アプト式電気機関車 運用時の変電所は、丸山、矢ヶ崎 途中から熊ノ平変電所が参加して信越本線に き電を行っていた。その後 粘着運転を行うことになり、横川、軽井沢に新変電所、熊ノ平は既設変電所の改造が行われている。
今回 横軽 粘着運転時代の廃止された変電所を歩いてみた。
横軽に繋がった際、高崎変電所き電線増設、安中変電所、松井田変電所が横川までの間に設備されている。変電所は、その当時開発されたシリコン整流器(三菱電機)が導入されており、高崎ー長野間はすべて三菱電機製の変圧器、シリコン整流器、遮断器が設備されていた。
当初は、単線運転、その後複線運転に替わった。そのため変電所は当初から複線運転用に設計配置が行われている。
現在 信越線は、横川駅までの盲腸線として運用されているため、使用電力も少なく貨物も安中精練所のみなので安中変電所は、廃止され安中き電区分所となった。勾配がきつくなる地点の松井田変電所が残されている。
安中ー磯部間 16.2‰ 磯部ー松井田 21.3‰ 松井田ー横川 25‰ 横川―丸山 25‰ |
国鉄 安中変電所廃止 1,500V
安中変電所は、安中き電区分所となった。高崎変電所から約10㎞地点 次 松井田変電所までは10㎞となるので、ちょうど中間点の変電所が抜けてき電区分所となった。電圧降下対策としては真っ当な箇所
安中変電所 電化当時(単線時)は3,000kWシリコン整流器1台による電力供給を行っていた。その後はシリコン整流器が増設されているはずであるが資料が無い。単純に考えると単線3,000kWだから複線6,000kW(3,000kW×2)と思われる。
給電は、TPCO碓氷線からの分岐
当初は、碓氷線から2回線受電 途中東邦亜鉛 安中精練所分岐 |
黒 現在の碓氷線 黄 既存碓氷線 薄紫 廃止された碓氷線 薄茶 JR東日本 安中変電所線 |
高崎変電所の#2は、JR東日本 岡部変電所からのケーブル送電 北高崎線66kV 1回線 この図は、過去の系統図となる |
167. JR東日本 高崎変電所(直流)ブログリンク
国鉄文献の機器配置図 安中変電所 SiRはシリコン整流器 下図の構図と同じ形状をしている SRは直列リアクトル 正極側に入っている 現状 直列リアクトルはSLで表す |
三菱技報にでていた画像 上図からみて安中変電所のものである シリコン整流器廻りの立面図が画像と同じ |
国鉄の単回路結線図 SR=直列リアクトルが正極側に入っているのが現在と違う また略字がSR 現在はSLで表す |
三菱技報の単回路結線図 国鉄と同じ 直列リアクトルはSLで表記 |
国鉄(JR東日本) 松井田変電所 1,500V
廃止されていないので簡単に
取材時 6,000kWと4,000kWのシリコン整流器 次高崎変電所までは、約20kmTEPCO磯部変電所より新碓氷線は、まだ引き出されていない |
黄 碓氷線(現在は九十九線) 薄紫 碓氷線旧ルート 廃止 黒 碓氷線新ルート 薄茶 JR東日本 松井田変電所ルート |
松井田変電所までの全体の構成
新碓氷線は昭和37年(1962年)6月完成 |
国鉄 横川変電所廃止 1,500V
廃止 建屋しか残っていない
銘板も無い |
交通技術より 工事中の横川変電所 画像と同構図 |
左右にL,Hの回転変流機 これが4組 並ぶ 1組 2,000kW分 |
き電線が引き出されていた部分 松井田方上下 熊ノ平方上下と増強分下 横川駅構内 |
碓氷線(横軽線)から新横川に分岐 |
横川変電所と軽磯線(碓氷線)の位置関係 上から降りてくる横ー熊線とクロスする位置から 軽磯線が分岐し同時に 横-熊線と共架になっていた この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです |
国鉄 熊ノ平変電所廃止 1,500V
3回訪問 廃線ウオーク2回(軽井沢→横川、横川→熊ノ平)その他1回
熊ノ平変電所諸元
連絡送電線 国鉄 横―熊線 66kV 1回線 熊ー軽線 66kV 1回線 受電
奥鉄塔 国鉄 連絡線 横ー熊線 66kV1回線 |
横-熊線、熊ー軽線 共架鉄塔 この鉄塔で捻転 |
右 横ー熊線 受電 左 熊ー軽線 受電部 |
別角度 |
左に張り出し 増設部 シリコン整流器2号系 最初は設備されていない |
ガス遮断器 |
油入り遮断器 |
油入り遮断器と変流器 |
整流用変圧器 |
左 シリコン整流器とバスバーで結ばれる整流用変圧器 中間部は所内変圧器 |
シリコン整流器 3,000kW |
第2号金属整流器 よく見ると4号? |
当初 中心の変圧器 当初のシリコン整流器用変圧器 シリコン整流器は撤去 1号系は油冷シリコン整流器だった様子 放熱器部分にピット |
油冷却型整流器の例 |
供えられた1号系 シリコン整流器用変圧器 |
右 キュービクルは電力沪波器 この空き地部分に66kV降圧6.6kV変圧器があった模様 回転変流機用変圧器は6相のため屋内に設備されていた |
回転変流機3台と変流機用変圧器がシャッター内にあった。 左1区画は回転変流器3台設置のため増築された。 |
き電線引き出し部
下り方4条 4,000A方面別き電 上り方2条 2,000A方面別き電 断路器のブレード、受け刃は持ち去られている |
軽井沢方 この部分に変電所直下のエアーセクションが設けられていた |
熊ノ平変電所 単結線図 回転変流機 3組 2,000kW×3組 66kV降圧6.6kV 2台 6.6kV降圧回転変流機用変圧器570V 3台回転変流機毎 |
国鉄 軽井沢変電所 1,500V しなの鉄道も利用
軽井沢変電所諸元
東電 軽井沢変電所からの専用線 国鉄軽井沢変電所線 66kV 50Hz 1回線 受電
連絡送電線 国鉄 横―熊線 66kV 1回線 熊ー軽線 66kV 50Hz
1回線 受電
軽井沢以西の変電所、御代田、小諸、屋代等は、中部電力60Hz受電となっている。
TEPCO軽井沢変電所から66kV 1回線 碓氷峠に向かい反転 もう1回線 軽井沢変電所から送出されているのは 矢ヶ崎変電所への11kV1回線ともに50Hz 入山峠に向かうのは碓氷線66kV 50Hz 左から来るのは 北佐久線、北軽線(熊川線) |
中電 軽井沢変電所のうしろ TEPCO軽井沢開閉所から66kV送出50Hz
国鉄軽井沢変電所線 1回線(軽井沢変電所へ)正面から送出 右 奥の鉄塔は軽磯線1号鉄塔 大正時代は、碓氷線の名称である。 碓氷線⇒軽磯線⇒九十九線と名を替えている |
国鉄軽井沢変電所線66kV 50Hzは、この鉄塔で捻転 右鉄塔は、小諸軽井沢線5184 中電77kV 60Hz |
TEPCO 軽磯線の上部を越える 国鉄軽井沢変電所線 66kV 50Hz 1回線 プリンスホテルスキー場を横断 左の鉄塔は軽磯線2号鉄塔 66kV 50Hz 1回線 |
碓氷峠 左 奥に 国鉄 熊ー軽線の鉄塔が見える 国鉄軽井沢変電所線と熊ー軽線は、共架されていた |
碓氷峠 奥の鉄塔が国鉄 軽井沢変電所線 TEPCO軽井沢開閉所から プリンスホテルスキー場を横断 |
国鉄軽井沢変電所線と熊ー軽線が共架だった。 2回線鉄塔 奥 軽井沢 手前 碓氷峠 熊ー軽線側は撤去 |
廃止された軽井沢変電所に繋がる 国鉄軽井沢変電所線66kV 1回線 国鉄 熊-軽線もここから送出されていた。 |
回転変流器
しなの鉄道が引き継いだ時点には、回転変流機は無い。
建屋容量6,000kW
Google Street View 左 建屋の横 整流用変圧器2台 |
受電部分 手前1回線は、TEPCO軽井沢開閉所から受電国鉄軽井沢変電所線66kV1回線 奥 1回線は連絡線 熊ー軽線 66kV1回線 |
所内母線 |
高配用変圧器 |
左 整流用変圧器 2台 |
2号Tr 整流用変圧器 右奥 1号Tr 整流用変圧器 |
き電線引き出し部 しなの鉄道用 旧引き出し部の上に構築 |
き電線引き出し部 しなの鉄道用 |
横軽が廃止後もしばらくの間は、軽井沢変電所は、しなの鉄道により運用されていた |
高配引き出し部 しなの鉄道 |
国鉄 引き出し部の上にしなの鉄道が新しい引き出し部を構築 この部分からケーブル化され軽井沢駅まで送出されていた |
軽井沢変電所 結線図
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上図 右上拡大 中電 軽井沢との呼称だが内容はTEPCO軽井沢 中電 軽井沢変電所 60Hz 茂沢軽井沢線、小諸軽井沢線は、TEPCO系50Hzにはつながっていない もう1本あるがこれは配電用の降圧変圧器 TEPCO軽井沢変電所 50Hz 碓氷線、熊ー軽線、北佐久線、熊川線は所内母線で繋がる 矢ヶ崎線は所内母線66kVから降圧され11kVとして運用 1951年の電力再編成令で現中電へ移行 第7回 衆議院 通商産業委員会 第33号 昭和25年4月21日 リンク| |
架線最終コン柱にき電線引き止め 上下き電線を断路器でタイボンド ここから軽井沢変電所までき電線(ケーブル化)が敷設されていた |
軽井沢変電所が しなの鉄道により運用されていたころの き電線上下線と帰線 高配ケーブルが収容されていたトラフ |
架線柱下にある帰線接続点 まだケーブルは撤去されていない |
軽井沢変電所側 き電線、高配ケーブル 引き下し部 |
まとめ
左から 新横川、既設丸山(旧横川)、新旧熊ノ平、既設矢ヶ崎(旧軽井沢)、新軽井沢 |
横川ー軽井沢間に1,500Vき電設備 合計容量18,000kW 600Vき電設備 10,000kWが一時期同居していたことになる。如何に横軽が大電力食いであったかが判る。
粘着運転時の変電所に最新鋭のシリコン整流器を使用せず、中古の回転変流機を利用した理由は、回転変流機が回生対応とすることができることによる。旧線アプト式電気機関車は、丸山、矢ヶ崎変電所の回生対応回転変流機で実績があった。しかしEF62,63で回生運転が保安上見送られてしまい回生対応は取り止めとなった。 また首都圏から移設した回転変流機が使われた事情は首都圏に最新のシリコン整流器を入れたほうが対費用効果の点で安価と算定されたことによる。
国鉄 熊ー軽線 横ー熊線については以下の記事参照
1016. 国鉄 横軽 給電系統 熊ー軽線(19-1号) 横ー熊線(35-27号)を歩く(高崎電力區)シリーズ1 ブログリンク
おまけ
碓氷峠鉄道文化むら EF63運転時の電流と電圧 文化むら変電所
運転前 機関車スタンバイ |
780V 180A 140kWの消費 |
き電線接続部 |
帰線接続部 |
架線は、この地点まで加圧 トロリ線に碍子割り入れ |
奥は加圧できない。 本来なら架線終端標識があるはず |
参考資料(順不同)
横畠洋志;3,000kW1,500V屋外形風冷式シリコン整流器:三菱電機技報,Vol.37,No.12,pp.302-305,1963
吉田哲也ら;鉄道電化設備:電気鉄道,Vol.26,No.7,pp.11-26,1972
信越本線高崎・横川間電化工事記録;日本国有鉄道東京電気工事局編:日本国有鉄道東京電気工事局, 1964
信越本線横川・軽井沢間電化工事記録;日本国有鉄道東京電気工事局編:日本国有鉄道東京電気工事局, 1964
信越本線軽井沢・長野間電化工事記録;日本国有鉄道東京電気工事局編:日本国有鉄道東京電気工事局, 1964
高野光;信越本線 高崎―横川間の電化:電気鉄道,Vol.16,No.3,pp.2-4,1962
松岡信好;き電故障判別装置について:電気鉄道,Vol.20,No.5,pp.29-32,1966
電化開業した信越線高崎ー横川間;交通技術,Vol.17,No.8,pp36.1962
佐藤能章;信越本線横川ー軽井沢間旧線改良工事;交通技術,Vol.19,No.3,pp.7-9,1964
松久恒三;横川ー軽井沢間(アプト区間)改良計画/信越線 Ⅲ 電化設備:電気鉄道,Vol.15,No.11,pp2-12
沢野周一;横川ー軽井沢間(アプト区間)改良計画/信越線 Ⅱ 電気機関車:電気鉄道,Vol.15,No.11,pp2-12
吉村恒;横川ー軽井沢間(アプト区間)改良計画/信越線 Ⅰ 線増工事について:電気鉄道,Vol.15,No.11,pp2-12
東電工五十年史;日本国有鉄道東京第一電気工事局編,1974