鉄道院(省) 600/1200/1500ヴォルト 大正(昭和初期)時代のデッドセクション
新年明けましておめでとうございます。
I`d like to wish you a better New Year Than 2020 and stay safe.
(For the past couple of days, we've been getting a lot of traffic from the US)
皆さまにとって良い年になることを祈るばかりです。コロナ禍のため外出もままならぬので、もっぱら国会図書館のインターネット公開資料を調査している。その調査していた過程で見つけた、興味ある項目をUpする。(しかしまだ本題には、たどり着けず、まとめ切れていない)
国立国会図書館デジタルコレクション公開アーカイブを利用して得られた情報を核にした |
鉄道院 鉄道電化の始めは明治37年(1906)の甲武鉄道(買収) お茶の水⇔中野間 600V架空複線式であることは、成書に多く書かれていることである。
SS=変電所 PS=発電所
M37/8 甲武鉄道 飯田町-中野間 電化 架空複線式 600V
M37 甲武鉄道 お茶の水-中野 電化 架空複線式 600V
M39/10 甲武鉄道 お茶の水-中野 電化 国有化 架空複線式 600V
M42/6 軽井沢-横川電化決定 第三軌条 650V
M42 上野-烏森(新橋)池袋-赤羽 電化 架空複線式 600V
M43/4 市ヶ谷SS廃止 池袋SS新設
M43/4 軽井沢-横川 電化工事着手
M43/4 横川SS、丸山SS、矢ヶ崎SS 建設開始
M43/6 上野-有楽町 電化 架空複線式 600V
M43/9 上野―呉服橋(東京駅) 電化 架空複線式 600V
M45/4 万世橋-中野 電化 架空複線式 600V
M45/5 横川-軽井沢 電化運転開始 第三軌条、架空単線式 650V
T3/12 矢口、大井町、川崎、原宿SS設置
T3/12 品川-高島町(横浜)電化 架空単線式1200V
初めてのデッドセクション600V/1200V品川 品川―呉服橋間 架空単線式 600V
M37 甲武鉄道 お茶の水-中野 電化 架空複線式 600V
M39/10 甲武鉄道 お茶の水-中野 電化 国有化 架空複線式 600V
明治43年(1910年)時点
M41/4 鉄道院 昌平橋―中野 電化 架空複線式 600V
M42/6 軽井沢-横川電化決定 第三軌条 650V
M42 上野-烏森(新橋)池袋-赤羽 電化 架空複線式 600V
M43/4 市ヶ谷SS廃止 池袋SS新設
M43/4 軽井沢-横川 電化工事着手
M43/4 横川SS、丸山SS、矢ヶ崎SS 建設開始
M43/6 上野-有楽町 電化 架空複線式 600V
M43/9 上野―呉服橋(東京駅) 電化 架空複線式 600V
大正3年(1914年)時点
M44/9 軽井沢-横川 電化完成 横川PS、丸山SS、矢ヶ崎SS運開
M45/4 万世橋-中野 電化 架空複線式 600V
M45/5 横川-軽井沢 電化運転開始 第三軌条、架空単線式 650V
T3/12 矢口、大井町、川崎、原宿SS設置
T3/12 品川-高島町(横浜)電化 架空単線式1200V
初めてのデッドセクション600V/1200V品川 品川―呉服橋間 架空単線式 600V
き電範囲 川崎変電所 1200V、大井町変電所・永楽町・原宿変電所 600V デッドセクションは八ッ山付近 |
この当時の電鉄変電所は、蓄電池設備を持つのが普通であり、信越本線 丸山、矢ケ崎変電所だけが特殊な例ではない。 蓄電池1セルの標準電圧は2.08Vであり、これを直列に繋ぎ合わせ600V/1200Vを緩衝用蓄電池として、急激な電力供給、停電、夜間蓄電に対応していた。
信越本線 丸山、矢ヶ崎 変電所 回転変流機と昇圧機 |
信越本線 丸山、矢ヶ崎 変電所 蓄電池建屋 |
蓄電池が無い場合、平均負荷が最大負荷より小さくても発電機容量は最大負荷に対応していなければならず、設備に過大な投資が必要となる。蓄電池を接続することにより、発電機の負荷は、平均負荷に対応させ、過大な負荷が掛った場合、蓄電池から供給。平均負荷が供給負荷より下回った場合、蓄電池に蓄電を行う。そのため蓄電池の短絡抵抗は、非常に低い値になっている。
信越本線 丸山変電所、矢ヶ崎変電所と同様な蓄電池、昇圧機もピラニー式が選択されている。ただし川崎変電所だけは、回転変流機ではなく、同期電動機に直流発電機を直列につなげたもので昇圧機もランカッシャイヤー式を選択している。
代表的な回転変流機とピラニー式昇圧機
回転変流機 3相6相変圧器と特徴的な回転変流機(RC)の形 |
右に蓄電池 左にピラニー式昇圧機2台(1台予備) |
永楽町変電所 25Hz AC受電 DC600Vき電
回転変流機(25Hz)、ピラニー式昇圧機
蓄電池設備 288個 (2.08×288=599.04V)
屋根の形状から奥が蓄電池室 |
原宿変電所 25Hz AC受電 DC600Vき電
回転変流機(25Hz)ピラニー式昇圧機
蓄電池設備 288個 (2.08×288=599.04V)
屋根の形状から左が蓄電池室 |
大井町変電所 25Hz AC受電 DC600Vき電
回転変流機(25Hz)ピラニー式昇圧機
蓄電池設備 288個 (2.08×288=599.04V) 大井町だけ蓄電池室は別置き
大井町変電所 左建屋は、現存 右 蓄電池室は取り壊し |
大井町変電所は蓄電池室別建屋 |
池袋変電所 25Hz AC受電 DC600Vき電
回転変流機(25Hz) ピラニー式昇圧機
蓄電池設備 280個 (2.08×280=582.4V)文献記載個数
図無し
川崎変電所 25Hz AC受電
電動発電機(600/1200V複電圧対応)ランカッシャイヤー式昇圧機
蓄電池設備(600/1200V複電圧対応)((2.08×289)×2=1202.24V)文献によって違う
このころの回転変流器は、まだ直列接続には対応されておらず、直列接続の回転変流機はAC50Hz用の回転変流機の出現をもって対応された。
ランカッシャイヤー式昇圧機2台(1台予備)と左 蓄電池 600/1200V対応 川崎SS |
同期電動機を中心に挟んで発電機2台を両側に置く 600/1200V兼用 川崎SS |
ピラニー式とランカッシャイヤー式昇圧機の違いは、ランカッシャイヤー式昇圧機がピラニー式の改良型となる。
ピラニー式 電圧の変動を少なくする場合に選択、ランカッシャイヤー式は発電機の負荷を一定に保つ場合に選択される。川崎SSは同期電動機による発電のため一次側に影響を及ぼさないよう選択されたようだ。
T4/8 品川-桜木町電化1200V
T7/4 柏木PS廃止、SSへ
T8/1 万世橋-吉祥寺 電化 600V
T8/3 万世橋-東京 電化 中央線完成 「の」の字運転
上野―東京―中野連続運転 600V 単線架線式に統一
T8 田端SS 600V
T8 大久保SS 600V
T7 四ツ谷―万世橋、八ッ山―渋谷 架空単線式に変更
T8 四ツ谷―吉祥寺 架空単線式に変更
T9 渋谷―上野、池袋―赤羽 架空単線式に変更
T8 田端SS 600V
T8 大久保SS 600V
T7 四ツ谷―万世橋、八ッ山―渋谷 架空単線式に変更
T8 四ツ谷―吉祥寺 架空単線式に変更
T9 渋谷―上野、池袋―赤羽 架空単線式に変更
T10 大井町SS 600/1200V複電圧対応 品川-大﨑600V 品川-大森1200V
T11/7 品川-蒲田間 多電圧試験1200、960、550、480、430V
T11/8 吉祥寺SS 600V
T11/11 万世橋-国分寺 電化 架空単線式 600V
T11 大井町SS 600/1200V複電圧 田町-恵比寿600V 田町-蒲田1200V
デッドセクション移動 600V/1200V 田町
大正12年(1923年) 9月 関東大震災 多くの変電所が被災
震災復興で多くの600V架空電車線が1200Vに昇圧される機運が整った。
大正13年(1924年)時点
T12/2 赤羽PS 大正13年(1924年)時点
T12/9 関東大震災
T12 神田SS600V テンポラリー
T12 東京-品川1200V化 品川-桜木町は既に1200V化
T12 永楽町SS 田町―東京 1200V、東京―四ツ谷 600V
T13/9 品川-上野間 1200V昇圧試験
T13/10 品川-田端、池袋-赤羽 1200V
デッドセクション 600V/1200V東京 中央線600V
T13 田端SS1200V化
T13 大久保SS600/1200V化 恵比寿―池袋1200V、牛込―国分寺600V
T13 品川-池袋―上野1200V 山手線全線1200V化
T13 永楽町(東京)SS 京浜線 1200V、中央線600V
T13 大久保SS600/1200V化 恵比寿―池袋1200V、牛込―国分寺600V
T13 品川-池袋―上野1200V 山手線全線1200V化
T13 永楽町(東京)SS 京浜線 1200V、中央線600V
永楽町変電所(複電圧対応変電所)田端変電所 11kV受電50Hz 蓄電池室廃止
回転変流機
1台並列 600V 中央線
2台直列 1200V 東海道線(京浜線)
大正13年時点 東京駅 中央線と山手線は、線路が繋がっていた 新宿駅でも山手線と中央線は線路が繋がっていた 異電圧間の往来は、デッドセクションがあった模様 系統分離した後は、東京駅では山手線とは分離されている 中段画像 大正15年 |
大正15年(1926年)時点 諸説あります
T14 大井町SS 1500V 品川-恵比寿、品川-大森 T14/4 横浜線東神奈川・原町田間 1500V電化試験線
T14/5 神奈川(横浜)SS 1500V デッドセクション1200/1500V 品川 東海道昇圧
T14/6 大船/二宮SS 1500V
T14/12 東京-上野電化 1500V 山手線環状運転 系統分離
T14/5 神奈川(横浜)SS 1500V デッドセクション1200/1500V 品川 東海道昇圧
T14/6 大船/二宮SS 1500V
T14/12 東京-上野電化 1500V 山手線環状運転 系統分離
山手線1200V 品川-桜木町間京浜1500V
、中央線一部は600Vのまま
3架線電圧が混在
T14/12 東京-阿佐ヶ谷間1200V昇圧試験
T14/12 大船-横須賀電化 1500V
T14/12 品川-桜木町 1500V化、
T14/12 東京-阿佐ヶ谷間1200V昇圧試験
T14/12 大船-横須賀電化 1500V
T14/12 品川-桜木町 1500V化、
東京―国分寺 600V⇒東京―阿佐ヶ谷1200V化 阿佐ヶ谷-国分寺600V
T14 川崎SS 1500V
T14 上野SS 1500V
T14 川崎SS 1500V
T14 上野SS 1500V
T15/2 東京-小田原 電化1500V
T15/7 汐留(新橋)SS 1500V
T15/7 大井町SS 1500V
S2/10 武蔵境SS 1500V
T15/7 汐留(新橋)SS 1500V
T15/7 大井町SS 1500V
大正15年3月 |
昭和3年(1928年)時点 諸説あります
S2/4 東中野SS 1500V
S2/9 飯田町SS 1500V S2/10 武蔵境SS 1500V
S2/11 池袋SS 1200V ⇒ S4 1500V化
S3 王子SS 1500V
S2 600V全廃 1200V化(横軽を除く)中央線 1500V化
S3 王子SS 1500V
S2 600V全廃 1200V化(横軽を除く)中央線 1500V化
デッドセクション 1200/1500V品川、王子付近
S3 目黒SS 1200V⇒ S6 1500V化
S3 大久保SS 1500V化
東海道線の品川⇔桜木町間の短距離を当初1200V電化した理由は、東京⇔国府津、横須賀の電化さらに東京⇔沼津電化を見据えて計画された。電圧を上げることで
き電線の断面積を小さくでき、また電力の効率化利用が計らえる。(輸送量の増大に伴う電圧降下の回避には、電圧を上げて、既存き電線をそのままの断面積で2倍の電力をき電できる)
また600V回転変流機を直列接続して容易に1200Vが得られることによる。この回転変流機 直列接続1200Vは、その後750V×2=1500Vまで発展し水銀整流器、金属整流器(シリコン整流器)の導入により終焉を迎えた。
鉄道省電気局沿革史;鉄道省/[編]:日本評論社 -- 1991.12
玉木辨太郎ら;東京付近鐡道線路に於ける電車運転:工学会誌,Vol.35, No.396
pp.371-413,1916
吉本三郎;鐡道省永楽變電所に於ける變流機保護装置に就て:交通と電気,
S3 大久保SS 1500V化
昭和6年(1929年)時点
山手線 1500V昇圧となり標準電圧が1500V統一となった。 異電圧接続のデッドセクションは解消
本題
直直デッドセクション
大正3年(1914年)に出現した600/1200Vのデッドセクションは赤樫を使用した木製で600Vのトロリーホイール、1200Vのパンタグラフにも使える構造を有した。
構造は、全長約300呎(フート・91m) 運転手が切換を手動で行っていた。セクション内での予期せぬ停止の場合、セクション内を加圧できる開閉器が取り付けられていたとの記述もあることから、セクションインシュレータで挟まれた通電可能な電車線(600/1200V)加圧をもったものと思われる。この時 初めて電照式のセクション標識が使われた。(この標識については別稿で記す) 長さが300呎もあることから一編成のパンタグラフ全部が引き通しだったと思われる。
その後も1200/1500Vのデッドセクションが設備されている。
文献上のデッド・セクション(順不同)
1.玉木辨太郎ら;東京付近鐡道線路に於ける電車運転に關する設備:帝國鉄道協會會報,pp274-339?,1916(大正5年)
pp.322に以下の記載
品川停車場(八ッ山陸橋下)に於ける千二百ヴォルト及六百ヴォルトの分界點にはデッド・セクションを設く、即ち約三百呎の電車線區間は前後の隣接區間より全く絶縁せられ、電車が此の區間を通過する際、運轉手をして千二百ヴォルト若は六百ヴォルト回線運轉に適する様電車の電氣装置を變更することを得せしむ
2.高木茂一;千五百ヴォルト電気鉄道設備に就て:交通と電気,Vol3,No.2,pp7-12,1924(大正13年)
pp.10に以下の記載
六百ヴォルトの電車線と交叉し、叉は連絡する場合にも相當のデッド・セクションを設けてやればよい譯である。pp.10
3.日本国有鉄道百年史 第9巻:日本国有鉄道, 1972
pp.328に以下の記載
大正3年(1914)、東京・横浜間電化開通の際、600Vと1200Vの境の品川(八ッ山)にデッドセクションが設けられ、セクションオーバー用の開閉器が取り付けられていたが、そこにカーボンランプを直列にしたものが標識として使われていた。
4.国有十年 : 本邦鉄道国有後の施設並成績;鉄道省 編,1920(大正9年)
pp.240に以下の記載
千二百ヴォルト區間より六百ヴォルト區間に移る品川停車場には、絶縁區間を設けたり、即ち長さ三百呎間の電車線を全然両隣接區間より絶縁し、この點に於いて運転手にして千二百ヴォルトより六百ヴォルト又は六百ヴォルトより千二百ヴォルトに電動装置を更へしむることとせり
5.電力従事員教材集:新橋電力事務所,1934( 昭和9年)
第5章 架空電車線路
第47條
大正3年から昭和初期の電車は複電圧対応車両が幅を利かせていた
複電圧電 600V/1200・1500V対応 電車
直流直巻き電動機時代は、供給電圧に合わせて主電動機を直列、直並列、並列に接続を変えて主電動機に印加する電圧を調整している。電圧を切り換えることを転換と言っている。
6.鉄道技術発達史Ⅳ 第三篇 電気:日本国有鉄道
5.電車線の変遷(8)セクション標
大正3年品川―高島間1200V開通のとき永楽町(有楽町)-八ッ山間は600Vであったため、品川に600V、1200Vの中間にデッドセクションが設けられていたが、大正13年頃吉原氏設計によりその標識が付けれた。
複電圧電 600V/1200・1500V対応 電車
直流直巻き電動機時代は、供給電圧に合わせて主電動機を直列、直並列、並列に接続を変えて主電動機に印加する電圧を調整している。電圧を切り換えることを転換と言っている。
架線電圧の標準化については以下を参照
架線電圧の1500V標準化
また600V回転変流機を直列接続して容易に1200Vが得られることによる。この回転変流機 直列接続1200Vは、その後750V×2=1500Vまで発展し水銀整流器、金属整流器(シリコン整流器)の導入により終焉を迎えた。
回転変流機は、回生運転ができることから最終使用設備として信越本線 新横川、熊ノ平、新軽井沢の各変電所に大都市圏から玉突き移設されたが、EF63、EF62での回生運転が見送られたことにより、この3変電所でも最終的に金属整流器(シリコン整流器)に置き換わっている。
昭和初期以降の直直デッドセクション
昭和8年以降 国鉄が私鉄買収をした際に、相互乗り入れを行うため異電圧直直デッドセクションが設けれていたようだが詳細は、調べていない。
身延線、可部線 750V
富山港線、鶴見線、宇部東西線 600V
信越本線 アプト式機関車(EL)、粘着運転機関車(EL)の共存時期 横川と矢ヶ崎、軽井沢に600V/1500Vのデッドセクションが設けられた。この項は別稿で起こす。
参考資料
受送電技術変遷史;受送電分科会 編:日本鉄道電気技術協会, 2013.11
電気鉄道技術発達史;鉄道電化協会 編:鉄道電化協会, 1983.12
日本国有鉄道百年史 第9巻:日本国有鉄道, 1972
鉄道技術発達史 Ⅳ 第三篇 電気:日本国有鉄道, 1958
玉木辨太郎ら;東京付近鐡道線路に於ける電車運転に關する設備:帝國鉄道協會會報,17(合本),pp274-339?,1916 この続きが以下の文献となる↓
pp.371-413,1916
高木茂一;千五百ヴォルト電気鉄道設備に就て:交通と電気,Vol.3,No.2,pp.7-12,1924
Vol3.,No.4,pp.28-30,1924
日本国有鉄道百年史 6、9:日本国有鉄道/編,1972
信越線碓氷電化工事概要;東部鉄道管理局:工業之大日本,Vol.9,No.9,pp.22-40
ピラニー昇圧機とランカッシャイヤー式昇圧機の比較実験;業務調査資料(20),1912,pp.19-25
国会図書館 インターネット公開アーカイブ
省線電車史綱要
リンク
省線電車史綱要;東京鉄道局 編:東京鉄道局, 1927(昭和2年)
国有鉄道電化発達概要
リンク
鉄道省電気局 編:鉄道省電気局,1932(昭和7年)