2021年2月12日

1024. 信越本線(横軽) 旧線 丸山・矢ヶ崎変電所 給電とき電 新線切換まで シリーズ 5 最終稿

  コロナ禍で外出がままならので、もっぱら国会図書館の公開アーカイブを漁って興味ある事項を調査していた。その過程で、もろもろの記事をUpすることができた。大正時代のデッドセクションについては、Wikipedia記事にも載っていないことが判り深耕することができた。派生記事でデッドセクション標識の生い立ちも調べることができた。

 横軽の変電所調査を進めていく上で、鉄道変電所に給電している電力会社に発電・給電系の調査が必要になり、まとめた。(旧線の変電所も関係しているので)

1019. 軽井沢地区の送電系統を探る。東京電燈 碓氷線(50Hz)、長野電燈 西毛線(60Hz)シリーズ2ブログリンク

 国鉄時代の独自の送電ルートの架空送電鉄塔の調査は、気になっていたので取っ掛かりの都合上ついでに調べた。

1016. 国鉄 横軽 給電系統 熊ー軽線(19-1号) 横ー熊線(35-27号)を歩く(高崎電力區)シリーズ1ブログリンク

粘着運転時代の変電所は、現存している建屋があるので、なんとかまとめた。

1020. 信越本線(横軽) 廃止変電所を歩く(粘着運転時代)シリーズ3ブログリンク

 その過程で横川・軽井沢にあった600/1,500Vデッドセクションについてまとめることができた。Wikipediaの記事には横川のデッドセクションについての記事があったが軽井沢については記載がない。しかし実際に軽井沢にあったデッドセクションの画像がUpできた。

1021. 信越本線(横軽) 横川・軽井沢 600V/1,500V デッドセクション位置と構造、運用  シリーズ 4ブログリンク

 今回 シリーズの最終稿として、旧線の給電と き電をまとめた。電気機関車やアプト式鉄道、線形等に関しては良い記事がUpされているが給電 き電に関してまとめた記事はWebにはUpされていない。

 横軽 旧線の研究資料として「重要文化財碓氷峠鉄道施設変電所(旧丸山変電所)2棟保存修理工事報告書」が挙げられる。今回この報告書の「給電、き電」部分を読み解く最中に、記載されている内容と調査結果が違う部分が出てきてので、調査資料を基に相違点を述べ、一部推定部分を付け加え資料をまとめた。

 

条=回線(3相交流)と読み替える 和暦で月が書いてないものは年度を表す

明治45年(1912)~大正6年(1917年)


送電経路 電纜=地中送電線 6.6kV 2条
この当時の電纜=ケーブルは3相の各相に半導体層が無いため全体で一括の電位が掛かる
のであまり高電圧のケーブルは作れない。11kVケーブルは相ごとに半導体の層を設けるので電位が分割され高電圧化が可能となる。

6.6kV 2条 25Hz トンネル内架設状況


6.6kV 三相ケーブル接続点

6.6kVケーブル 三方分岐 プラグイン方式


き電径路 変電所は母線部分まで
熊ノ平開閉室

熊ノ平開閉室の内部

結線図
左右上部にあるのがサーキットブレーカー
その下 セクション内き電スイッチ
中心が延長き電用スイッチ
その上が三方スイッチ 中線を丸山、矢ヶ崎どちらかでき電
写真の三方スイッチは、片方に定位で固定


途中にあるき電区分所


5号隧道前のき電区分所
中心にサーキットブレーカー
左右にき電スイッチ

サーキットブレーカー
可動ノブの円筒形部分がコイル 電流が整定値を越えるとスイッチ開路


横川火力発電所
 発電機1,000kVA×3 6.6kV 25Hz 発電容量 3,000kVA

丸山変電所
 横川発電所から6.6kV地中送電線 受電 2条 25Hz
 回転変流機 450kW×2台(1台予備)
 ピラニー式昇圧機 2台(1台予備)
 蓄電池 52個×6列 合計312個 2.08V×312個≒649V 容量1,036Ah
 (鉛蓄電池の標準電圧は2.08V・1Cell)
丸山変電所 当時(手前蓄電池室・奥機械室)


6.6kV降圧6相変圧器 回転変流機用

変圧器からの6相2台分回転変流機への入力は上から入る
回転変流機へは床下を経る
右4列から順に
受電盤、変圧器盤、受電盤、変圧器盤となる。(可動腕金に同期検定器、交流電圧計)
次の2列が回転変流機盤となる(可動腕金に直流電圧計・直流ブスバーが見える)
次の2列が直流き電盤(直流母線のBusバーが見える部分)となる

直流き電盤の続き
左1列は、Z母線用のき電盤
次4列が直流き電盤となる。半分見えているのは直流き電盤(合計5列のき電盤がある)


直流 き電盤の立面図


変電所内部 直流き電盤 丸山変電所の場合 
回転変流機からの母線が省略されている
一番左 Z母線用
次からの5列 直流き電盤 左方 横川駅構内 右方 熊ノ平方

変電所内部 直流き電盤 回転変流機電力 右から入る
上2本の太い横線は直流母線Busバー
一番左 Z母線用


機械室(回転変流機+昇圧機・配電盤)内部の機器配置

この昇圧機の場所に増設25Hz回転変流機が設置されていた
同 青図


450kW回転変流機2台 奥にピラニー式昇圧機2台
このピラニー式昇圧機を廃止して500kW25Hzの回転変流機を増設したものと思われる
50Hz回転変流機増設前の25Hz回転変流機の設置場所

右の出っ張りは、回転変流機起動用の三相誘導電動機兼直流分巻き電動機


ピラニー式昇圧機 回転変流機よりも大きい(幅がある)

昇圧機盤と蓄電池盤
左から昇圧機用励磁機盤(盤面上に電磁遮断器(ブレーカー))
昇圧機盤(四極双投開閉器、単極双投開閉器がある盤)
昇圧機用励磁機盤(双極双投開閉器がある盤)
蓄電池盤(直流記示電流計、直流記示電圧計←ペン式記録計のこと)
一番右 電燈配電盤(交直流電圧計、交直電流計、双極単投開閉器6個)

昇圧機盤 3面 立面図 
画像部分との相違 一番右の開閉器が青図では単極双頭である
昇圧機 配線図 

負極母線側に昇圧機用の分流器が入る構成
2台の昇圧機(1台予備)昇圧機を使用しない場合は単極双頭開閉器を切り替える
四極双頭開閉器で2台のうちの1台を選択する。中立の場合昇圧機を使用しない。
電動機は650V 187A分巻きモーターとして駆動させる。
昇圧機は、複巻き電動子で、2組の整流子があり
並列接続で104V1,080A 直列で200V540Aを得る 112kW
(別資料では 80V1,260A 160V630A)100kW


ピラニー式昇圧機の動作原理
 簡単に説明すると直流電動機発電機を蓄電池に直列接続したもの
Bは昇圧機本体 Eは励磁機 この図は電動機が書かれていない。
 Seは直列界磁コイル、Shは並列界磁コイル dは分流器で負荷電流の一部を直列界磁コイルSeに流す。dの部分で電流値(充放電を起動させる)を整定する
 SeとShは差動で動き、Seに流れる励磁電流によりE励磁機の電圧は、B昇圧機の界磁コイルに加わり、蓄電池を放電する方向に電圧を発生、Shは蓄電池を充電する報告に電圧を発生する。
 SeとShに流れる電流が同じ場合 Eは電圧を発生しないので充電放電は行われない。
負荷電流が発電機の発生電流より増加する時は、Seによる励磁電流はShより増加し、蓄電池を放電させて、発電機電力に加わる。その逆も然り。

回転変流器1台運転の場合(文献記載の内容)
 Seの電流は平均700Aの場合(450kW÷650V≒692A)は、充放電しない
 Seの電流が0Aの場合 75Vで700Aを蓄電池へ充電させる。53kW 50%定格 常時
 Seの電流が2,800A の場合104Vで2,100(2800-700)Aを蓄電池から放電させる。但し2,100Aはブースターの最大電流なので30秒間しか耐えられない。218kW200%定格30秒

 
回転変流機、昇圧機、直流き電盤の全体の配線図


蓄電池室


蓄電地 左は312番目の蓄電池

蓄電池室全景 (26個が一バンク・54.8V)×12 2.08V×312


蓄電池建屋

蓄電池312個は26個のバンクで12バンク 直列接続
絶縁架台上さらに碍子を置き2重絶縁
通路は、これまた絶縁架台上に すのこが置かれ感電対策がとられている

縦横のバンクは絶縁ブスバーで連結


矢ヶ崎変電所(変電所の設備は、丸山変電所と同じ 機械室と蓄電池室に分かれていた) 
 横川発電所から6.6kV地中送電線 受電 2条(丸山変電所経由)25Hz
 回転変流機 450kW×2台(1台予備)
 ピラニー式昇圧機 2台(1台予備)
 蓄電池 52個×6列 合計312個 2.08V×312個≒649V 容量1,036Ah
矢ヶ崎変電所当時 手前蓄電池室


蓄電池を使用しない状態の検討
 大正6年 通常 蓄電池1基と並列に回転変流機1台を運転してるが、蓄電池を使用せず回転変流機2台を使用し き電する場合を試験 1変電所の最大電流は1,400A(連続負荷1,380A)で過負荷に耐えられるものとして試験を行った。

 横川発電所
  2台の発電機運転(汽缶2台)と回転変流機2台運転状態で各種負荷試験を実施

 結果
  消費電力は、蓄電池を使用するとすると3.3%節約
  石炭消費量 蓄電池を使用しないと22%増加
  蓄電池維持費との比較も実施
  蓄電池の使用を廃止し、回転変流機2台運転するとして、さらに1台の回転変流機増設で対費用効果を計算
 
蓄電池使用時 43,148万円
蓄電池不使用 27,132万円(回転変流機1台増設)
 差し引き    16,016万円の費用削減が可能と結論

大正7年の矢ヶ崎変電所 回転変流機1台貸出で、この検討結果を検証



大正7年(1918年)~9年(1920年)


輸送量増大に付き予備機運転開始、さらに不足するため回転変流機500kW増設 
 矢ヶ崎変電所(永楽町変電所より移設さらに玉突き移転される)理由は、前述の通り

主幹 東京電燈 軽井沢変電所ー東京電燈 野中開閉所間 66kV送電線(碓氷線)運開 50Hz
 土村第一、第二発電所系統に繋がる 合計8,700kW

横川火力発電所 
 発電機1,000kVA×3 6.6kV 25Hz 発電容量 3,000kVA

丸山変電所 
 横川発電所から6.6kV地中送電線 受電 2条 25Hz
 回転変流機 450kW×2台 900kW
 ピラニー式昇圧機 2台(1台予備)
 蓄電池 52個×6列 合計312個 2.08V×312個≒649V 容量1,036Ah

矢ヶ崎変電所 
 横川発電所から6.6kV地中送電線 受電 2条(丸山変電所経由)25Hz
 回転変流機 450kW×2台、500kW×1台 1,400kW
 ピラニー式昇圧機 1台(1台廃止) 昇圧機の場所に回転変流機を設置
 蓄電池 52個×6列 合計312個 2.08V×312個≒649V 容量1,036Ah

備考
 重要文化財碓氷峠鉄道施設変電所(旧丸山変電所)2棟保存修理工事報告書では、この時矢ヶ崎変電所の蓄電池設備廃止としているが、変電所機械室内に2台の昇圧機があるので1台廃止しとして、その跡に回転変流機を増設したものと考えるのが妥当。
 当初は永楽町変電所からの回転変流機貸し出しで対応しているので、不具合が発生したら直ぐに原状回復ができるよう考慮したものと思われる。その後データを取りつつ、首都圏の回転変流機25Hzから50Hzに置き換えが進むにつれて余剰の25Hz回転変流機がでてくるのでそのタイミングに合わせて、玉突き移転を行い出費を避けながら変電所へ回転変流機を増設を図ったようだ。

発電容量3,000kWに対し設備容量2,300kW 77% まだ余裕
このころ、蓄電池廃止に関する検討を実施



大正10年(1921年)


さらに増大する輸送量に対して電力量が不足し始め、回転変流機500kW回転変流機増設
 丸山変電所(矢ヶ崎変電所より玉突き移設) 矢ヶ崎変電所(原宿変電所から移設)
 東京圏の回転変流機が25Hzから50Hzに置き換えで余剰の25Hzを移設
大正7年からの蓄電池廃止、回転変流機増設のエビデンスが得られた模様

主幹 東京電燈 軽井沢変電所ー東京電燈 野中開閉所間 66kV送電線(碓氷線) 50Hz
 土村第三、箕輪発電所系統に繋がる 合計14,850kW 水力発電の安価な電源が供給され始める。

横川火力発電所 
 発電機1,000kVA×3 6.6kV 25Hz 発電容量 3,000kVA

変電所 回転変流機の実態 証跡
大正10年 鉄道統計資料第二章電気事業 部分
丸山変電所 合計出力1,400kW
矢ヶ崎変電所 合計出力 1,900kW

丸山変電所 
 横川発電所から6.6kV地中送電線 受電 2条 25Hz
 回転変流機 450kW×2台、500kW×1台 合計1,400kW
 ピラニー式昇圧機 1台(1台廃止)昇圧機の場所に回転変流機が設備されたと思われる
 蓄電池 52個×6列 合計312個 2.08V×312個≒649V 容量1,036Ah

矢ヶ崎変電所 
 横川発電所から6.6kV地中送電線 受電 2条(丸山変電所経由)25Hz
 回転変流機 450kW×2台、500kW×2台 合計1,900kW
 ピラニー式昇圧機 2台廃止 昇圧機の場所に回転変流機が設備されたと思われる
 蓄電池 52個×6列 合計312個 2.08V×312個≒649V 容量1,036Ah

発電容量3,000kWに対し設備容量3,300kW 110% 超過



大正11年(1921年)


主幹 東京電燈 軽井沢変電所ー東京電燈 野中開閉所間 66kV送電線(碓氷線) 50Hz
 熊川第一系統に繋がる 合計17,250kW 水力電力が潤沢に使用できる環境が整い始める
但し、外部購入電力は50Hzのため25Hzで運用しながら50Hzに切り替える必要があった。

6.6kV送電線4条化

横川火力発電所 
 発電機 1,000kVA×3 6.6kV 25Hz 発電容量 3,000kVA

丸山変電所 
 横川発電所から6.6kV地中送電線 受電 4条 25Hz
 回転変流機 450kW×2台、500kW×1台 合計1,400kW
 ピラニー式昇圧機 1台
 蓄電池 52個×6列 合計312個 2.08V×312個≒649V 容量1,036Ah

矢ヶ崎変電所 
 横川発電所から6.6kV地中送電線 受電 2条(丸山変電所経由)25Hz
 回転変流機 450kW×2台、500kW×2台 合計1,900kW
 ピラニー式昇圧機 2台は廃止 昇圧機の場所に回転変流機を設備
 蓄電池は、運用停止された様子 昇圧機がないと制御された充放電ができない

発電容量3,000kWに対し設備容量3,300kW 110% 超過

横川発電所ー丸山変電所間 6.6kV地中送電線4条化(大正10年)容量を確保 電圧降下対策


大正12年(1923年)~大正15年(1926年)14年経過


回転変流機の改良(効率化)で480Vに変更 6.6kV降圧6相変圧器のタップ切替で対応

主幹 東京電燈 軽井沢変電所ー東京電燈 野中開閉所間 66kV送電線(碓氷線) 50Hz
 熊川第二、瑞穂、海瀬系統に繋がる 合計31,250kW 水力電力が潤沢に使用できる環境が整った。

横川火力発電所 
 発電機1,000kVA ×3 6.6kV 25Hz 発電容量 3,000kVA

丸山変電所 
 横川発電所から6.6kV地中送電線 受電 4条 25Hz
 回転変流機 450kW×2台、500kW×1台 合計1,400kW
 ピラニー式昇圧機 1台
 蓄電池 52個×6列 合計312個 2.08V×312個≒649V 容量1,036Ah

矢ヶ崎変電所 
 横川発電所から6.6kV地中送電線 受電 2条(丸山変電所経由) 25Hz
 回転変流機 450kW×2台、500kW×2台 合計1,900kW
 ピラニー式昇圧機 2台は廃止 昇圧機の場所に回転変流機を設備
 蓄電池は廃止された模様

発電容量3,000kWに対し設備容量3,300kW 110%
横川発電所ー丸山変電所間 6.6kV地中送電線4条化(大正11年)容量を確保 電圧降下対策
回転変流機のAC側入力電圧480V化 効率を高める(大正12年)
小手先の対応では、供給が間に合わなくなる。 購入電力の検討を開始(大正12年~)

改造増設履歴(鉄道統計資料)
 丸山矢ヶ崎変電所 変流機改造 大正15年
 丸山矢ヶ崎変電所電気設備増設 大正15年~昭和2年
 丸山矢ヶ崎変電所変流機改造 大正15年~昭和2年
 横川発電所周波数変換機設備 大正15年~昭和2年
 丸山矢ヶ崎間地中送電線新設 大正14年~昭和2年



昭和の大改造

火力から購入水力へ

大正7年度から大改造終了までの横川火力発電所の供給電力量と単価
丸山変電所+矢ケ崎変電所の供給電力量と単価(平均)
人件費も単価に入っている
昭和2年には供給電力量が上限になっている
横川火力は昭和3年までは稼働していたようだ。

昭和3年以降 購入電力(水力)は単価の変動も少なくなる
横川火力供給量≠丸山+矢ケ崎供給量 人件費+改良設備費も入る
大正8年から大正11年 回転変流機増設 設備改良



昭和2年(1927年)昭和の大改造 25Hz受電しながら50Hzに切替

重要文化財碓氷峠鉄道施設変電所(旧丸山変電所)2棟保存修理工事報告書との違いが出てくる

主幹 東京電燈 軽井沢変電所ー東京電燈 野中開閉所間 66kV送電線(碓氷線) 50Hz
 小諸系統に繋がる 合計46,050kW 水力電力が潤沢に使用できる環境が整った。
 電力料金も水力購入が安価となる
矢ヶ崎変電所 軽井沢変電所から11kV 50Hz 受電 購入電力開始


横川火力発電所 
 発電機1,000kVA×3 6.6kV 25Hz 発電容量 3,000kVAそのまま
 周波数変換機2,500kW(機械式)M=モーター側 G=発電機側 設置
        25Hz 6.6kVで電動機駆動 発電機で50Hz 3.3kV発電←違う部分
        昭和2年は周波数変換器の設置だけ 3.3kV昇圧11kV変圧器は翌年運開

        報告書「11kV 50Hzの電源を東京電燈から購入
        周波数変換機で6.6kV 25Hzに変換」の部分が違う
        鉄道統計資料の周波数変換器の部分M=50Hz G=25Hzと読み間違えたと
        判断できる。
        また11kV50Hzの電源を購入したのは矢ヶ崎変電所となる。

丸山変電所 
 横川発電所から6.6kV地中送電線 受電 4条 25Hz
 回転変流機 450kW×2台、500kW×2台 合計1,900kW
 ピラニー式昇圧機のあった場所(2台分)に回転変流機が置かれている
 蓄電池 52個×6列 合計312個 2.08V×312個≒649V 容量1,036Ah
 昇圧機がないため蓄電池は、使用できない。

矢ヶ崎変電所 
 横川発電所から6.6kV地中送電線 受電 2条(丸山変電所経由) 25Hz
 軽井沢変電所から11kV架空送電線 受電 2回線 50Hz
 回転変流機 450kW×2台、500kW×1台 合計1,400kW 予備化
 回転変流機 1,000kW×3台 合計3,000kW 運用開始 600V 常用
 蓄電池建屋に1,000kW×3台を設備 蓄電池設備完全廃止
 軽井沢変電所から11kV受電を行うも50Hzのため丸山変電所への延長給電は行えない

発電容量3,000kVAに対し設備容量3,300kW 25Hz 但し1,400kWは予備 130% 
11kV系は軽井沢電源で補完 不足電力の購入が行われる。

改造増設履歴(鉄道統計資料)
 丸山矢ヶ崎変電所電気設備増設 昭和2年~昭和3年
 横川軽井沢間き電線増設 大正15年~昭和2年
 矢ヶ崎変電所変流器一基丸山変電所へ移転 昭和2年
 横川発電所周波数変換機設備 昭和2年~昭和3年
 丸山矢ヶ崎間特高電纜敷設 昭和2年~昭和3年


昭和3年(1928年)~昭和4年(1929)昭和の大改造 25Hz受電しながら50Hzに切替


主幹 東京電燈 軽井沢変電所ー東京電燈 野中開閉所間 66kV送電線(碓氷線) 50Hz
 島川原系統に繋がる 合計61,7500kW 水力電力が潤沢に使用できる。
矢ヶ崎変電所 軽井沢変電所から11kV 50Hz 受電 購入電力

横川火力発電所 
 発電機1,000kVA×3 6.6kV 25Hz 発電容量 3,000kVAそのまま 
 周波数変換機2,500kW(機械式)M=モーター側 G=発電機側 設置
        25Hz 6.6kVで電動機駆動 発電機で50Hz 3.3kV発電←違う部分
        3.3kV昇圧11kV変圧器運開 11kV 50Hz送電開始

丸山変電所 
 横川発電所から6.6kV地中送電線 受電 4条 25Hz No.1~4
         11kV地中送電線 2条 50Hz受電 No.5~6
 矢ヶ崎変電所経由11kV 受送電 3条 50Hz No.5~No.7
 回転変流機 450kW×2台、500kW×2台 合計1,900kW 予備化
 回転変流機 1,000kW×3台 合計3,000kW 運用 600V 常用
 蓄電池建屋に1,000kW×3台を設備 蓄電池設備完全廃止

矢ヶ崎変電所 
 横川発電所から6.6kV地中送電線 受電 2条(丸山変電所経由) 25Hz No.1~2
       11kV地中送電線 受送電 3条(丸山変電所経由) 50Hz No.5~7
 軽井沢変電所から11kV架空送電線 受電 2回線 50Hz
 回転変流機 450kW×2台、500kW×1台 合計1,400kW 予備化
 回転変流機 1,000kW×3台 合計3,000kW 運用 600V 常用

改造増設履歴(鉄道統計資料)
 丸山矢ヶ崎変電所電気設備増設 昭和3年~昭和4年
 丸山矢ヶ崎間特高電纜敷設 昭和2年~昭和3年

50Hz電力の補完体制確立 
 軽井沢電源50Hz→矢ヶ崎、丸山変電所へ
 横川火力電源50Hz→矢ヶ崎、丸山変電所へ
           

蓄電池室完全廃止(電気鉄道技術発達史より)
蓄電池建屋の廃止時期 

証跡 鉄道統計資料 昭和3年部分
鉄道統計資料 昭和3年部分

横川火力発電所 
 発電機 1,000kVA ×3
 周波数変換機 
  2,500kW M側6,600V(AC) G側3,300V(DC)3相 
  周波数 M 25c/s G 50c/s
 変圧器 容量2,500kVA 一次3,300V 二次11,000V 周波数50c/s
となり25Hzから50Hzを変換しさらに11kVに昇圧していた。

丸山変電所には25Hz回転変流機が、まだ4台残されている。(矢ヶ崎変電所も同様資料省略)


昭和5年(1930年)~昭和7年(1932)昭和の大改造 25Hz受電しながら50Hzに切替


主幹 東京電燈 軽井沢変電所ー東京電燈 野中開閉所間 66kV送電線(碓氷線) 50Hz
 矢ヶ崎変電所 軽井沢変電所から11kV 50Hz 受電 購入電力
 丸山変電所 碓氷線途中分岐 66kV 50Hz 受電 購入電力 昭和5年12月運開
碓氷線丸山支線分岐は昭和5年12月運開


横川火力発電所 
 発電機 廃止 
 ただし25Hz回転変流機が予備機として設置されたままなので25Hzの電源調達を考慮しなければならない。

 周波数変換機2,500kW(機械式の逆組替えで対応) 
        11kV 50Hz受電し6.6kV 25Hz送電に組み替え
        逆変換 11kV降圧3.3kV変圧器 50Hz 
        50Hz 3.3kVで電動機駆動 発電機で25Hz 6.6kV発電
        但し予備的に置かれたものと考える。25Hz回転変流機は予備対応


丸山変電所 
 横川発電所から6.6kV地中送電線受電 4条 25Hz、
 矢ヶ崎変電所ー11kV地中送電線 受送電 3条 50Hz
 碓氷線分岐66kV架空送電線50Hz受電 1回線 昭和5年運開
 66kV降圧11kV変圧器 50Hz
 回転変流機 450kW×2台、500kW×2台 合計1,900kW 予備化
 回転変流機 1,000kW×3台 合計3,000kW 運用 600V 常用
 
矢ヶ崎変電所 
 横川発電所から6.6kV地中送電線 受電 2条(丸山変電所経由) 25Hz
 軽井沢変電所から11kV架空送電線 受電 2回線 50Hz
 丸山変電所から11kV地中送電線 受送電 3条 50Hz
 回転変流機 450kW×2台、500kW×1台 合計1,400kW 予備化
 回転変流機 1,000kW×3台 合計3,000kW 運用 600V 常用

 25Hz回転変流機が予備機として昭和7年まで残されていたので25Hz電源確保のためには当初使用した周波数変換機を逆に利用し50Hzから25Hzを行う運用が想定されていた模様

50Hz電力の相互補完体制確立 
 軽井沢電源50Hz→矢ヶ崎、丸山変電所へ
 碓氷線電源50Hz→矢ヶ崎、丸山変電所へ

重要文化財碓氷峠鉄道施設変電所(旧丸山変電所)2棟保存修理工事報告書との相違点




昭和8年(1933年)~昭和11年(1936)50Hzに切替完了


昭和7年当時の受電系統
No.5-7 11kV 3条の地中送電線 
矢ケ崎変電所は11kV2回線受電
丸山変電所は碓氷線66kV 1回線受電

主幹 東京電燈 軽井沢変電所ー東京電燈 野中開閉所間 66kV送電線(碓氷線) 50Hz
 矢ヶ崎変電所 軽井沢変電所から11kV 50Hz 受電 購入電力
 丸山変電所 碓氷線途中分岐 66kV 50Hz 受電 購入電力

丸山変電所 
 碓氷線分岐66kV架空送電線50Hz受電 1回線
 66kV降圧11kV変圧器 50Hz
 矢ヶ崎変電所ー11kV地中送電線 受送電 3条
 回転変流機 1,000kW×3台 合計3,000kW 運用 600V 
 
矢ヶ崎変電所 
 軽井沢変電所から11kV架空送電線 受電 2回線 50Hz
 丸山変電所ー11kV地中送電線 受送電 3条 50Hz
 回転変流機 1,000kW×3台 合計3,000kW 運用 600V 常用

50Hz電力の相互補完体制確立 
 軽井沢電源50Hz→矢ヶ崎、丸山変電所へ
 碓氷線電源50Hz→矢ヶ崎、丸山変電所へ


昭和12年(1937)熊ノ平変電区(変電所)新設


主幹 東京電燈 軽井沢変電所ー東京電燈 野中開閉所間 66kV送電線(碓氷線) 50Hz
 矢ヶ崎変電所 軽井沢変電所から11kV 50Hz 受電 購入電力
 丸山変電所 碓氷線途中分岐 66kV 50Hz 受電 購入電力

丸山変電所(区) 
 碓氷線66kV分岐架空送電線50Hz受電
 66kV降圧11kV変圧器 50Hz     
 熊ノ平変電所ー11kV地中送電線 受送電
 回転変流機 1,000kW×3台 合計3,000kW 運用 600V

熊ノ平変電所(区) 
 丸山変電所ー地中送電線11kV 受送電
 矢ヶ崎変電所ー地中送電線11kV 受送電
 水銀整流器  2,000kW×1台 600V

左の山を崩し熊ノ平変電所(区)が建設された
 
矢ヶ崎変電所(区) 
 軽井沢変電所から11kV架空送電線 受電 2回線 50Hz
 熊ノ平変電所ー11kV地中送電線 受送電 3条 50Hz
 回転変流機 1,000kW×3台 合計3,000kW 運用 600V 

昭和13年~昭和24年 鉄道統計資料無し



昭和25年(1950年)~昭和27年(1952年)

主幹 中部電力 軽井沢変電所ー東京電力 野中開閉所間 66kV送電線(碓氷線) 50Hz
 矢ヶ崎変電所 軽井沢変電所から11kV 50Hz 受電 購入電力
 丸山変電所 碓氷線途中分岐 66kV 50Hz 受電 購入電力

丸山変電所(区) 
 碓氷線分岐66kV架空送電線50Hz受電
 66kV降圧11kV変圧器 50Hz
 熊ノ平変電所ー11kV地中送電線 受送電
 回転変流機 1,000kW×3台 合計3,000kW 運用 600V 

66kV受電 鉄塔

66kV受電鉄塔と屋外変電設備 油入り遮断器、断路器、66kV降圧11kV変圧器

右に断路器と油入り遮断器


熊ノ平変電所(区) 
 丸山変電所ー地中送電線11kV 受送電
 矢ヶ崎変電所ー地中送電線11kV 受送電
 水銀整流器  2,000kW×1台 600V

矢ヶ崎変電所(区) 
 中電軽井沢変電所から11kV架空送電線 受電 2回線 50Hz
 熊ノ平変電所ー11kV地中送電線 受送電 1条 50Hz
 回転変流機 1,000kW×3台 合計3,000kW 運用 600V 


昭和13年~昭和24年 鉄道統計資料が無いが昭和25年時点で設備は昭和12年当時と同じである。
昭和25年 全国の電力業者の棲み分けが行われる。軽井沢変電所が中電管轄となる


昭和28年(1953年)~昭和36年(1961年) 熊ノ平変電所(区)に2台目 水銀整流器増設

主幹 中部電力 軽井沢変電所ー東京電力 野中開閉所間 66kV送電線(碓氷線)50Hz 
 矢ヶ崎変電所 軽井沢変電所から11kV 50Hz 受電 購入電力 2条
 丸山変電所 碓氷線途中分岐 66kV 50Hz 受電 購入電力 1条

丸山変電所(区) 
 碓氷線分岐66kV架空送電線50Hz 受電 1回線
 66kV降圧11kV変圧器 50Hz
 熊ノ平変電所ー11kV架空送電線 受送電 1回線
 回転変流機 1,000kW×3台 合計3,000kW 運用 600V 

熊ノ平変電所(区) 
 丸山変電所ー架空送電線11kV 受送電 1回線
 矢ヶ崎変電所ー架空送電線11kV 受送電 1回線
 水銀整流器  2,000kW×2台 600V

熊ノ平変電所(区) 増築前 現3列の窓が2列
将来の水銀整流器増設に対応して建屋は、建てられている

熊ノ平変電所(区) 増築前

矢ヶ崎変電所(区)
 中電軽井沢変電所から11kV架空送電線 受電 2回線 50Hz
 熊ノ平変電所ー11kV架空送電線 受送電 1回線 50Hz
 回転変流機 1,000kW×3台 合計3,000kW 運用 600V 

左に軽井沢変電所からの11kV送電線 鉄塔


11kV架空送電線化 地中送電線廃止No.7

トンネル内 最後まで残った11kV No.7地中送電線

まだ残っている11kV 地中送電線クリート 木製
6.6kV地中送電線は金属の保持金具であったが電食を考慮して木製となっている


昭和37年(1962年) 旧線 新線切替時


中部電力 軽井沢変電所ー東京電力 磯部変電所 66kV送電線(碓氷線) 50Hz 
 矢ヶ崎変電所 軽井沢変電所から11kV 50Hz 受電 購入電力 2回線
 丸山変電所 碓氷線途中分岐 66kV 50Hz 受電 購入電力 1回線
 横川変電所 碓氷線途中分岐 66kV 50Hz 受電 購入電力 1回線
 軽井沢変電所 中電軽井沢変電所から66kV 50Hz受電 購入電力 1回線

横川変電所
 碓氷線66kV架空送電線50Hz 受電 1回線
 新熊ノ平変電所へ架空送電線66kV 送電 1回線
 回転変流機 1,000kW×3台 合計3,000kW 運用 1,500V

丸山変電所 
 碓氷線66kV架空送電線50Hz 受電 1回線
 回転変流機 1,000kW×3台 合計3,000kW 運用 600V 

新熊ノ平変電所
 横川変電所から架空送電線66kV 受電1回線
 回転変流機 1,000kW×3台 合計3,000kW 運用 600V 

左部分が回転変流機3台設置のための増築箇所
右手前も増築部分

熊ノ平変電所(区) 増築前


旧熊ノ平変電所 
  矢ヶ崎変電所ー架空送電線11kV 受電 1回線
  シリコン整流器  1,200kW 600V運用(移動式仮設)
 
矢ヶ崎変電所
 中電軽井沢変電所から11kV架空送電線 受電 1回線 50Hz
 熊ノ平変電所ー11kV架空送電線 受送電 1回線 50Hz
 回転変流機 1,000kW×3台 合計3,000kW 運用 600V 

右に中電軽井沢変電所からの11kV送電線が伸びる
左奥 鉄塔66kV 昇圧対応 
1回線は軽井沢変電所へもう1回線は11kV熊ノ平変電所へ


軽井沢変電所
 中電軽井沢変電所 66kV架空送電線 受電 1回線 50Hz
 回転変流機 1,000kW×3台 合計3,000kW 運用 1,500V 

絶対止められないので変電所には係員が張り付き運用
11kV架空送電線を66kV昇圧運用



昭和38年(1963年)  新線切替後

中部電力 軽井沢変電所ー東京電力 磯部変電所 66kV送電線 50Hz 1回線
 横川変電所 碓氷線途中分岐 66kV 50Hz 受電 購入電力 1回線
 軽井沢変電所 中電軽井沢変電所から66kV 50Hz受電 購入電力 1回線

横川変電所
 碓氷線66kV架空送電線50Hz 受電 1回線
 熊ノ平変電所ー架空送電線66kV 受送電 1回線
 回転変流機 1,000kW×3台 合計3,000kW 運用 1,500V

熊ノ平変電所
 横川変電所ー架空送電線66kV 受送電1回線
 軽井沢変電所ー架空送電線66kV 受送電1回線
 回転変流機 1,000kW×3台 合計3,000kW 運用 1,500V 

軽井沢変電所
 中電軽井沢変電所 66kV架空送電線 受電 1回線 50Hz
 熊ノ平変電所ー架空送電線66kV 受送電1条
 回転変流機 1,000kW×3台 合計3,000kW 運用 1,500V 

詳細は以下参照



参考資料(順不同)

重要文化財碓氷峠鉄道施設変電所(旧丸山変電所)2棟保存修理工事報告書:文化財建造物保存技術協会 編,松井田町, 2002.7

信越線碓氷 電化工事概要:鉄道院東部鉄道管理局,明治45年印刷

東部鉄道管理局の報告に據る:工業之大日本,Vol.9,No.9,pp.22-40,1912(明治45年)
(内容は、前記の信越線碓氷 電化工事概要と同じ)

玉木辨太郎;信越線に於ける電気運転に就て:工学会誌,Vol.31,No.353,pp.356-375,1912(明治45年)、帝國鉄道協会会報,Vol13,No.3,pp354-373,1912も同じ内容

工作局電気課;内国資料 碓氷線発変電所試運転成績:業務研究資料,Vol5,No.12,pp.2261-2274、1917(大正7年)
(蓄電池の廃止・回転変流器増設を検討)

碓氷線電気運転の現状;交通と電気,Vol1,No.12,pp.8-11,1922(大正11年)
 ここには、蓄電池設備の使用を廃したとあり、これは矢ヶ崎変電所の蓄電池設備の内昇圧機2台を廃したため蓄電池の充放電ができないことと解する。

古河寿之ら;信越線ー横川・軽井沢間 粘着運転をふりかえって:電気鉄道,Vol.18,No.5,pp.11-17,1964

日本国有鉄道百年史9,日本国有鉄道/編,1972

鉄道技術発達史Ⅳ第3篇電気,日本国有鉄道,1959

国有鉄道百年史6,日本国有鉄道/編,1972

鉄道省電気局沿革史:鉄道省

電気鉄道技術発達史:鉄道電化協会,1983

轣轆114 : 高鉄運転史;日本国有鉄道高崎鉄道管理局運転史編纂委員会 企画編集:日本国有鉄道高崎鉄道管理局運転史編纂委員会, 1987.3

阿武止氏機関車:アブト式写真集編集会, 1983.9

平田一夫;碓氷峠の旧鉄道施設:平田一夫撮影、編輯,1995自費出版

電気試験所報告;電気試験所研究報告 第193号 碓氷電化區間に於ける電解腐蝕防止施設に就て:工政会出版部, 昭和2年(1927年)

鉄道統計資料 明治45年~昭和12年、昭和25~昭和38年 NDL インターネット公開資料

電氣事業要覧(名古屋・関東)NDL インターネット公開資料

国有鉄道電化発達概要;鉄道省電気局 編:鉄道省電気局, 昭和7 
国有鉄道電化発達概要 NDL インターネット公開資料


国有十年  本邦鉄道国有後の施設並成績:鉄道省 編:鉄道省, 大正9年(1920)

三根 正亮;碓氷峠電化工事に就て:電氣學會雜誌,Vol.33,No.300,pp.751-812,1913

小宮 次郎;碓氷峠に使用せる電氣機關車構造概要:電氣學會雜誌,Vol34,No.314,pp.697-750,1914 ジャーナル フリー碓氷峠に使用せる電氣機關車構造概要 pdf リンク


鉄道文化むら所蔵 鈴木氏所蔵図面(公開用)
投稿者:坂本 真至 投稿日時:月, 2014-06-09 23:20
 平成25年度におきまして、土木学会図書館委員会図面研究小委員会では、鉄道文化むらとの共同研究を締結し、鉄道文化村が所蔵する鈴木氏の寄贈資料のうち、主に図面資料と対象としてデジタル化を実施しました。ここで公開するのはサムネールです。
デジタル化作業の一部は平成25年度科研費により実施しました。










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