何ゆえに東海道新幹線鴨宮試験線区で早急に周波数変換機が調達できたか 氷解
この項 画像無し
東海道新幹線が開業される前、試験線区として鴨宮から高座渋谷付近間で実際に新幹線を走らせてデーターを取る試験が行われた。その際に現在の大磯き電区分所付近にJR自営66kV 50Hz電源から25kV 60Hzへ変換するための回転式周波数変換機が設備された。その回転式周波数変換機は九州電力から取り寄せられた(無償)旨の記載が文献にあった。 この項 画像無し
イントロ 東海道新幹線 大磯区分き電所
なぜ九州電力から取り寄せたか ずーと疑問符?????が付いたままであった。常磐線の交流電化に関する記事を書く途中で、Web上でいろいろ検索していたら、国鉄の九州交流電化に関する文献が見つかった。内容を読むと、なぜ九州電力に回転式周波数変換機が転がっていたかが氷解した。その文献によると九州北部での炭田開発時に、各炭鉱が独自の石炭火力発電所を建設。自前の石炭で火力発電を行っていた。その際の発電機が統一されておらず50と60Hzが混在した形で送電線が張り巡らされていたとのこと。その後(戦後)九州電力として電力会社が纏まった際の50と60Hzが混在していたが、国の指導により九州は60Hzに統一することとなり現在に至っている。
昔から言われていた、関西と東京でのアメリカ製、とドイツ製の発電機を採用。富士川を境に60と50Hzの区切りができたとのことだったが、北九州の炭田地帯は、炭鉱主により60もしくは50Hzを独自に採用し運用していた。九州電力は、そのため50から60Hzへ変換する回転式周波数変換機を持っていたが発電機が徐々に60Hzに統一されたため、回転式周波数変換機が余っていたので、国鉄に分与することができたのであった。 これを機会にさらに調べると九州における周波数統一の経緯が判明する資料がWeb上で見つかった。
九州北部の周波数統一について言及
ちょうど第二回切り替え以降 回転式周波数変換機が余る算段であった。
以下Wikipediaより引用
回転式周波数変換機は、その後 技研(現 鉄道総合技術研究所)に引き取られて、60Hzの試験研究に持ちいられて運命を終えた。をつないだ。
森本大観;周波数変換装置(1) 鉄道総研の技術遺産 RRR:2015,Vol.72,No.1,pp.34-35
森本大観;周波数変換装置(2) 鉄道総研の技術遺産 RRR:2015,Vol.72,No.2,pp.34-35
参考文献
鉄道総研の技術遺産;森本 大観: RRR、2015、Vol.72.No.2 pdf 注意
資源エネルギー庁 資料引用 |
ちょうど第二回切り替え以降 回転式周波数変換機が余る算段であった。
以下Wikipediaより引用
鴨宮モデル線区:1962年(昭和37年) 3月15日:軌道起工式。 5月:鴨宮モデル線完成、6月下旬、テスト走行開始。
モデル線は全線に先駆けて建設され、1962年(昭和37年)から1964年(昭和39年)にかけての約2年間、新型車両と設備の試験、乗員と保線要員の養成、「夢の超特急」の広報と試乗者受け入れを行った。モデル線がなかったら、わずか5年で開業に漕ぎ着けることは難しかったと考えられている。
回転式周波数変換機のその後
回転式周波数変換機は、その後 技研(現 鉄道総合技術研究所)に引き取られて、60Hzの試験研究に持ちいられて運命
九電で使われていたころの回転式周波数変換機 文献から引用 赤の軸受けに注目 |
技研に備え付けられている、かつての周波数変換機 現在は、短絡発電機として60Hzの大電流試験に使われているそうだ 文献から引用 赤の軸受けに注目。この部分以外は大幅に改良が加えられている。 |
短絡試験、大電流試験用大電流変成設備 拡大 |
鉄道技術総合研究所Webからの引用 この部分の変成設備に該当する この短絡発電機60Hzが、東海道新幹線 鴨宮モデル線区 大磯仮設変電所で使われた回転式周波数変換機 |
森本大観;周波数変換装置(2) 鉄道総研の技術遺産 RRR:2015,Vol.72,No.2,pp.34-35
参考文献
鉄道総研の技術遺産;森本 大観: RRR、2015、Vol.72.No.2 pdf 注意