2017年9月4日

600. JR東日本 常磐線・水戸線と気象庁地磁気観測所(柿岡) 600投稿 記念号

常磐線・水戸線と気象庁地磁気観測所(柿岡) 600投稿 記念号
 
脱稿 
 
常磐線・水戸線のデッドセクションを語るためには、避けて通れない気象庁地磁気観測所(柿岡)について鉄道面から文献を深耕してみたので記す。

発端はWikipediaの気象庁地磁気観測所(柿岡)記事である 以下引用
 戦後、電気事業法に基づく「電気設備に関する技術基準を定める省令が施行された。これには地磁気観測所周辺での鉄道の電化について細かく規制されており、基本的に観測所を中心に半径30km以内で周囲電化する場合は、原則的に交流電化もしくは観測に影響を出さない対策を施した上での直流電化が義務づけられている。とある。

 常磐線交流電化と気象庁地磁気観測所(柿岡)の関係を詳細に調べていくと、法律と学術文献上でのつながりがおかしいところがあり、明確にするため書き起こすことにした。まずは電気事業法とその付帯規則について国立国会図書館のデジタルライブラリーで内容を確認した。

 電気工作物が他の工作物に影響を及ぼさないようにすることに関しては、明治時代の電気事業法に記載が出てくる。また大正年間においては、漏洩電流による電蝕(食)に関して注意を喚起する項目が現れ、磁気観測所への影響に関する条文が出てくる。良く言われている常磐線交流電化のきっかけとなった地磁気擾乱対策協議会の結果をもって法が整備された旨の記載は、間違いである。

 この辺の不整合に気がついたのは、文献調査を深耕した結果であり、きっかけとなった文献は、1952年 電気鉄道Vol.6、No.1、pp.1425-1428 山本四郎(運輸省鉄道監督局施設課)「鉄道電化と地磁気観測所」である。この文献は、地磁気擾乱対策協議会が発表した2編の文献上には引用はされていない。発表された時期は地磁気擾乱対策協議会の報告が出る4年前であった。地磁気擾乱対策協議会の実際に行った擾乱試験の内容も判明したのでここに記す。 

 擾乱試験は2回実施されているが、その擾乱試験の前に遡ること1929年に横浜線を利用した臨時の試験が行われていたことも判明した。さらに調べると文献上で出てくる擾乱許容値0.3nTは、既に1948年の国際地磁気連合のオスロ国際委員会で日本における許容範囲として以前から積み重ねた文献上の結果から自動的に算出されたものである。(この会議への日本からの出席は、終戦直後のためGHQが参加の許可を出さなかったため不参加だった。0.3nTの根拠は、日本から送られてきた文献から参加した委員で検討されて算出された一意的な値であった。)

それでは条文から地磁気擾乱対策協議会の答申までの流れ 
 大正時代に制定された電気事業法ニ依ル電気工事規程 第118条に「電気鉄道用架空電線路ハ既設架空弱電流線路及ビ磁力観測所ニ対シ通信又ハ観測上ノ障害ヲオヨボサザル様隔離スルカ又ハ其ノ他ノ適当ナル予防方法ヲ施スコトヲ要ス」とあるため、1950年代はじめ、取手(この時点で取手には直流変電所はなく、我孫子が最北端の直流変電所であった)までの常磐線の(直流)電化区間を更に北に伸ばす計画が浮上した際に、運輸省内に1953年「地磁気擾乱対策協議会」が設けられ常磐線電化に関する協議が始まった。
 委員長は運輸技術研究所長の服部貞一氏、気象台側の委員は和達清夫台長、畠山久尚気象研所長、吉松隆三郎観測所長、運輸省側の委員は細田綱吉官房長で、官房長が其の取り纏め役であった。
 地磁気擾乱対策協議会には、学識経験者として永田武・本多侃二の両先生はじめ数人の方が委嘱された。2回の擾乱試験の結果、従来の直流電化方式では必要とする観測精度を維持することは不可能であり、3つの解決策が示され、そのうち実現可能なものとして交流電化方式を採用することが望ましいという結論が得られた。

 そして 1956年に地磁気擾乱対策協議会において直流電気鉄道による擾乱磁界の許容値は、その当時の最新の測定機器(標準磁気儀A-56及びH-56 出来立て) http://www.kakioka-jma.go.jp/intro/box1/1957(A56).pdfでの最大分解能である0.3γ(0.3nT)と決められたのである。

 この0.3γ言う擾乱許容値は、1948年国際測地学及び国際地球電磁気学会のオスロ会議(日本からの参加はGHQの許可が下りず、研究論文のみの提供であった。その研究論文から擾乱許容値が0.3γあれば十分であろうとの判断であった)の協定で自動的に割り出された値であり、日本での擾乱許容限界の数字の後ろ盾となった。

 その後 標準磁気儀A-56及びH-56が、1958年正式運用となった。この当時の単位はガンマ 0.1ガンマ=0.1nTである。 そして 常磐線の交流電化(藤代デッドセクション)が行われ、1961年6月品川⇔勝田間で運行が開始された。この時点で最北の直流変電所は、藤代となり我孫子⇔藤代間で必要となる最小限の変成設備が藤代変電所設けられた。また取手には き電区分所が設けられた。同年10月には運用が東京⇔勝田間に変更された。

 この地磁気擾乱対策協議会の結果を受け、1964年 電気事業法(昭和39年7月11日法律第170号)39条2項に「事業用電気工作物は、他の電気的設備その他の物件の機能に電気的又は磁気的な障害を与えないようにすること。」が改訂された。この法の、電気事業法第39条第1項及び第56条第1項の規定に基づき、1965年電気設備に関する技術基準を定める省令〔昭和40年を通商産業省令第61号〕が改訂された。具体的に踏み込んだ形で通商産業省令第61号第257条に「直流式電気鉄道用軌電線路、直流式電気鉄道用電車線路および直流帰線は、地球磁気観測所または地球電気観測所に対して観測上の障害を及ぼさないように施設しなければならない」と規定された。

 その後省令は全面改定され
第2章電気の供給のための電気設備の施設、第6節電気的、磁気的障害の防止(第42条、第43条)で地球磁気観測所等に対する障害の防止として

第四十三条  直流の電線路、電車線路及び帰線は、地球磁気観測所又は地球電気観測所に対して観測上の障害を及ぼさないように施設しなければならない。とされている。

〔解説〕直流の電線路等から出る磁力線又は漏えい電流等により地球磁気又は地球電気の観測所に対して障害を及ぼさないよう、これらの観測所と直流の電線路等との距離を十分にとる、あるいは他の適当な障害防止措置(遮へい装置等)を講ずることを規定している。なお、地球磁気又は地球電気の観測機関としては、国立天文台、気象庁、海上保安庁、国土地理院などがある。付記 千葉県の鹿野山には国土地理院の測地所がある。
とされ現在に至る

 こうした経緯の後1967年水戸線の交流電化が行われた。しかしながらこのような法規制・省令規制には規制数値の記載がない状態で運用されていた。たとえば柿岡から30km圏外とか擾乱磁界の許容値0.3nT以下の規制値は、省令には記載されていない。言うなれば、柿岡の測定機器の精度が上がり、かつ先行の常磐線が運行した状態で、その上がった精度が保たれるなら、その数値が暗黙の了解の規制値になるということである。

 その後観測所が1972年にデジタル計測
KASMMER http://www.kakioka-jma.go.jp/intro/box1/1972(kasmmer).pdf
を完成させ、これを採用したことから観測所の測定精度が向上し擾乱磁界の許容値は0.1nTへと厳しくなった。

 この時点で常磐線は、影響を及ぼしていない。柿岡の地磁気観測所では毎秒1 回、3 成分の値を1 nT の正確さで、また時間変化は0.1 nT の分解能で記録するようになっている。このように地磁気の観測データを過去から現在に渡ってトレーサビリティをもった記録として残すというのが地磁気観測所の最も大切な機能のひとつである。

 筑波科学万博の開催に合わせ交直両用の電車が増発されることになり、1985年取手のき電区分所は変電所に昇格している。(当時は、土浦までの電化が検討されていた)

 常磐新線の場合 1987年9月に「常磐新線整備検討委員会」が設置された。その後1991年常磐新線計画時に「常磐新線建設に伴う地磁気擾乱に関する対策設備の調査検討委員会」が設けられた。これは前述の地磁気擾乱対策協議会(常磐線電化時)の検討結果及び電気事業法・省令に対して検討を行う必要があったからである。
 
 ちょうどこの時 柿岡では1972年より運用されている光ポンピング磁力計の分解能0.1nTを踏まえ、標準磁気儀(KASMMER)更新を迎える時期であり、当時の最先端の測定機器が1989-1992年にかけて4年計画で更新された。新しい測定器は、 高感度フラックスゲート磁力計1式・オーバーハウザー磁力計4式及びファンスロー・ブラウンベック・コイル3式の組み合わせての運用である。(前者は高分解能の毎秒値を,後者は安定した基線値を得るためのものである)これら高性能の機器での分解能0.1nTは、担保しなければならなくなった。

 そして「1992年度常磐新線建設に伴う地磁気擾乱に関する対策設備の調査検討報告書」「1993年度常磐新線建設に伴う地磁気擾乱に関する対策設備の調査検討報告書」(ともに日本鉄道電気技術協会発行)が出て対策が取られた。

不思議なことに柿岡での磁気儀の更新時期は、鉄道における直流磁界の検討時期とぶつかる。

1950年標準磁気儀作成の検討開始               1950年代 常磐線取手以降電化の機運が高まる
                                                                           1953年常磐線電化に伴う地磁気擾乱対策協議会の設置
1956年標準磁気儀検討開始                          1956年地磁気擾乱対策協議会で常磐線における磁気擾乱の許容値が決定 許容0.3nT
1958年標準磁気儀正式運用    
                                                                           1961年常磐線交流電化
                                                                           1967年水戸線交流電化

1972年標磁気儀デジタル化 許容0.1nT                           
                                                                           1985年常磐線取手き電区分所→変電所へ昇格
                                                                           1987年常磐新線整備検討委員会の設置
1989-1992年標準磁気儀更新   
                                                                            1991年常磐新線建設に伴う地磁気擾乱に関する対策設備の調査検討委員会設置
                                                                            1992年度常磐新線建設に伴う地磁気擾乱に関する対策設備の調査検討委員会報告書発行
                                                                            1993年度常磐新線建設に伴う地磁気擾乱に関する対策設備の調査検討委員会報告書発行


 常磐新線の場合 常磐線が先行で藤代まで直流電化されており実測での精密測定が行われている。そのデータを基にシミュレーションを行った。そこでは、常磐線より内側(柿岡寄り)を通過する常磐新線が許容値上限を超えるのではないかと想定された。法および省令には規制値が明記されていないので、どこまで直流で き電するか検討しなければならなかった。この場合の分解能は柿岡で用いられている分解能0.1nTを用いた。

 通常のシリコン整流器の直流変電所を建設して運用を始めたら柿崎に影響が出現すると大問題になる。そこで安全の方向に舵を切り考え出されたのが定電圧制御のPWN型コンバーターによる直流定電圧の供給である。先に守谷車両基地内に実証試験用のPWN型コンバーターを設置して検証を行った。そして量産効果を狙い直流き電区間には、すべてPWN型コンバーターを、(秋葉原3,000kWそのほか4,500kW予備を含めて各変電所に2台)導入した。これは、先見の明があった選択である。回生電力の回収にも寄与しており東電への逆送を行っている。さらにコンバーターのIoT制御を各変電所間で行えば、無駄なエネルギーの削減になる。秋葉原に変電所を設置したのも南進を考えてのことであろう。まさにつくばEXは、エネルギー制御の実験場として最適の環境である。

 また常磐新線の交直のデッドセクションの場所は、終点である つくば駅にATポストを設置するとして、新幹線でのATポスト間隔10km(通信障害が発生しない間隔)を標準に考えると、66kV送電線が つくばEXと交差する みどりの駅付近に交流変電所。そこから10kmの北千住寄りのDC端部分にATポストを設ければ良い。
 デットセクションの位置は、直線部での設置を考慮すると必然的に現在の位置である必要がでてくる。この場所が柿岡から約35kmとなる。現在の位置からさらに守谷方であると車両基地にぶつかり、かつ直線部分が取れない。
 この守谷川先に設けられた高速対応型デッドセクションは、将来の160km/h運行を見据えた構造である。さらに欲を言えば、みどりの交流変電所に設けられた、スコット結線変圧器の異相区分は、現在高速対応型のデッドセクションであるがために力行ができないが、山形新幹線の赤岩き電区分所の下り線側(上り坂)に設けられた切り替えセクション方式を採れば力行が可能となる。さらにみどりの変電所のRPC化を行えば交流き電区間の電力の有効利用ができる。

 または藤代変電所及び取手変電所のシリコン整流器をPWN型のコンバーターに交換して、さらなる規制値を厳しくするということが将来的に起きるかもしれない。しかしながら地磁気の擾乱は、種々の要因で発生するので現在のような擾乱が複雑に入り組んだ場所で細かい値を見てもしょうがない。中長期的の変動における短期の擾乱は、観測所内に他の観測機器を配置して、観測所周辺の擾乱をキャンセルできる体制を執っている。

1950年代の地磁気観測(漏洩電流に関わるため地電流測定も含める)に関する文献を入手できたので年代順に引用する

まずは
1952年 電気鉄道Vol.6、No.1、pp.1425-1428 山本四郎(運輸省鉄道監督局施設課)
「鉄道電化と地磁気観測所」(内容を読むと、どちらかと言えば観測所寄り
昭和14年(1939)電気事業法 第4章電気鉄道の第148条(文献上では176条となっている)における条文「電気鉄道用直流電線路および帰線は、磁力観測所に対し、観測上の障害を及ぼさないように隔離し、またその他の適当な防止策を施さなければならない」と前フリがあり、鉄道電化(直流)は相当前から実施されてきた。また今まで、この条項をあまり考慮する必要がなかったが、今後考慮すべき問題になりつつあるとしている。

 地磁気測定の重要性に言及。柿岡は、地球上の適当な箇所に置かれた観測所間での測定結果を有効に利用するためにも日本においての重要性を述べている。柿岡での地磁気観測が行われる前は、1897年東京で観測が始められたが、路面電車の発達のため、わずか十数年で観測が困難になり1913年現在地柿岡に移転後40年間に継続測定をしていたが、もはや柿岡でもその影響(鉄道等による)が出始めている。戦前は、柿岡(本州)、豊原(樺太)台北(台湾)、仁川(朝鮮)に観測所があり観測をしていたが、戦後は、海外は全て失い柿岡のみとなった。しかも豊原の替わりに幾寅(富良野村)、台北の替わりに鹿屋(九州)に暫定観測所を設置して測定しているに過ぎない。(現在は、幾寅は廃止。女満別に観測施設を設置)日本は南北に長く、その中心である柿岡は日本の標準観測所であり、世界においても重要な役目を果たしている。またアジアにおいても観測所が少なくアジア・太平洋地区のおける柿岡の位置は、重要な役目を果たしている。と擁護している。 
 
鉄道における具体的な影響に言及
影響は、レールからの漏洩電流により大きくなり、負き電線を併用すると影響は少なくなるそうである。
 擾乱の大きさは、電車運行に従い始発から終電の間に大きな擾乱が見られている。昭和11年(1936年注釈この当時は移転後)2月4日の大雪で電車運行が途絶した際は、昼間の大きな磁気擾乱は見られず、また2.26事件が起こった当時は、昼間まで電車運行が途絶していたので昼間の大きな磁気擾乱は見られないとしている。東武電車が深夜に日光まで運行した日における東京での磁気擾乱については、夜行電車が運行した特定の日の夜間は、擾乱が見られたとのこと。
(東京での電車運行により柿岡でこのような擾乱が引き起こされていたとは俄かに信じがたい)

 この文献には、引用文献が示されていないが、小野博士の実験として1,000Aの電流を電気車が消費したときはaR=50i  a=γ(地磁気の大きさ1γ=1nT) R=軌道からの距離(km)に従い一般にはaR=ki  K=定数 i=アンペア kは一定ではなく軌道と大地間の抵抗、土地の比抵抗を考慮に入れる必要があるとのこと 小野博士の実験での結果は下図の通り
小野博士の実験データ(横浜線での実験)

 地磁気観測所の隔離距離として1γ(1nT)の精度を得るためには1,000Aに対して50km、2,000Aに対して100kmの距離が必要である。1952年のこの文献が書かれた当時、柿岡にもっとも近い鉄道は、東武鉄道の春日部-柏間、栃木-宇都宮間の約42kmとして現在でも1γの影響が出ているので、電車運行停止中の夜間の2,3時間のみしか信用できる値は得られない状況である。また常磐線についても取手(柿岡から約40km)まで電化されているが、取手は終端の駅なのでその影響は、東武鉄道のほどではない。しかし今後電化が促進され土浦で直流電化された場合柿岡との距離は、17kmとなる。常磐線を全線で電化した場合、石岡、羽鳥付近で最短9kmとなり電流2,000Aとすれば12~13γの擾乱を受け観測の呈をなさなくなる。また東北本線も小山、小金井、石橋付近は、35kmであり近き将来の電化は常磐線とともに支障をきたす。このほか水戸線、常総筑波鉄道の電化も考えなければいけないとしている。(注:東北本線の電化は、1958年宇都宮まで電化)
文献から引用 当時の非電化、電化区間を明示(1952年)
地磁気撹乱防止対策
1.変電所間隔を短くする
2.軌条を大地に対して絶縁する(軌条=レールからの直流漏洩電流を無くす)
3.観測所の移転
をあげているが1及び2については、多額な費用が掛かるため現実的ではない
3については、再度の選定に数年の期間と現在の観測地点と選定観測地点との相互比較が必要である。

 掛かる状況において、電化は時代の趨勢であるが、柿岡地磁気観測所は、我が国のみならず、世界でも主要な観測所であり、又重要な役割を果たし社会に貢献している。もしこの付近の電化が進展してゆけば現状のままでは、観測に支障を及ぼすのは当然であり、こられがために電化促進の大きな隘路となる恐れもある。

 最後に国鉄、東武鉄道、京成電鉄の協力を得て、中央気象台、運輸技術研究所、及び国鉄技術研究所を動員して漏洩電流、地磁気の影響その他を調査しようと目下計画中である。と結んでいる。この段階で交流電化には、触れられていない。地磁気擾乱対策協議会(1956年)のキックオフとなった文献。

この文献でWikipediaの記事の一端が崩れた。
>戦後、電気事業法に基づく「電気設備に関する技術基準を定める省令[3]」が施行された。
とあるが戦前から法律が存在し施行されており、「磁力観測所に対し、観測上の障害を及ぼさないように」との記載がある。

1952年 電気鉄道Vol.6、No.7、pp.1638-1641 星野九平(鉄道技研、電線路研究室)
「高崎線軌条漏洩電流試験の結果とその応用」(内容を読むと、どちらかと言えば中立 単々とデータを示す)
 1952年 大宮-高崎間電化に伴い、研究会資料を得るため軌条漏洩試験を実地で実施。
方法:変電所き電口に金属抵抗を設置。軌条(レール)に100Aの電流を3分間間隔で30秒間 10回繰り返し流す。変電所間のき電線(上下)を変電所毎にでタイ接続。金属抵抗を挟んで軌条(レール)にボンド。レール通過点の電圧を測定する。この場合、該当変電所間以外は軌条を分離している。
 この方法で桶川-吹上、熊谷-神保原、神保原-倉賀野を測定。100Aを流して、線条・軌条抵抗値が理想の0Ωなら電圧降下無しに出力端電圧と終端電圧は同じになるはずであるが、線条・軌条ともある程度の抵抗値が発生する。平均軌条電流を求めたところ桶川-吹上間で10A/14.6km、熊谷-神保原間で30A/24.7km、神保原-倉賀野間で22A/11kmが漏洩していた。これをKm単位に直すと桶川-吹上間0.68A/km、熊谷-神保原1.21A/km神保原-倉賀野2A/kmとなる。これが単純計算での漏洩電流になるのだが、軌条電流は以下のグラフに表すように両端で100A、中間点で90Aを示す。また熊谷-神保原1.21A/km神保原-倉賀野2A/kmで値が大きいのは、それぞれ秩父鉄道および八高線が軌条に繋がっているためと思われる。このように漏洩電流があるのは、明らかである。

結果の考察
 過去の漏洩電流の試験結果をまとめて、上野・長岡間のデータをグラフ化すると渋川・沼田間での軌条の漏洩抵抗が他の区間と比較して高い値を持っている理由として、その土地の地質によるものであるとしている。すなわち渋川・沼田間は、赤城山の溶岩が影響していると結論づけている。今回の漏洩試験は、区間を区切ったものとして、測定したが、軌条(レール)は無限大に接続されているので漏洩電流は、どこまでも軌条を伝わって流れる。(このポイントが直流遊流阻止装置の必要性につながる)

軌条の大きさの比較 37kgレールと50kgレールでは、その底面積が若干変わるだけで犬釘と枕木での接点が大きく変化することではないので漏洩電流は、大差ないとしている。

漏洩電流の試験方法 実際に直流電流を流して測定

測定データの一例 桶川⇔吹上間



1953年 地磁気観測所要報Vol.6,No.2,pp.119-134 柳原一夫ら(地磁気観測所 原ノ町出張所)
 「福島・米沢間電気鉄道による原町地電流の擾乱」(原ノ町から約45km離れた福島での直流鉄道が影響を及ぼすことを明確に示す。もちろん観測所側の立ち位置)ただし地磁気ではなくて地電流だが漏洩電流による影響に変わりない 
備考:1946年原ノ町地電流観測所(1949年に出張所に組織変更)を開設。1957年廃止

 原ノ町観測所では1946年から地電流観測を続けているが、1949年中ごろからほぼ定常的に、擾乱が認められるようになった。(福米線電化1949年4月29日 米沢・福島間直流電化)

 序文から「地電流観測における障害の内、電気鉄道よりの漏洩電流が重大な原因の一つであることは言をまたない」と切り出し仙台、福島より70km、45km距つている原町において地電流を測定してから何ら人孔擾乱を認めることはなかった。しかしながら1949年中ごろからほぼ定常的に、擾乱が認められるようになった。

 これを観測所では、W変化と名付けて調査を開始した。毎日同じ時刻に現れるが、時としてずれることもあり滑らかな変化では、無いことから人工的な現象であろうとしていた。
夏時間(このころ一時的に夏時間がとられていた時期があった。1948年〜1951年までの3年間GHQの指導のもと夏時刻法が施行された)によって明確に1時間のずれが擾乱発生に生じていた
ことから、このW変化は、工場事業所もしくは電気鉄道よりの漏洩電流であることは、明確であった。
 調査の結果 工場事業所の影響は、除外され周辺の電気鉄道の調査を開始すると福島電鉄および国鉄が原ノ町から35~45kmの位置に存在していた。電鉄および国鉄を比較すると電力使用量として大きいのは国鉄であることから、またW変化の明瞭な変化は通常の電気鉄道なら夜間は、運転停止をしているので擾乱が発生しない時刻の午前3時に発生しており、ちょうどそれは、福島発の夜行列車「鳥海」の運転時と相関することを突き止めた。

 米福線電化1949年4月から約1年後1950年9月ことであった。かくして1952年5月W変化の詳細調査を行った。10列車に対して原ノ町地電流測定を精密におこなうこととなり、機関車同乗による使用電流、列車位置、ノッチ位置及び庭坂変電所におけるき電電流等の同時測定を行った。「鳥海」はEF16重連で運行されることが多く福島から庭坂、赤岩と経て運転された時に擾乱(ただし地電流)が発生している。
 庭坂以北は、山岳地帯に入るのだが、擾乱は衰えてきている。これは庭坂以北の地質が花崗岩を主たる物でありこれが障壁となって擾乱が認めれれなくなっているとしている。また福島駅付近の車庫に機関車がノッチを階段状にすすめる時にコブ状の変動がみられることが機関車同乗に際に記録されている。
 なお米沢から福島に向かう場合は、全体的にみて下り坂であり、また回生ブレーキ(水銀整流器による)の利用により電力の回生が生じるので大きな変化は認められないとしているが、板谷の下りにおける回生ブレーキは、その制御に問題があり途中から発電ブレーキに変更されているので、影響は、その後発生していたものと思われる。その後福米線は1968年交流電化に変更されたが、原ノ町観測所は、1957年に廃止されている。廃止の理由は明確になっていないが福米線の直流電化による地電流の擾乱が遠因にあったかもしれない。

1956年 交通技術Vol.11,No.4,pp.131-133 条沢郁朗 (国鉄・技師長室)にも「常磐線電化による地磁気じょう乱対策」として同じ内容が記載されているが、星野氏のほうが詳しく引用文献も付いているので後に発表されたこちらの文献を先に紹介する。1952年の山本四郎(運輸省鉄道監督局施設課)の論文により地磁気擾乱対策協議会発足のキックオフが行われた。

1956年 電気鉄道Vol.10,No.9,pp.3298-3304 星野九平(国鉄技研 電気化学研究室)
「鉄道電化による地磁気擾乱」常磐線における地磁気擾乱試験結果の報告

 問題の経緯に先にあげた1952年の「鉄道電化と地磁気観測所」(運輸省鉄道監督局施設課)の文献内に出てきた小野博士の実験が引用されている。1927年8月19日付文部次官より鉄道次官宛ての通牒で柿岡付近の電化に対しては東京帝大と事前協議することになっていた。ところが1929年5月に時事新報に「うっかり許した鉄道省、観測所の抗議に悩む」という見出しで水戸電車と筑波高速鉄道および鹿島参宮鉄道に鉄道省が電化の許可を出したとある。そのため1929年6月に横浜線の横浜変電所・中山間で擾乱試験が行われ、やはりは擾乱を防ぐとこができないため電化は見送られた経緯があった。この横浜線の擾乱試験が小野博士の実験であった。

 この小野博士の実験は1930年に論文化されているが、入手できていないので詳細な実験方法までは、判らない。これが始めての論文化された地磁気擾乱試験となる。小野博士の実験式は、負荷電流1,000Aに対してa=50/yであり(a=γ)ただしこの式は、y=1.3kmまでの実測値を外挿法により求めたもので線路に近い範囲しか適用できない。横浜変電所⇔中山までの約15kmでの実験であった。(S.ono;Disturbance in the Magnetic Observations Caused by The Electric RailWays,Geophysical Magagine Vol.3,1930 )

 近年 東北本線、常磐線の電化が叫ばれるようになり、1951年ごろから国鉄と気象台との共同調査が行われていたが1953年10月運輸省に地磁気擾乱対策協議会が設けら2回の大規模な実験を経て諸外国にも例を見ないまとまった成果を得ることができた。その結果は
(a)第四軌条電化方式の採用
(b)交流電化方式の採用
(c)柿岡地磁気観測所の移転
として1956年2月の協議会で答申された。

報告書 常磐線電化に伴う地磁気及び地電流じょう乱試験
第一次試験結果報告 じょう乱協報告1号 1954年 8月
第二次試験結果報告 じょう乱協報告2号 1955年 4月
第二次試験結果報告 じょう乱協報告3号 1956年 2月(最終報告)
(これら報告は入手できていない。)

結論として、漏洩電流と電車線電流が求められれば、任意の地点のじょう乱磁界の三要素が計算できる。(漏洩電流による地中部分に生じる磁界は、水平成分に限定される)

地磁気じょう乱の実験
 軌道及び電車との位置関係による差異及び河沼及び海の影響を考慮してじょう乱防止方策を研究調査しようとしたが多額の予算と時間が必要になるので、見送られた。そこで常磐線電化に必要最小限の実験を行うことに方針が変更された。

第一次試験
 大地が比較的均一と仮定し既設電化区間(常磐線金町⇔取手)を利用して軌条を帰路とした場合→R試験の実験を行い理論計算値と実測値を検討
 大地を帰路とした場合→E試験の実験を行い理論計算値と実測値を検討

R試験の概要
 我孫子変電所からき電 き電線の末端を金町で軌条に接続。帰線を現状のままと、金町と我孫子で区間外の軌条を切り離して500Aあるいは1,400Aを通じ同時に3箇所合計9箇所の観測点で地磁気三要素と地電流測定2成分を実施。

E試験の概要
 金町、北小金、我孫子に接地抵抗約1Ωの接地線を敷設。我孫子変電所の帰線を接地線に接続し、帰線を通じて金町で接地した場合(E-1)と北小金井で接地した場合(E-2)についてR試験と同一の方法で地磁気、地電流を測定した。電流は、概ね400A、600Aの二通りを実施。

第二次試験
 柿岡付近の地理的影響を知るため常磐線神立⇔羽鳥間(柿岡との最短距離8km)における大地帰路の実測値を検討

 石岡駅構内に移動式直流変電所を仮設し、神立⇔羽鳥間にアルミき電線40m㎡ 6条を敷設。神立、石岡、羽鳥の三地点で接地抵抗1Ωの接地線を敷設750Vで300A程度の電流を種々の条件で大地帰路として通電を実施。柿岡ほか3箇所で地磁気、地電流を測定した。

電流の間欠印加でパルス状の地電流および地磁気に影響が出ている

 
各観測点での地磁気のベクトル

 
 
 
 
 
 
実験結果
第一次試験 
 R試験とE試験ともに計算値と実測値を比較。計算値と実測値の差は、少なく計算式の妥当性が検証された。軌条からの漏洩電流は、地磁気の変動よりも地電流に影響を及ぼす。とし 先に述べた、奥羽線電化のときの原ノ町観測所での地電流変化を引用している。

第二次試験
 こちらは計算値と実測値の差は、計算値よりも実測値が低い値を示し、また測定地点の差が出ており筑波山塊の影響があるとしている。(高崎線の漏洩電流試験でも赤城山付近は、溶岩の影響を受けていた)

実験結果から導きだされた柿岡地磁気観測所に対する擾乱の予想値(←ここが本題)

常磐線の場合(土浦まで電化)
土浦まで直流電車を取手から延長した場合。運転間隔20,40分 柿岡での擾乱 0.3γ以下とする
変電所位置を仮定
1.我孫子・荒川沖   間隔25.7km
2.我孫子・佐貫・土浦 間隔16.2kmと16.2km
3.我孫子から10kmの間隔で3箇所
電車を6両(3M)として1編成最大 1,800Aで計算すると変電所間隔を2.の16.2km以下にしなければならない

柿岡付近の常磐線を電化した場合
 漏洩電流100AでZ=0.77γ F=0.29γとなりZ軸の磁気擾乱が0.3γを超えてしまう。 これを0.3γ以下に抑えるためには、漏洩電流が40A以下にすることが必要となる

東北本線の場合
 変電所を古河・小金井・宇都宮に置いた場合 変電所中間部に2,000Aの負荷が掛かったとして、地理的条を無視した場合は、許容値0.3γすれすれであり変電所間隔を10Km以下にすれば問題なくなるとしている。

ここから1956年4月の文献の情報を入れ込む
 常磐線を電化した場合の柿岡における擾乱磁界の予想値を求めるためには、理論計算式に各種条件を代入し値をもとめ、次に柿岡地区での地理的条件による補正を行えばよろしいのだが、簡便法として計算した値で漏洩電流が40A以下にする場合で

ケースとして 電気機関車EF58形を使用。上下列車が同時発車したとすれば、瞬間最大電流は4,000Aとなり
軌条抵抗を0.0088Ω/km 漏洩抵抗0.5Ω/km 変電所間隔2×Lkmとすれば漏洩電流は下記の値となる
変電所間隔と漏洩電流
5km  1,124A
7km  1,480A
8Km  1,644A
10km 1,932A
15Km 2,512A
20Km 2,912A
となる。
この値を導きだす計算式があるのだが、文献内には、見当たらなかった。
漏洩電流を40A以下にするための方策として
a)変電所間隔を5kmとした場合でも1,124A(鹿野山測地所の内房線は、この間隔で変電所がある)
b)漏洩抵抗を大きくする 4Ω/kmしても漏洩電流は1,300A (軌条の大地との絶縁を高める)
c)負き電線 325㎡銅線6条並列 軌条と並列に接続0.0044Ω/kmとした場合でも漏洩電流は2,436A

備考
変電所間隔と漏洩電流の関係をプロットし三次方程式で切片を0として計算した値は、以下のようになる。

変電所間隔を150mにすれば、40A以下の漏洩電流となるが、如何に非実現的であるかは明白である。

まとめ
 地磁気擾乱対策協議会の発足前夜の状況から発足後の各種試験により最終的に常磐線は、交流電化することが決定された。また大正時代から、磁力観測所に影響を及ぼさないように電化の法整備が行われてきたのが判明した。法的根拠での擾乱上限0.3γその後0.1γの記載が無く、地磁気観測所(柿岡)からの距離も法には記載がないことがはっきりした。また東北本線も もし、変電所間隔が長かったら柿岡に影響を及ぼすことが明らかとなった。

 現在の電車は、消費電力が少なくなる方向で進化しており、地磁気への影響は、少なくなるが反対に電車の運行密度が上昇してきている。

常磐線電化後の地磁気擾乱試験

1961年 電気鉄道Vol.15、No.1、pp.5367-5371 滝原 幹夫ら(国鉄技研 電気試験研究室)
「常磐線地磁気じょう乱試験」
 直流電化区間が取手から6kmほど延長された藤代に移動したため、その分直流の漏洩電流が増加することが問題となった。そこで、藤代までの直流化、交直接続設備及び神立までの交流電化工事竣功を機会に、第三次地磁気じょう乱試験を行った。

 但し 擾乱試験を行っている期間中に磁気嵐が発生したため、満足のある結果は得られていない。まず、先に行われた2回の擾乱試験のまとめとして、鉄道技研の星野九平氏の技研速報の表と解析内容を引用している。(技研の速報は、入手できていない)実際のダイアに基づいて種々のパターンをシミュレーション 図引用
シミュレーションパターン

 変電所としては、我孫子・藤代変電所を想定。藤代以北は、直流の遊流がある場合と無い場合を想定して計算を行って漏洩電流とそれによって引き起こされる磁気擾乱の数値を列挙している。図引用
表としては上から下に擾乱の大きいものから並べてある。下の4つD:現状A:電化後も定常状態とも柿岡に対しては影響を与えない値がでている。しかしG、Hの状態で藤代・我孫子が並列であれば、レールの直流遊流があっも問題はない。但し片方が脱落して一方からの単独き電となると、擾乱は大きくなり柿岡に影響を及ぼすまた直流遊流があると更に状態は悪化する。直流遊流阻止回路のコンデンサがパンク、藤代変電所脱落が最悪の事態が発生するとシミュレーションされた。

 このシミュレーションの内容を受けて第3次磁気擾乱試験をA,B,C,Dの4パターンについて試験を実施した。負荷は、電車その物を用い1960年10月に第3次磁気擾乱試験が行われた。この最中に磁気嵐が発生。かろうじてB試験のデータが取れた。B試験では、水平分力が0.5γ出ており影響を及ぼしていることになる。

Aは、先のシミュレーションで影響を与えないことが判明しておりC及びDは、我孫子の電流値がBより下がるので類推として影響は与えないであろうとされた。
この第3次擾乱試験の結果から、先のシミュレーションを考慮してみるとH、G、Dは擾乱には影響を与えず、Cはギリギリのところ、B,F,Eは不可となる。このようにシミュレーションの計算値と実測値は、かなりの確度で一致しており計算値の妥当性がえられたとしている。

実際の漏洩電流の測定結果

第三次擾乱試験の実施結果
 
まとめ
 柿岡地磁気観測所に影響を与えないための方式は
1.我孫子・藤代変電所は、並列き電すること
2.藤代の交直接続点における交直間の絶縁を良く保つこと(直流遊流阻止装置の保全が重要)
となった。


1961年 電気鉄道Vol.15、No.9、pp. 5679-5681 松尾 哲男ら(国鉄電気局電化課・鉄技研電気試験研究室)-常磐線- 地磁気じょう乱試験結果

 第三次地磁気じょう乱試験が磁気嵐の影響で満足にデータが取れなかったので1961年5月に第四次磁気擾乱試験を実施した。

 今回の擾乱試験では、藤代変電所が脱落。我孫子変電所からの片送りで1,700Aの電流を間歇的に流した。電流値 1,700Aは、モハ401系8両起動時の電流を想定している。交直接続部の直流遊流は、完全に阻止された状態での試験としている。また柿岡より常磐線寄り柿岡と取手の中間地点にある館野を補助点として地磁気・地電流を測定した。




 1,700A流した際の最大漏洩電流は、400A 軌条漏洩抵抗は0.9Ω/kmであり、その結果 柿岡では自然擾乱に、まぎれて測定はできたのは、鉛直方向のみでその値は、平均0.17γ 最大0.18γであった。館野では、十分測定できる値であり、南北成分は0.2γ以下 東西成分は0.33γ以下大きくふれる鉛直方向では最大0.47γであり、やはり距離により影響の出方が違っている。2回行われた擾乱対策協議会の報告の計算値の、ほぼ1/2の値であり、擾乱対策協議会の計算に使用した仮定をより現実に近いものに改めて地磁気観測所で再計算することになった。この第四次擾乱試験結果からは、地磁気観測にまったく支障が無いことが確認された。
 
 但し、この試験は軌条の絶縁が良好な場合であり、軌道浸水、大雨等の軌条の絶縁が悪化した場合も考慮しなければならないとして、この試験での400Aの漏洩で最大0.18γから類推して700A以上になると0.3γを超えることが推定された。その結果700Aに漏洩電流を押さえた状態で藤代における負荷電流と軌条漏洩抵抗の関係式をもとめた。交直区間通過後の直流力行で1,000~1,300A、一旦停止して発車する場合最大1,700Aとして考えるに、軌条漏洩抵抗の通常時の下限である0.5Ω/kmであれば、藤代変電所が脱落して、我孫子からの片送りでも
観測に影響は与えないとしている。(2,000A以下に押さえる。)

 ここで賢明な皆様は気がついたであろうか、常磐線の交直接続が地上切替では無く、車上切替になった一因が。そう 地上切替であると一旦停止して、直流に切替後発車しなければならない。その際に起動電流が多く流れるので連続的に運行できる車上切替が選択肢の一つになった。

以上で一連の地磁気擾乱に関する検討は、一旦収束する。この時代は、まだ汎用電子計算機が利用されておらず、シミュレーションの各点での計算も荒いものであった。

1980年代になると地磁気擾乱が再燃するのである。そのきっかけは、筑波万博であった。

1980年 日本国有鉄道鉄道技術研究所資料、Vol.37、No.7、pp. 26-27 井上 一(国鉄鉄技研電力研究室)(原報告:鉄道技術研究所速報 No.80-7,30p)
直流電鉄の地磁気観測に与える影響

 筑波万博開催計画が持ち上がり会場への交通手段として、土浦まで直流電車を運行した場合について理論検討を実施した。
具体的には、藤代から土浦までの変電所間隔を10km以下0.5kmまで短縮し、土浦端での負荷8kAで擾乱の許容値0.1γ以下に抑制できるかを検討した。(1972年標磁気儀デジタル化 許容0.1nTとなった)

検討内容
 変電所内部定数・き電回路定数・レールの対地コンダクタンス(0.2~2s/km)等をパラメーターとして土浦端に8kAの一点集中変電所の分担電流を求め、負荷電流・分担電流からレール電位、レール漏れ電流を計算し
レール漏れ電流に起因する擾乱の強さを観測所との距離を勘案。変電所間隔を短縮して擾乱の許容値0.1γ以下にできるか計算を行った。


結果
 変電所間隔を短縮またレールの対地コンダクタンスが低くなるほど、漏洩率は低下する。
変電所間隔を短縮することでレール電位・レール漏れ電流を大幅に小さくできるがレールコンダクタンスは最大2s/kmとすると0.1γの許容値を得るためには、500m以下の間隔で変電所を設けなくてはならず、直流化は困難であるとの結論になった。


1983年 電気鉄道Vol.37,No.10,pp.2~5 灘友 国雄ら(鉄道技研、電線路研究室)
 先に発表された、日本国有鉄道鉄道技術研究所資料、Vol.37、No.7、pp. 26-27 井上 一の論文を基に電子計算機を導入して多点でのシミュレーションを行い、更に第五次の擾乱試験を1983年1月 藤代・我孫子及び北小金井変電所と観測点8箇所で行い比較した。

 土浦までの直流化を前提に、藤代・土浦間を1列車が移動する毎に柿岡における水平磁界と垂直磁界を計算機でシミュレート。その結果を基に多数列車の漏れ電流による擾乱磁界を推定した。

計算条件(電子計算機の初めての利用)
1.柿岡を原点にして土浦・我孫子(32.5km)までを3,000等分し、その区間における漏れ電流から擾乱磁界を推定
2.軌条は、複線として電車負荷は起動電流4,000Aその他2,000A、レール漏れ抵抗は0.5Ω/km、1Ω/km、5Ω/kmの3種
3.変電所間隔は、藤代・土浦間について5、3、2、1、0.5kmの5種
4.列車ダイヤは7本/h、12本/h、17本/hとして15両編成
座標による計算のシミュレーション

7本のした場合0.3以下にするためには500m以下の間隔で変電所を設ける必要がある

No.1は、成田線の影響を受けて計算値と実測値が離反

計算結果の例を示す
交直接続は土浦で実施。土浦には電車基地を置かない(レールが多数あるので大地に対する抵抗が低くなる)

車上切換と地上切替の項目が逆に記載されている(図に記載が間違い)
車上切換と地上切替の差は、地上切替の際の起動電流により影響が大きく出ている


まとめ
 藤代以北の直流化延伸の可能性については、現実の解決すべき問題が多々あり、シミュレーション結果からは即断はできないが、技術的検討も面からかなり深耕ができたとしている。このシミュレーションがこの種の検討に対しては有用であると結んでいる。

1984年 地磁気観測所要報 Vol.20,No.2,pp.33-34  徳本哲男ら(地磁気観測所)
直流電車による磁気擾乱 国鉄技研の論文に対しての反証

 冒頭から直流電車の漏洩電流に起因する人工地場は、自然磁場観測にとっては厄介なノイズである。ノイズは2次元的に広がり、かつ空間スケールが大きいので、距離による減衰が小さくなり、その影響が遠方に及ぶこと、またノイズの波形が非常に複雑で技術的除去が不可能である。(但し交流電車の場合は、問題ないと 暗に現状の藤代以北の交流化が適切であるとしている)

 自然磁場を観測する者にとって直流電車の漏洩電流による磁気擾乱を量的に把握することは不可欠である。として新しいモデル系での検討について述べている

従来の計算方法を改良発展させ、広範囲の状況設定に対しても厳密な解を得ることができるようになった。その結果、新しい計算法による擾乱磁場は、オーダーは従来の計算法によるものと同じだが数値は小さく見積もられることが判明した。としている。

1980年初めに、発表された2報の鉄道技術研究所の論文(井上理論とその多点解析)に対してその、妥当性を検証。

常磐線と電車の配置を設定して計算しているが
1.変電所の分担電流を導出するとき線路からの漏れ率を予め仮定して計算
2.複数個の電車を同時に取り扱って境界条件をたてて解析解を求めるのではなく、各電車に対する解を単純に重ね合わせている
3.変電所に対するレール電位分布の跳ね上がりを吟味していない
と物理的に問題を残している。と一刀両断にしている。

 他方 柳原の論文(1977)発表は、物理的に厳密な解を求め、近似計算により実測値と照らし合わせて良好な結果を得ている。本論文では、柳原方式を拡張し物理的に矛盾の無い範囲で、できる限り現実的な状況に適用できつモデルを作成して対応した。と結んでいる。
(*柳原論文は入手できていない。地磁気観測所要報 1977 別冊7号)

 この論文で導き出された計算式については、実証試験でその計算値の裏づけが必要だが、国鉄の協力は得ないでおり、確執を感じさせる。

実証実験は、1983年1月7日から9日に掛けて藤代の南西側で8点の観測点で観測。変電所の電流及び電車の位置は、国鉄の協力を得ないで行っているので推定で行っている。

測定地点 8か所

実際の測定で変化が認められた4点の擾乱 点線の部分が擾乱

実測と計算結果の比較 計算結果の方が低く出ている

変電所は等間隔 電車は非対称に配置した際の地磁気擾乱
概して均等な同心円ではなく、電車位置により同心円のくびれが変化する
まとめ
  漏洩抵抗が、今回の計算および実測値のキーポイントであり、線路のが一様の抵抗を持つとは考えられず、天候によっても変化する。但し今回のモデルにおいて各変電所間の漏洩抵抗に一定の値を用いて計算するば大体の値がでるが、実測と計算値では、計算値が低く算出されるので、さらなるモデル系を構築する必要がある。と結んでいる。つまり計算値は、設定によって変動するので安心しては、駄目だとのダメ押しをしている


 今後の展開
 近年高感度磁気センサーのよる生体の微小磁場(MEG,MCG,AEF)が測定されてるが、その磁気シールドルーム(MSR)の構築にあたって、直流電車からの漏洩電流による磁場の擾乱が精密に測定されるようになった。 この件については、本題の「変電・き電・通信のもろもろ」から離れるがまとめてみたいと思う。

その他参考文献
小池ら;柿岡における地磁気人口擾乱の監視ーー構内における地磁気観測環境監視点
地磁気観測所技術報告:Vol.40,No.1,pp13-25,2000
源;東京/柿岡における地磁気観測の歴史と現状
地磁気観測所テクニカルレポート:Vol.7,No.1-2,pp1-8,2010



 

JR四国 本四備讃線(瀬戸大橋)で架線切断で立ち往生

1394. JR四国 本四備讃線(瀬戸大橋)で架線切断で立ち往生 2024/11/10 随時記載

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