吉田変電所
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アプローチ:信濃吉田駅 容易
駅は、信濃吉田だが変電所は吉田変電所。
周辺に結界が張られているため近づけづ遠望
受電:たぶん33kV受電 中部電力 東長野変電所より専用送電線途中碍子が66㎸以上の構成
き電:自励式回生電力吸収装置が2018年設備された。
き電は、πき電方式
変電所直下のセクション部不明 それらしきセクション標識見当たらず
長野電鉄 路線の変遷と変電所
2002年以前
長野線 長野-須坂
信濃吉田駅 吉田SS 長野線全般
山の内線 信州中野-湯田中
信州中野駅 中野SS 木島・湯田中方
河東線 須坂-信州中野、屋代-須坂、信州中野-木島
綿内駅 綿内SS 河東線と長野線
の三箇所の変電所で全ての路線のき電を担当していた。(電化当時1926年は、中野と綿内変電所のみ)
2012年以降
長野線 長野-湯田中 信濃吉田駅 吉田SS、須坂駅 須坂SS、信州中野駅 中野SS の三箇所
長野電鉄が鉄道事業のほかに発電事業も行っていた。その発電所は、樽川第一・第二発電所である。その後名称が長鉄第一・第二発電発電所と替わり1992年に中電管轄となって、長電創立の租 神津藤平翁の名前を記念して藤平第一・第二発電所となっている。
樽川第一・第二発電所からの送電線は、信州中野駅にある中野変電所に連絡送電線で送られていた。さらに鉄道線路上を利用し、川東線 綿内駅にある綿内変電所まで送られていた。
2012年屋代線(河東線)が廃線になったため、須坂に新しい変電所を設け、連絡送電線22kVを同時に廃止。6.6kV受電として須坂変電所の運用を開始した。
そのため須坂駅構内には、まだ連絡送電線の名残が残っている。
中野変電所への連絡送電線は、現在 中部電力 中野変電所から送出されている。
長野電鉄の電化当時(1926年)は、架線は、トロリ線と鋼心アルミより線(き電線を兼ねる)からなるき電線吊下方式をとった最新鋭の形式を採ったそうだ。
長野電鉄 2018年 安全報告書 pdf 注意
き電は、πき電方式
変電所直下のセクション部不明 それらしきセクション標識見当たらず
長野電鉄 路線の変遷と変電所
3箇所の変電所 |
長野線 長野-須坂
信濃吉田駅 吉田SS 長野線全般
山の内線 信州中野-湯田中
信州中野駅 中野SS 木島・湯田中方
河東線 須坂-信州中野、屋代-須坂、信州中野-木島
綿内駅 綿内SS 河東線と長野線
2012年以降
長野線 長野-湯田中 信濃吉田駅 吉田SS、須坂駅 須坂SS、信州中野駅 中野SS の三箇所
長野電鉄が鉄道事業のほかに発電事業も行っていた。その発電所は、樽川第一・第二発電所である。その後名称が長鉄第一・第二発電発電所と替わり1992年に中電管轄となって、長電創立の租 神津藤平翁の名前を記念して藤平第一・第二発電所となっている。
樽川第一・第二発電所からの送電線は、信州中野駅にある中野変電所に連絡送電線で送られていた。さらに鉄道線路上を利用し、川東線 綿内駅にある綿内変電所まで送られていた。
2012年屋代線(河東線)が廃線になったため、須坂に新しい変電所を設け、連絡送電線22kVを同時に廃止。6.6kV受電として須坂変電所の運用を開始した。
そのため須坂駅構内には、まだ連絡送電線の名残が残っている。
中野変電所への連絡送電線は、現在 中部電力 中野変電所から送出されている。
長野電鉄の電化当時(1926年)は、架線は、トロリ線と鋼心アルミより線(き電線を兼ねる)からなるき電線吊下方式をとった最新鋭の形式を採ったそうだ。
き電線が4本でているが元を辿ると2本が一括となる |
一部は、断路器を経る |
断路器を経たき電線は、信州吉田駅方に延びる |
き電線 元を辿れば2本一括 建屋 左にあるのは、自励式回生電力吸収装置 以下引用 2018年安全報告書
吉田変電所に自励式回生電力吸収装置を新設しました。電車がブレーキをかけたときに発生す
る回生電力を吸収し、駅舎の照明や電気設備の電源として有効活用するとともに、安定したブ
レーキ力を確保して、列車の安全運行を図ります。 引用終わり
|
断路器を経たき電線は、駅部でトロリ線と繋がる |
インピーダンスボンド中性点に繋がる帰線 |
右奥から33㎸送電線 2点切断路器を経てオレンジキャップMOFへ |
オレンジキャップMOF |
断路器を経て避雷器 その奥に整流用変圧器 |
受電設備 全景 |
1号及び2号受電盤があるが、受電としては1回路なので、変成設備に対する受電盤のようだ |