2017年11月24日

662. JR東日本 福米線電化の道筋(直流→交流、狭軌→広軌)

福米線電化の道筋(直流→交流、狭軌→広軌)
 


参考データ

年表
奥羽本線電化
福島⇔米沢間 1949/4/29 DC電化
山形⇔羽前千歳⇔山寺 1960/11/01 DC電化
山形⇔羽前千歳 1968/9/8 AC電化
山形⇔米沢は、非電化
福島⇔山形 1968/9/22 AC電化
米沢⇔山形 1968/9/23 AC電化

【福島~山形】奥羽本線
1949年)福島(中川信号所)~米沢を直流電化。スイッチ・バック各駅に通過線設置。
庭坂・板谷・関根に直流変電所(回生インバーター設置)
1960年)東北本線 福島まで交流電化
福島(中川信号所・交直デッドセクション・地上切換え)
東北本線福島から奥羽本線米沢まで直流電化のまま
1968年)福島~米沢を交流電化に切換。米沢~山形を新規に交流電化。狭軌
1990年)板谷峠各駅のスイッチ・バック構造を解消。狭軌
1991年)改軌工事に伴い「つばさ」を仙台発着とする。 広軌
1992年)山形新幹線開業。き電系統変更

【仙台~山形】仙山線
1937年)作並~山寺が直流電化で開通(全線開通)
1955年)作並~愛子~陸前落合で交流電化の各種試験開始。
1957年)仙台~作並を交流電化。作並に交直切換デッドセクション設置
1960年)山寺~山形を直流電化。
1961年)福島~仙台が交流電化されたため東北本線からの乗り入れ開始
1968年)作並~山形を交流電化に切換。

福米線電化の道筋

1899年(明治32年)5月15日:福島駅 - 米沢駅間が開業。専用の蒸気機関車(4110形)で運行されていたが、峠両端の急勾配(庭坂・関根間33‰)トンネル内での煤煙などでその運行は、辛苦の塊であった。1919年(大正8年)の電化調査線区の選定の際、奥羽本線は、上越線・信越本線とともに優先的な電化の必要性が高い路線とされていた。しかし、実際の電化は太平洋戦争後の1949年(昭和24年)のことであった。物資の少ない中 直流電化での運行(福島⇔米沢=福米線)が始まった。同年 赤岩、板谷、峠にスイッチバックの設備に通過線が設けられた。
直流電化計画 全線にわたり33‰の勾配 これを蒸気機関車で運用していた
その当時EF15形は、大電力(力行均衝電力3,200A/機)を必要とするため庭坂・板谷・関根に大出力の直流変電所が設けられた。EF15形を実際運用してみるとブレーキ時の制輪子・タイヤ(車輪)の過熱が多く発生した。そのため運用上赤岩、大沢駅構内でタイヤ冷却のため5分間の臨時停車を行う。機関車に水撒き装置を設けタイヤ冷却を行う。下り勾配のブレーキ使用中は機関車の制動筒圧力を抜き取るなど応急策が取られた

600t貨物を牽引しながら下り勾配(33‰)で線路上に停車させる際に、ブレーキ圧を抜き取るなどアクロバットな運用を強いられた。抜本的な対策をとるため1951年から順次EF15形は、東芝府中に送られEF16形となって福米線に戻ってきた。主な改造点は、回生ブレーキ装置の取り付けである。実際に運用が始まると、回生ブレーキ使用による架線電圧の変動が、はなはだしく主電動機の疲労を早めた。一方乗務員の運転取扱不備も初期のころは発生した。

この回生ブレーキであるが、機関車自体が励磁機付抵抗釣合器式の電力式回生ブレーキというもので発電した直流電圧を架線に返し、変電所の水銀整流器をインバータ運転するというもであった。
初期の故障内容としては
1.均等速度と負荷のアンバランスによる部分滑走
2.界磁電流と電機子電流の比の破綻によるフラッシュオーバー
3.回生ノッチ遅れによる衝撃発生
等があげられる。

また架線から戻された電力を交流に変換して戻す庭坂・板谷・関根各直流変電所でも水銀整流器のインバーター運転等で非常に苦労していた。変換された交流電力は、庭坂・板谷変電所間は、JR連絡送電線が連系していたのでダイヤを工夫して回生電力の有効利用を図った。関根変電所は、東北電力に逆送している。
積算電力計は「W」で表示 米沢の関根変電所は30kV受電

水銀整流器のインバーター運転は、整流器に大きな負担をかけることになり、補機付の貨物では、板谷変電所で瞬間値250%となり補機付の回生は、避けなければならなかった。

その当時の水銀整流器は、
庭坂 整流器・インバーター器両用2台
板谷 整流器・インバーター器両用2台、整流器専用1台
関根 整流器・インバーター器両用1台、整流器専用1台
となり庭坂・関根では常時2台運転となるため予備器の必要性が望まれた。その後3台に増設された。


補機付重量貨物は、力行時3,000Aとなるため整流器2台運転が必要となるが、整流器・インバーター器両用を切り替えるのは、簡単ではなく切り替え中は回生が中止となるので運用の工夫が必要となる。水銀整流器のインバーター運転は、水銀整流器の交差接続を行い、並列運転を実施、インバーターリアクトル間の移相器を機械的(板谷・庭坂)もしくは磁気増幅器(峠)で行う設備であった。

その後 機関車の改造、地上設備の改良、回生運転方法の修正等が行われ、回生率は。旅客35%貨物40%までになり安定運用期に入った。

地上設備については、今では普通にあるツインシンプルカテナリー架線の導入(当時はダブルトロリーと呼ばれていた)き電線の大口径化、き電分岐線の多数設置、帰線の大容量化などにより対応された。

具体的な内容は、
庭坂・板谷間7kmでの600t貨物牽引力行時 力行均衝電力3,200A/機の大電流を流すと改良前では電圧降下が490V、板谷・関根間では、約500Vとなる。変電所の出力端で1,500Vの電圧を確保しても架線電圧は、力行時に約1,000Vまで低下、非通常時には、850Vとなる。一方機関車の回生率を向上させるためには、機関車パンタ点の回生電圧を2,000V以上まで上昇させなければならず、機関車自体に多大な負担をかけた。回生電圧1,800Vを維持するためには、電圧降下を300V程度ま抑える必要があるが、そのためには架線のほかに、500㎡相当のき電線を1条敷設が必要になる。トロリ線を重トロリ線に交換さらに、これを1本ふやしてツインにして350Vまでの電圧降下、さらに き電線を太くして(200㎡)電圧降下を軽減させた。

EF16形導入から16年後 老朽化したEF16形の代わりに高粘着性、軽量化、易操作性、保安設備の追加などが盛り込まれた急勾配用EF64形が投入された。この時期に変電所の回生インバーターが廃止されている

主な内容
1.発電ブレーキの採用 
抵抗発電ブレーキの安定運用 回生用インバーターの廃止と力行用への転換等
2.粘着力の向上
空転検知装置の採用、短絡渡り結線による衝動防止、軸重補償、バーニア制御等
3.長い伝統を破ってスイッチ制御からカム軸接触器への変更
軽量小型化、ノッチ進段の自動化と制御用短絡継電器の交流制御方式の無接点化
4.制御電源の交流化
交流電動機の導入

奥羽本線は、43.10(1968年)を目標に、その当時性能が向上してきた交流電気機関車を投入するため直流区間の交流化が行われ、仙山線を経由した一大周回線区が構成された。
この直流から交流への転換(米沢⇔福島間47km)は、1日にして行われた大工事であった。





当初の交流電化では、中川は、き電区分所が設置される予定であった。

交流電化当時のき電系統図
単純なき電系統であり、交交セクションは、電圧降下の面から比較的勾配の緩やかな地点に設けられた。

また通常交流き電変電所間には、き電区分所(SP)が置かれるが、福米線電化の際には、峠変電所を境に両端に急勾配が連続する。そのためSPのデッドセクションは、ノッチオフでの惰行が必要なための設置は避けられた。特に峠変電所は、電力回生制御用変電所として整備され分水嶺として両端に連続勾配があるため、板谷トンネル内の3‰の水平に近い部分300mの距離の中にデッドセクションを構築し、また勾配区間のブースターセクションにはコンデンサによるアーク防止装置を置いている。これが福米線で、なぜき電区分所が設けられなかったかの理由である。


この交流化により最新鋭のED78形の投入が行われ、また補機としてEF71形の投入も行われた。1968年(S43)9月貨物600tの牽引を米沢・福島両端から運行して、交流回生の試験を含め実地検証が行われた。ここまでの間にはED78、ED71形の安定運用に向けた改良も行われた。

以下発生した問題点
1.交流回生ブレーキ付機関車の経験不足
2.機関車自体のエージング不足いわゆるバスタブ曲線
3.運用し始めて始めて判る不具合データの現場と工場での意思疎通の不足
4.乗務員の厳冬期における取扱操縦に関する不安、交流回生に対する不慣れ
1968年6月から9月にかけて故障件数は121件に達した。10月以降はED78形の故障回数は減少したがED71形は、ED78形に比して故障件数は、多かった。その後安定運用に至る。

以下Wikipediaより引用
ED78形とED71形の板谷峠における牽引定数は以下のとおりであった。
• EF71形単機…通常430t(最大450t)
• ED78形単機…300t(最大330t)
• ED78形重連…540t
• EF71形とED78形の重連、もしくはEF71形重連…650t

直流から交流に転換された際に、直流変電所の庭坂、板谷、関根は廃止され、峠、米沢に交流変電所が設置されたが、峠変電所の受電電力のバックボーンが脆弱な状態のままであった。

その後山形新幹線を通すため広軌化が行われた。このとき既存のき電系の利用を主眼に変電所の増設は行われなかった。峠、中川変電所に架線電圧の確保のため静止型無効電力補償装置(SVC)が設置(M座、T座)された。羽前千歳変電所は、中川変電所側の新在負荷をT座からM座に変更し負荷のバランスを図った。

き電系統概要

福島~関根間の完全複線化に伴い上下一括き電から上下分離き電方式に変更した。庭坂駅構内の渡り線セクション部の電位差解消のためC-GIS化された庭坂タイポストを設けた。
400系新幹線運行のため負荷が増加するため中川変電所のスコット結線変圧器を10MVAから15MVAに取替えを実施。電圧降下対策として米沢変電所の直列コンデンサを取替え、中川変電所に新たに直列コンデンサを新設した。東北新幹線からの分岐渡り線に本線(東北新幹線下り線トロリ線)き電から き電する断路器を設け、異電圧対応のデッドセクションまでをき電区分、また、在来線(広軌)と新幹線のき電区分のため旧中川信号所跡に新たなデッドセクションを設け福島変電所よりき電回路を1回線引っ張った。通常運行時 時間当たり400系2本 在来線1本の運行が電源上の隘路によって決定された。


き電系統詳細
その後山形新幹線が12分間隔での運行が計画され、その当時のき電系統では、電圧降下で運行がままならないとの結論が出て赤岩き電区分所が新設された。峠・福島変電所間25.2km間を福島・赤岩間14.4km赤岩・峠間9.5kmに分割してき電を行うことになった。この赤岩き電区分所は、在来線で初めて力行(フルノッチ・上り勾配・下り線のみ)可能な新幹線と同じSN部を設けた切替セクションである。上り線は、下り勾配なので従来どおりのデッドセクションとなっている。

400系からE3系に山形新幹線の車両が置き換わりサイリスタ制御の直流電動機からVVVFインバーター制御の交流電動機となったため力率が1近くとなり電圧低下抑制のため峠・中川変電所に設置された静止型無効電力補償装置(SVC)の撤去が検討されている。論文上では、撤去しても問題ないとの報告もあるが、現状では運用停止のままで装置自体は撤去されていない。

以上が福米線電化の道筋の概要である。それでは、各変電所・き電区分所を見てみよう。

663. JR東日本 福島変電所 交流 BTき電とその周辺 ブログリンク

664. JR東日本 赤岩き電区分所と赤岩駅 在来線唯一の切替セクション方式 BTき電 奥羽本線(山形線) ブログリンク

665. JR東日本 峠変電所 BTき電 奥羽本線(山形線) ブログリンク

 666. JR東日本 米沢変電所 BTき電 奥羽本線(山形線)  ブログリンク

667. JR東日本 高畠き電区分所 BTき電 奥羽本線(山形線) ブログリンク

668. JR東日本 中川変電所 BTき電 奥羽本線(山形線) ブログリンク

669. JR東日本 上ノ山き電区分所 BTき電 奥羽本線(山形線) ブログリンク

670. JR東日本 山形補助き電区分所 BTき電 奥羽本線(山形線) ブログリンク

671. JR東日本 羽前千歳変電所 BT・ATき電 奥羽本線(山形線)仙山線  ブログリンク

672. JR東日本 仙山線 作並トンネル 20kV剛体架線 BTき電  ブログリンク

673. JR東日本 作並き電区分所 BTき電 仙山線  ブログリンク

686. JR東日本 東仙台変電所 東北本線 BTき電  ブログリンク


参考文献(順不同)
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三浦 梓 ;技術雑感 交流き電システムのおゆみ(第7話)福米線の交流化とATき電方式の開発:鉄道と電気技術,2006,Vol.17,No.8,pp.41-44
藤田 敏 ;交流化工事すすむ奥羽・仙山線:交通技術,1968,Vol.23,No.5,pp14-17
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永峰 秀市ら;山形新幹線き電系統強化:平成16年度電気学会産業応用部門大会講演論文集,2004,Ⅲ-355-338
吉野 弘記ら:山形新幹線車両更新に伴うき電設備の検討:電気関係学会東北支部連合大会講演論文集:2009,2F22,pp.204
世良 昌司ら:北総・奥羽本線電化計画概要:電気車の科学,1973,Vol.26,No.2,pp34-36
坂井 重夫:奥羽・仙山線の交流電化について:電気車の科学,1968,Vol.21,No.8,pp.14-17
馬場 開一郎;奥羽本線の電化計画:交通技術:Vol.20,No.5,pp.188-190
松本 将卓ら;峠変電所の静止型無効電力補償装置についての考察:電気学会研究会資料,2013,LD-13-54,TER-13-35



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