須坂変電所
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アプローチ:須坂駅 容易
き電は、πき電方式 1000kWの変成設備
受電:中部電力 60Hz 6600V
屋代線廃止に伴い新設された変電所 屋根に太陽光発電設備
須坂駅 長野方にセクションを重ねた区分セクション有、一見すると直直デッドセクションのようだが詳しく見るとセクションを交互に設置してエアーセクションのような使い方をしている。セクションの材質は「木」
セクションの標識見当たらず
2012年新設
長野電鉄 安全報告書2012年版 pdf注意 須坂変電所について記載あり
長野電鉄 路線の変遷と変電所
3箇所の変電所 |
吉田SS 中野SS 綿内SS の三箇所の変電所で全ての路線のき電を担当していた。(電化当時1926年は、中野と綿内変電所のみ)
2012年以降
長野線 長野-湯田中 信濃吉田駅 吉田SS、須坂駅 須坂SS、信州中野駅 中野SS の三箇所
長野電鉄が鉄道事業のほかに発電事業も行っていた。その発電所は、樽川第一・第二発電所である。その後名称が長鉄第一・第二発電発電所と替わり1992年に中電管轄となって、長電創立の租 神津藤平翁の名前を記念して藤平第一・第二発電所となっている。
樽川第一・第二発電所からの送電線は、信州中野駅にある中野変電所に連絡送電線で送られていた。さらに鉄道線路上を利用し、川東線 綿内駅にある綿内変電所まで送られていた。
2012年屋代線(河東線)が廃線になったため、須坂に新しい変電所を設け、連絡送電線22kVを同時に廃止。6.6kV受電として須坂変電所の運用を開始した。
そのため須坂駅構内には、まだ連絡送電線の名残が残っている。
中野変電所への連絡送電線は、現在 中部電力 中野変電所から送出されている。
長野電鉄の電化当時(1926年)は、架線は、トロリ線と鋼心アルミより線(き電線を兼ねる)からなるき電線吊下方式をとった最新鋭の形式を採ったそうだ。
須坂変電所 |
屋根の上に太陽光発電設備 |
太陽光 パワーコンディショナー |
き電線吊架方式 容量を増やすためき電線 併設 |
須坂駅手前 長野方 奥シンプルカテナリー 手前 き電線吊架 変電所 直下のき電区分 セクション |
変電所からき電線引き出し |
駅側から変電所 俯瞰 |
須坂駅 手前長野方にあるき電区分 セクションを互い違いに入れてエアーセクションの代わりをしている 左 シンプルカテナリー 右 き電線吊架式 き電線が上から降りてくる |
別角度 |
どう見てもウッドセクション 初めて見た |
須坂駅手前 長野方のセクション セクションを互い違いに入れてセクションを形成 初めは、直直デッドセクションかと思った 車中から見上げた状態 |
引き止め部 拡大 どう見ても木 |
変電所 右下からき電線引き出し |
信州中野方にき電線が延びる |
連絡送電線の跡 |
連絡送電線の跡 信州中野駅から綿内駅まで伸びていた |
跨線橋も連絡送電線があった部分は、防御用の枠がある 左 連絡送電線用鉄構 |
連絡送電線 跡 |
引き止め鉄構とラインポスト碍子 連絡送電線跡 |
朽ち果てた展示物 |