法
4.交流電気機関車の構造、製作及び実際の性能
5.直流の既電化区間と相互乗り入れ
があげれれた。

これら諸問題を解決するため試験線区を設けるに必要な項目
1.トンネルや支障物改修に、あまり多くの費用が掛からぬこと
2.通信の主要幹線と関係のない区間
3.50Hzであること
4.電力系統に与える不平衡の影響少なくて済む強い電力網に近いこと
5.種々の試験を行う上で大きな支障がない程度の区間であること
6.直流区間との接続試験の諸試験ができること
これらを満足する線区として仙山線が選ばれた。


交流電化の電圧
 この時代の電力系統は154kV、66kV、22kVが系統電圧として用いられており、鉄道院の時代から直流変電所への送電は最初は11kV、その次は22kVが多く用いられ給電を行っており実績と、機器調達のしやすさから20kV±2kVが標準電圧として選ばれている。
 66kVの系統電圧から20kVへの一段変成が容易く行われていた。一次側のタップ切替、2次側のタップ切替で容易に20kVの電圧を得ることができた。


仙山線試験線区は、以下の順番 変電関係に関して記載

第1期(昭和29年度・1954年度)北仙台⇔陸前白沢 静的試験 文献記載のまま
 仮設変電所建設 9月から3月
 電車線路構築  9月から3月
 北仙台変電所から北仙台ー落合間に設置した試験用変圧器に3km20kVの給電線を架設。ここから愛子-白沢間の試験用抵抗池まで8㎞の電車線を設備して試験を行った。
静的試験のため、用水池に電極を挿し込み水抵抗として負荷を掛けている。
3km20kVの給電線を伸ばした理由は、国見峠にある山屋敷トンネル断面が小さく電車線の架設が不可能だったためトンネル外を山越えしている。その後盤面掘り下げでトンネルの電車線クリアランスは解消している。

第2期(昭和30年度・1955年度) 北仙台⇔作並 動的試験 文献記載のまま
 変電所強化  4月から6月
 交直設備新設 4月から3月
 電車線路構築 4月から3月

第2期(昭和31年度・1956年度) 北仙台⇔作並 動的試験 文献記載のまま
 交直接続試験 4月から6月
 直列コンデンサ試験 9月から12月

第1~3期の試験運転を経て以下のように交流電化設備の初期系が固まった。(変電系のみ記載)文献では3期とあるが2期までの記載が正しい
1.受電は2回線
2.変圧器は単相変圧器3台を使用したスコット結線 (このころは現在のような1台でのスコット結線変圧器が組めなかったため)当座は2台で対応 主座とT座 

その結果
北仙台-作並の試験設備に北仙台-仙台間の電化設備を新設
既設試験設備の改修 引き込み送電線を2回線、受電設備の2回線化
が行われ、本運転が開始された。

本運転
1957年7月 貨物の電気機関車牽引開始
同年 9月5日 旅客列車の電気機関車牽引開始

実は、北陸線交流電化と一番乗りを競っていて競り勝った。
北陸線交流電化 1957年10月

作並駅構内の直流/交流セクションは、20kV A型セクションで分離
作並駅配線図 セクションは交流用A型とよばれるものを使用 

作並駅構内 セクション 交流用A型とよばれるもの

長幹碍子の破損が多いことから懸垂碍子に交換され現在に至る

懸垂碍子に交換されたA型セクション


1957~1961年は、まだ北仙台変電所からき電
1959~1961年にかけて交流異相セクション(デッドセクション・木製)が規格化
1961年3月 東北本線 福島-仙台 交流電化
東北本線電化時に東仙台変電所に単相のスコット結線変圧器が設備され方面別き電を行う時に、仙山線に供給を開始している。

東仙台変電所 2回線受電 単相スコット変圧器
主座とT座で分けて変圧

単相変圧器を用いたスコット結線の例 3台
延長き電対応の場合 両側主座2台を並列接続

単相変圧器を用いたスコット結線の例 2台の場合

単相変圧器を使う場合、かなり複雑な配線を行う必要が発生

主座とT座を同一の鉄心にしてタンクに収める


三相スコット結線 方式 同一タンク


試験線区 仮設変電所の場所
 北仙台駅付近 東北電力 堤通開閉所から受電。架空送電線は100mほど敷設。
上越線土樽変電所から転用した60,000/20,000(66000/22000)4500kVAのΔ₋Δ結線変圧器で降圧、遮断器をへて電車線に き電されていた。二次側はΔ結線の3線の内2線を使用。
 この変圧器は土樽変電所の回転変流器用変圧器が1段落とし 66000V降圧546Vに交換したため、一段目として使っていた66000V/22000Vが余っていたため、移設された。
(当初の土樽変電所 66000/22000V一段目 22000V/546V 2段目)
Δ₋Δ結線変圧器 二次側はΔ結線の3線の内2線を使用
66,63,60はタップ切替の一次側電圧(kV)

東北電力の堤通(開閉所)変電所 位置の推定

赤 東北電力 現堤通変電所=開閉所とした場合 堤通開閉所から100m架空送電線を引いた位置に仮設変電所は設けられたと文献にあるが、そこから線路まではさらに200mほど距離がある 

の変電所は、線路まで150mほどであるので、こちらが堤通開閉所であったようだ。正解は緑の変電所が堤通開閉所。架空送電線がケーブル化される位置 道一つ隔てた傾斜地の畑を造成して北仙台変電所は設けられた。北仙台駅から山形方500mの位置
この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。


北仙台から山形方へ500m 当該 堤通開閉所から150m位置に北仙台仮設変電所があった模様 Google Map上で確認

北仙台変電所(仮設)

仮設 北仙台変電所 単回路結線図

沼野文献の図

沼野文献の区分

久保文献 沼野文献の2図を組み合わせたものを修正

 過去このブログでは、黒磯駅構内配置が、作並駅を原型(単線)として複線として取り入れられていることは、述べた。当初は、デッドセクションを設けず、碍子型のセクションを使用しセクションをパンタグラフが通過する際は、両端の電源を同一にする方式が採られた。(地上切替方式)その後交直両用電車のため、デッドセクション(車上切替方式)が取り入れられたことは多くの識者の述べるところである。

参考文献

久保 敏;交流電化と交流・直流接続の歴史:鉄道ピクトリアル,Vol.63,No.6,pp.17-21,2013

上述の文献のもとになった文献は以下の通り 本記事の引用は以下から採った。
沼野 鉄雄;仙山線交流電化工事について:電気鉄道,Vol.10,No.10,pp.3873-3878,1957

作並駅構内のセクション
柏木 璋一;交流電化の先駆け 往年の仙台線仙台-作並:鉄道ピクトリアルル,Vol.63,No.6,pp38,2013

碍子型Aセクション(長幹碍子)
飯田 真;電車線の区分装置 セクション:電気鉄道,Vol.20,No.5,pp.27-28,1966

碍子型Aセクション(懸垂碍子)
竹内 優;セクション:鉄道と電気技術,Vol.7,No.5,pp.70-73,1996
追加
図録 仙山線交流電化試験 :東北福祉大学編
緑の位置は、游作利治:「交流電化試験開始の頃」の文書に記載(上越線中古流用と記載)を参照した 
同文献 西村敏:「仮設北仙台変電所」には、変電設備は大船変電所からとあるが、2つの文献から上越線の中古を導入したことで確定とした

松久恒三;東北本線 仙台-盛岡間の電化について:電気鉄道,Vol.20,No.1,pp.18-21,1966


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